新年、おめでとうございます!IJU応援センターの明石です。
昨年末は、氷見にUターンした松木佳太さんが経営する宿「イミグレ」を貸切にさせて頂き、会社の忘年会をしました。美味しいものを沢山味わい、若いスタッフたちは朝まで大騒ぎをしていたようです。1年の締め括りに相応しく楽しい時間を過ごすことができました。本当におススメの宿ですから、皆さんぜひ泊まってみてください。
2019年は、平成の時代が終わり、元号が新しくなる年ですね。そして、新しい元号になる翌年、2020年には東京オリンピックが開催されるため、様々な分野や業界では急ピッチで準備が進んでいます。まさに、新しい時代の到来を予感させる新年となりました。
昭和生まれの私は、これで3つの元号を経験することになりますし、生きている間に国内で開催されるオリンピックを見に行くことも可能になります。
ちなみに、昭和と平成の時代の節目となった大きな出来事として、バブル経済の崩壊がありました。私が高校生のときに年号が平成となり、大学生のときにバブルが崩壊しました。学生時代は、日本が永遠に経済成長し、夢のような未来が待っているのだと信じて疑いませんでした。その象徴が「東京」だと思い、都内の会社に就職しました。
入社してからは、地域活性化のコンサルタントをしていたため、都会中心の経済事情には、まるで無頓着でした。実際に、地方自治体の財源は厳しいと言いながらも、一部のリゾート施設などを除いて、まちに十分元気がありました。逆に東京に居たほうが不景気な話が多く、「ハードからソフトの時代へ」、「モノより心の時代に」、「地方の文化を大事に」などの言葉をよく耳にして、経済低迷と時代の変化を肌で感じました。
2000年になっても、東京は相変わらず不景気なムードでした。一方、地方はバブル経済の恩恵をあまり受けていないため、「しぼみ方」も緩やかな気がしました。このような構図が見えるようになると、この先の人生の軸足が都会にあるということの怖さを感じました。
何か大事なことに気づいて、何かを成し遂げたいと思ったとき、それができる人間になれるのか、不安になったものです。そして、世の中の経済的な豊かさと、自分の人生の豊かさとは、あまり関係がないということがわかったのが35歳の頃。もう、東京に住んでいる意味を完全に見失っていました。
ひと昔前であれば「地方へ行く人=負け組」のような捉え方をしている人が少なくなかったように思いますが、今や地方へ移住し、自分らしい暮らしを手に入れたり、やりたかった仕事を見つけたり、自分で起業したりと、どちらかと言うと地方移住にプラスのイメージが定着するようになりました。
平成の時代は、インターネットの普及をバックグラウンドに、かつてない情報量の交流が行われましたが、この時代を象徴するモノがインターネットから生まれました。地方へ移住することが世の中の当然の流れであり、社会から肯定的に受け止められるべきことだ、という風潮をつくれたのもSNSをはじめとするインターネットサービスのお陰だと言っても過言ではありません。
今振り返ってみますと、地方へ移住したのは、何かを成し遂げる手段として地方という場所を選んだと思います。都会は、自分ではどうにもならない大きな力に左右されてしまい、それが大きなリスクだと感じるようになりました。
何かを成し遂げるために、今や都会である必要はないんです。あらゆる社会インフラが、田舎の端っこまでも整備され、情報や交通の流通に困りません。また、あらゆるコストが安いですし、多くのマーケットに参入余地があります。チャンスとアイデア次第では、自分でマーケットをつくることもできます。
私は、次の元号の時代は、グローバルとローカルが共存、融合する社会になると思います。国内において、地方と都会の対比のような狭い視野の話ではありません。都会にはこれからより多くの人たちが集まってきます。今までと違う点は、世界中から、かつてない規模の人数の人たちが日本を訪れるということです。一時的な観光客だけではなく、仕事で数年間滞在する海外の人も多くなると言われています。
ホテルならまだしも、日本の人口が減るのに、なぜあんなに沢山の高層マンションをつくっているのか?と思われる人もいると思いますが、東京をはじめとする都会に、高層ビルが沢山建設されているのは、そういった需要があるからだそうです。
地方にいても、グローバルな交差点をつくれる可能性が十分にあります。近い将来、地方においても、お客さんや同僚、隣人や友人のなかに、外国人が沢山いるという日常が当たり前になると思います。IJU応援センターとしても、外国人が移住してくることを、当たり前のようにお迎えできるようにしなければなりませんね。
私どもとご縁のあるすべての方々へ、本年もどうぞよろしくお願い致します。