久目にはじめて来たのは、産後数ヶ月で富山に移住して間もない頃でした。
出産では実家に帰っていたので、懐かしい場所でたくさんの友人に会い、楽しい時間を過ごしていました。それが急に夫の仕事のために、誰も知り合いがいない、一度も来たことがない場所に、ほおり出されるように移住をしました。さみしい、慣れない、帰りたい、赤子を抱えて自由に動けない、なんでこんなことに…うらめしい気持ちがたくさんあって、しんどい毎日でした。
そんなある日、久目に来ることがありました。良いカフェがあるよと、風楽里の噂をきいて、行ってみたのでした。あいにくその日、風楽里はもう閉まっていましたが、触坂の家並みをみたときに、なんてきれいなところなんだろう!と思いました。
黒瓦に白漆喰の家々、土壁の納屋。伝統的建築物保存地域や観光地ではないのに、ふつうに、こんなにきれいなところがあるんだ…すごいな…と思いました。
でも、どんな道を通ってきたのかもわからないくらい、奥地にきた気がする。ここに住むのはイメージが湧かないな、どういう人が住んでいるのかな、どういう人だったら住めるのかなぁ、と思いながら帰りました。
移住当初、富山で慣れないと感じたことのひとつに、浄土真宗がありました。ベビーカーを押してつれづれに歩いていると、仏具屋さん、お寺さんが多いのです。仏具屋さんが何件もある通りがあったり。仏具って……他にも、街の成りたち、工芸、いろいろなものが浄土真宗につながっていくようです。
浄土真宗?お寺は好きで実家のほうでもよく行っていたのですが、宗派の話になるとわからなくて、構えてしまいます。みんなが仏様を信じているの?それっていったい、どういうことなんだ??
わからないものが、土地の成り立ちの基盤にあるよう。基盤を共有できなければ、馴染めない気がする。ううむ。はっきり言葉にはなっていなかったけれど、そんな感覚を抱いていたように思います。
そうして色々なもやもやが渦巻いていたある日、また久目に来ることがありました。友人家族が地元から遊びに来たので、きれいなあの場所をみせたいと思ったのでした。
風楽里でみんなでお茶をして、少し歩こう、となりました。ベビーカーを押しながら、ぞろぞろ家と田んぼのあいだを歩きました。秋の気持ち良い日で、虫が鳴いていて、森の匂いがしていて、道端には秋草が花をつけていました。
歩いているのは私たちだけ。静かです。やっと1人、小柄なおばあさんが前から歩いてくるのに出会いました。挨拶をすると、「あんたどこのひとぉ?」と屈託のない笑顔で尋ねます。
わたしは高岡に住んでいて、友人が遠くから遊びに来たので、そこのカフェに来て、気持ち良さそうだったから散歩をしているんです、と話しました。
その時、一緒に歩いていた当時4歳だった友人の子供が、「はいどうぞ」と言って、そのおばあさんに、昼咲き月見草の花を渡しました。道端に咲いていたのを摘んで、持って歩いていたものでした。
「まあ!ありがとう。朝夕、辻の祠におまいりしてるから、今日はこれも、おそなえさせてもらうね。とってもきれいだから、今日はこれから、このお花も、おそなえするね」
おばあさんは、大変よろこんでくださって、何度も、仏様におそなえするね、と言いました。朝夕、祠にお花をそなえて手を合わせているんだ…そういう人が存在するんだ…とても新鮮に感じました。
それから私は拍子抜けするかろやかさで、浄土真宗について、腑に落ちるものを感じました。信仰って、暮らしの中に感謝の気持ちがあって、それを毎日、手を合わせて、表現すること。それだけの、でもすごく尊い、そういうことなのかもしれない。
おばあさんと別れてから、私たちは思いがけず、柿狩りを楽しむことになりました。歩いていたら、また別のおばあさんに声をかけられて、話すうちに、「柿があまってるから、採って持っていかれ」と、高枝切り鋏を渡されていました。ひょいひょい枝を切っていくと、柿は50個くらいになり、おばあさんは、それらを全てくださいました。
歩いていただけで、いつのまにか柿狩りをしている。そんなことは初めての体験でした。赤子をつれていたのも大きかったかもしれません。赤子は人と人の距離を近くしてくれます。
なんだかおもしろい場所。「いい空気が流れてるね」「ここにはいいグルーヴがあるね」私たちはベビーカーの荷台に柿を入れて、赤子と柿をゴロゴロ押しながら、夕方のしんとした空気の中を、帰路につこうとしていました。そのとき、
「ああ、いた、いた。みつかったあ」
前方から自転車に乗って、さきほどの、毎日手を合わせているというおばあさんが現れました。
「これを、あげようとおもってね」
おばあさんは、自転車のカゴからハイハインを出して、友達の子どもに渡してくれました。ハイハインというのは赤ちゃんでもたべられる、ほんのり甘い上品なおせんべいです。
カゴには、昼咲き月見草がまだ入っていました。おそなえするより先に、家に帰って、ハイハインを持って、自転車に乗って、私たちのことを探してくれていたんだ…そんなにお花を喜んでくれたんだ…なんて澄んだ人なんだろう。胸が熱くなりました。
子どもとおばあさんの心が触れ合って、特別なことが起きたのだと思いました。この日のことは、私と友人たちにとって、忘れられない土地との出会いになりました。
仏様というフィクションを信じることは、ハテナの世界です。でも、仏様と呼ぶかはさておき、存在の不思議、この世が在るということ、生きとし生けるものを生かしている自然の大いなる力は、日々感じるところです。
きっと、おばあさんが手を合わせているのは、そういうものに対してなんだろうと思いました。浄土真宗は、そういう大きな力を感じる感度を高めてくれる、感謝の気持ちを育ててくれるものなのかもしれません。
それは、文字で読んでも考えてもわからない、そのおばあさんに出会って、おばあさんの佇まいが教えてくれることでした。頭ではなくて、身体に沁み込んでくることでした。
それから約3年が経って、私たち家族は久目に住むことになりました。久目を目指した訳ではなかったのですが、結果的にそうなったところに、何か縁があったのだろうと思います。
奥地に感じられた場所も、慣れてみれば、とても便利なアクセスの良いところに思えました。といってもまだ住んでいないし、家を直しているので、いつ住めることになるのかもわからないのですが。
あのおばあさんは、どこの、どんな人なんだろう。私たちのこと、覚えているかな。いつか会って、あの日のことを話すのが、久目に移住した後の小さな楽しみです。
『おらっちゃの久目』より転載