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2018.07.29

氷見・夏の風物詩 『祇園大祭』参加録

藤田智彦
藤田智彦
移住相談員
こんにちは、みらいエンジンスタッフの藤田です。
地域の魅力というと風景や食と並んであげられるのが伝統文化。
伝統文化というと、代表格はそう、お祭りです。
千葉のベッドタウンで育った私にとってお祭りというのは町内会の縁日や盆踊りくらいの印象だったわけですが、地方にきてみると由緒正しく引き継がれた数多くのお祭りに出会うことができます。
そしてそれらは他人事ではなく、氷見に住むことはその祭りにひとりの住民として参加することにもなります。
今回ご紹介するのは数ある氷見市の祭りのなかでも三大祭礼のひとつとして数えられる祇園大祭です。
 

そもそも祇園大祭のはじまりは、氷見旧町・御座町にあるといわれています。
およそ300年の昔、氷見の町では悪病が流行していました。それを鎮めんとして京都八坂神社から分霊を迎え平癒祈願を行なったところ見事に悪病が治まり、これに感謝して神輿に神霊を奉還し町内を巡行。これがやがて南北に広がって、町をあげての大祭になったといわれています。
 

現在の祭りは町の中央を流れる湊川を堺に北六町、南十町と別れて行われており、私が住まいしているのは北側の新町という町内。
そしてこの新町は今年、順番にやってくる年行司を務める年ということで、このお祭りを取り仕切ることになっていました。(このあたりのお話は以前に書いた「まるまげ祭り」の記事も是非ご覧ください)
とはいえ、私のような新参者の仕事はとにかく肉体労働。
太鼓台(たいこんだい)を引き回すのがメイン業務です。
 


 

それでは当日の様子を見てみましょう。
祇園大祭自体は7月13日が宵まつりとなり、南の町内ではこの日から曳山や太鼓台の巡行ははじまりますが、北の町内は太鼓台の飾り付けなどをして終了。14日が本番となります。
集合は正午前と比較的ゆっくり。
見事な晴天のもと、町内の太鼓台が収められている倉庫に向かいます。
この夏なんど思ったかわからない「暑すぎる」が脳裏に浮かびますが、この日はわけが違います。
なぜならこの炎天下のもと祭りは夜遅くまで続くからです。終了予定は22時とのことでした。
 

出発のときが近づき、いよいよ太鼓台を動かします。
太鼓を打ち鳴らし、縦笛を吹いて、車輪の音がゴロゴロと……もはやおなじみの音色です。
まずは巡行の出発地点となる北六町のお宮・日宮神社を目指します。
日宮神社に到着するとまずはお宮にご挨拶。
鳥居の下まで太鼓台を運び入れ、そのまま通りに戻ります。
続々と各町から集まってきた太鼓台も同じように挨拶を済ませ、通りに並びます。
 


 

宮から神輿が出てくるといよいよ出発のとき。
みなさん汗を流しながらも、どこか高揚した表情をされているのが印象的です。
 


 

定刻となり、年行司の新町を先頭に巡行がスタート!
太鼓を打ち鳴らし行列が町を進みます。
ここから6町すべての町の家々を回り、不幸があるなどして「遠慮」している以外のすべての家々を巡っていくのがこの祭りの大半の流れ。
行列が家の前に来ると、神職の方は笛を吹き、祝詞をあげます。
神職の方はたくさんいらっしゃるとはいえ、ひとつひとつの家を回るため時間がかかり、行列は少し進んでは止まり、また少し進んで……とゆっくり進んでいきます。
それで丸一日の長い時間がかかるわけです。
 


 

まちなかを縫うように進み、上庄川河口付近で小休止。
太鼓台は氷見沖に浮かぶ唐島に向けて崇敬。
行列の祭り衆は一休み……なのですが、ここは河原で日陰がない!
どうしてここで休もうという発想が生まれたのでしょう……
おそらくこれこそ伝統。地元の方も毎年「日陰がない、暑い」といいながら変わることはないようです。
 


 

小休止が終わるとまたゆっくりと巡行が再開します。
もうおわかりかと思いますが、基本的にこのあとしばらく絵変わりしません。
ただただ汗を書きながら町を進みます。
 


 

大きな休憩を挟んで夕方頃、行列は私たちみらいエンジンの事務所『まちのタマル場』に。
みらいエンジンもまちの一員ということで、祝詞をあげていただきました。
 


 

