氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えする【ひみ暮らしインタビュー】。
シリーズ3回目は、今年4月に氷見に移住された作曲家の矢島さんです。
高岡から氷見という、比較的近距離に移住された矢島さん。
その理由や、作品制作への思いをお伺いしました。
氷見に移住したのはいつ頃ですか?
今年の4月ですね。元々は長野の松本市出身で、富山大学に進学するにあたって富山に来ました。大学在学中は高岡市に住んでいましたが、卒業後に氷見に引越しました。今は富山大学の芸文ギャラリーで働きながら、作曲と編曲の仕事を個人でしています。企業でのCMの曲を作ったり、あとは最近はよさこいの曲を作ったりしています。
「氷見に絶対移住したい!」という理由は実はなかったとお伺いしましたが…
そうなんです。(笑)以前の高岡市の住まいは、今の住まいからも結構近いんです。なので、氷見に移住しなければいけない!ということもなかったんです。ただ、補助金の制度が充実していたのでそれを聞いて氷見に引っ越そうかなと思いました。
でも、実際に氷見に住み始めたら「あれ、思ったより快適な場所だな」と思いましたね。
まず、制作環境がすごく自由になりました。以前の住まいは六畳一間のアパートで、かなり狭かったんです。機材もたくさんあったので、2段ベッドにして、下を作業スペースにしていました。隣の人の迷惑もあるので、音も出せませんでした。なので、制作環境としてはちょっとストレスのある状態でした。でも、氷見の一軒家に引っ越したら、部屋が広くて最初は逆に落ち着かないくらい。ちょっと前まで2段ベッドの天井がすぐ頭の上にありましたからね。部屋が機材に圧迫されることもなく、音も出せるのですごく快適になりました。
あとは立地もすごく魅力的ですね。海も山も近くて。僕、海がすごく好きなんです。地元の長野県には海がないのですごく新鮮でした。自宅もスーパーの隣なので便利なんです。自炊はあまりしないので、隣のスーパーでお惣菜を買ってきて食べたりすることが多いですね。なんだか巨大な冷蔵庫が隣にあるみたいな感覚です。近所のおじいちゃんおばあちゃんも気さくな方が多いですね。
物件探しは苦労されませんでした?
いや、僕はそこまで苦労しませんでしたね。たまたま氷見の空き家情報バンクの事を知って、サイトを見てみたら、丁度いい一軒家があったんで申し込みました。本当にたまたまだったんですごくラッキーでしたね。3月から探し始めて4月にはもう決まっていたんで、実質1ヶ月かかってないと思います。むしろ全然準備してなかったんで、ちょっと焦りましたね。(笑)
特にみらいエンジンの存在は大きかったです。すぐ相談できる場所があるのはいいですね。加えて、時間も結構遅くまでやってるじゃないですか?日中働いていると市役所ってなかなか行きづらいですが、ここだと仕事終わりや土日にも相談できたりするので、すごく助かりましたね。
ありがとうございます。ここPRしておきますね。(笑)
音楽のお話もお聞きしたいんですが、ずっと音楽はやられてたんですか?
いや、小学校から高校までずっとサッカーをやってたんですよ。ずっと体育会系でした。でも、高校くらいから音楽に色々興味が出て来ましたね。バンドやりたいなーと思いながら家でギターをポロポロ弾いてました。大学に入ってからは友達とバンドを組んで、曲も作るようになって、だんだん音楽にのめり込んで来ました。今組んでいる「ザ・おめでたズ」も在学中に結成したバンドです。元々は友達の誕生日を祝うために組んだ、いわば悪ノリだったんですけど、それが今も続いてますね。
大学を出てすぐ個人として活動されてるんですね。
個人というか、単純に就職しなかっただけですね。(笑)就職も少し考えたんですが、自分にはもうちょっと先かなぁと思いました。自分のレベルじゃ社会に対して通用しないよなと思って。もっと経験を積んでレベルアップしようと思って、今個人でやっています。
会社に入って学んでから独立する方も多いかと思うんですが…
その当時は行きたいと思う会社が少なかったというのもありますが、モノを作る仕事は作品で勝負するしかありません。能力が未熟な段階で採ってもらえることも、最初から育ててくれるっていうことも少ない業界なので、まずは自分で鍛えようと思ったんです。
あと、なんとなく今は富山から出たくないなぁっていう思いもあったんです。理由は人の繋がりですね。富山は僕の中で今、一番人の繋がりのある場所なんです。一緒に作品を作れる友人が多くいますからね。
作品を作るにあたって意識していることはありますか?