法被を羽織って額にタオルという祭り装束のままお迎えをして、終わるとそのまま列に戻ります。
日もだいぶ傾いて、気温はまだまだ高いものの、影が増えてだいぶ楽になってきました。
あとひと踏ん張りです。
 

日が落ちると太鼓台の提灯に明かりを灯します。
この提灯がゆらゆらと揺れる様が風情があっていいですね。
LEDでなく本当に火をつけているので提灯が炎上することもままありますが……
 


 

そしてここからがこの祭りの真骨頂。
祇園祭りの名物といえば「ケンカ」。
漁師町らしく荒々しい太鼓台のぶつけ合いが一番の見所です。
例年は巡行の途中にも行われることがあるのですが、今年は安全面への配慮から巡行の最後だけとなり、観客の期待も高まります。
 


 

20時をまわった頃、すべての太鼓台が日宮神社に戻ると、いよいよ会場の熱気はピークに達します。
青年団の若者たちは目を輝かせ、年配の方々も若き日を思い出してか興奮を抑えられない様子の方もちらほらと……
第一線は我らが新町と本川です。
なのですが、新町は若者が少なくそのままやったのではとても戦えません。
そこで近年は濱町のみなさんが助っ人として参加。
そのときだけは新町の法被を着ていただいて、さあはじまります!
 


 

(※2枚目は6町のなかでも若者が多く活気のある今町と中町のケンカ前の様子)
 

道路の中央で向かい合った状態で、太鼓台の上に次々と青年団が登っていきます。
まずは「イヤサーイヤサー」の威勢のよい掛け声とともに、太鼓台をみんなで力を合わせて片輪が浮くように右へ左へ揺さぶります。威嚇のように相手よりも激しく、大きく見せるように。松の木もワッサワッサと枝を揺らします。
そして頃合いをみて合図の笛が鳴り響くと、相手に向かって突撃!
ガツンと重い音と衝撃が走り、ぶつかるやいなや松の木に登っていた青年団たちは相手の松へと飛び移ります。
正直なところ具体的なルールというのは私も把握していないのですが、ひとまず相手の松の木をへし折るのが目的といったところでしょうか。
ですので飛び移った若者は枝にぶら下がって枝を折りにかかり、自分の太鼓台に残ったメンバーは飛び移ってきた相手を妨害します。
かなり激しい攻防が繰り広げられ、2m近い高さから人が落ちることも珍しくないという、なかなか衝撃的な戦いです。
ちなみに私は氷見にきてはじめてこの祭りをみたときに「絶対こんなのできない」と感じた印象そのままに、今回も松には登らず下で太鼓台を押す係をしていました……
 

再度笛が鳴るとお互いに離れます。
今回は一度で決着がつかなかったために、もう一戦。
結果からいうと、2戦目で新町の松はぽっきりと折られ、我らが新町の祇園祭は終わりを告げました。
 


 

太鼓台を片付け、年行事として道路の清掃まで行なって、北六町の祇園大祭も終了。
今年は残念ながら怪我人が出る事態となったのが残念でしたが、こうして長く暑い一日を終えることができました。
 

祇園大祭は現代には珍しく荒々しいお祭りで、今回のように怪我人が出ることも少なくないため、色々な意見が出ています。
しかし都会からきた私のような者からすると、町の人が一体となって、また夢中になって参加できるこうした行事があることはとても素晴らしいことに感じます。
もちろん安全面への配慮は必要ですが、危険だからと制限するばかりでは、氷見の伝統のひとつを失うことにもなりかねません。
地域が地域らしくあるために、伝統を未来に繋げていくために、矛盾する問題に向き合って祭りが続いていくことを心から願います。
 


 

さて、最後は少し難しい話になりましたが、祇園大祭の様子はいかかがでしたでしょうか?
ケンカの迫力や熱気は、写真と文章ではとても伝えきれません。
ぜひとも一度、実際にご覧いただければと思います!
祭りは毎年7月14日(北の場合、南は13日から)。
気になった方は是非来年いらしてみてくださいませ!!
 
※「氷見の町は北六町・南十町」と書いていますが、南の町は実際には十一町あり、祭りにも十一町参加しています。なぜ「十町」とされているのかは……歴史的な経緯、氏子関係など、諸説あるそうですが、地元の方とも話していましたが正確に応えられる方は少ないようです。氷見のことに詳しい方、是非教えてくださいませ……!

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