そうですね…最近は「いかにエゴを消すか」を意識しています。僕は自分のことをアーティストだとは思っていないんです。自分の表現したいことをどんどん出していくのも一つのあり方だと思いますが、僕は自分の作曲の能力を使って、人の役に立ちたいという思いの方が強くて。相手の求めていることに対して、いかに柔軟に対応できるかということの方が重要なんです。
作曲する上でこだわりたい部分はもちろんあります。でもそれに縛られちゃうと、結局あまりいいものができなかったりするんです。自分のこだわりをゼロにはしませんが、そのバランスには気をつけていますね。
僕にとっては自分の作品を残すよりも、音楽をずっと続けられることが重要なんです。やっぱり音楽が好きなんで。だから音楽とずっと関わるには音楽を仕事にすること。そして音楽を仕事にするなら、自分の思いを押し付けるより、まずその人の思いに応えること。それが大事だと思ってますね。
移住希望の方には、自営や創業希望の方も多いんです。そういう方に向けてアドバイスはあったりしますか?
そうですね、「繋がり」が大事かなと思います。私の今の仕事の大半は人の繋がりで頂いた仕事で、ほとんど営業はしていないんです。友人や大学時代のアルバイト先、以前の仕事のクライアントさんが僕のことを紹介してくれたりして。本当に人の繋がりが大事だなと思います。今手掛けているよさこいの仕事も、知人によさこいの曲を作っている会社の方がいて、卒業直後にお手伝いさせてもらい始めました。そこから、よさこいのチームの人との直接の繋がりができて、今は個人でお仕事をいただけるようになって来ました。僕がここにいる理由もやっぱり繋がりがあるからですしね。地方で音楽を仕事にするのはもちろん難しい面もありますが、今は音楽も場所に縛られずできるようになっています。直接お会いできなくても、ネットを経由して県外の方とも仕事できます。そこまで場所に縛られる仕事ではないかなと思います。
これからの目標や理想像はありますか
そうですね、やっぱり音楽一本で食べていけるようになりたいという仕事上の目標はあります。あと、これは理想像、という話ではないんですが、もしかしたら生涯富山、氷見にいるのかもなぁっていう感覚はありますね。やっぱり僕は田舎が好きなんだなぁと思います。もちろん先のことなのでまだわからないんですが。
こうやって今回お話できたんで、これからちょっとずつ氷見のコミュニティにも関わって行きたいなと思っています。僕は作曲だけでなくて、音響の仕事をやったりすることもあります。例えば、イベントやお祭り、ライブの音響設備のセッティングですね。設営から音出しまでをお手伝いしています。もし氷見でもそういう機会があれば是非お手伝いできればと思っています。
【今回お話を聞いた方】
矢島 拓真 さん
長野県松本市出身。
富山大学芸術文化学部卒業。
2014年、大学在学中に友人の誕生日をラップで祝うために「ザ・おめでたズ」を友人と結成し、
県内を中心に活動中。バンド内では楽曲制作を担当。
2017年に氷見に移住。
現在は個人で企業のWEB広告や、PR映像の楽曲を手がけている。
「ザ・おめでたズ」公式HP
【近日のザ・おめでたズの出演情報】
『市場街ナイト』
【矢島さんの楽曲が使用されている「富山ガラス工房」さんのPR動画】