※こちらの記事は「ひみ知っ得ナビ」からの転載記事です。
富山市出身の吉野樹理さんは、氷見に暮らして5年目。
最初の3年は久目、現在は論田熊無(ろんでんくまなし)で生活しています。
理学療法士として働きながら、里山の暮らしを続けています。
仕事で四方八方に行き詰まりを感じ、「私が本当にしたいことはなんだろう」と自問する日々が続いていた頃、手に取ったのが高坂勝さんの『減速して自由に生きる』でした。
“生きる力は農にある”という言葉に惹かれ、暮らしを見つめ直すきっかけになったといいます。
そんな中ふと思い浮かんだのが、
「自分で育てたお米に、自分で作った納豆をのせて食べてみたい」
という夢でした。
強い動機というよりは、暮らしの方向を示す最初の気づきだったそうです。
その後、SNSで目に入った氷見市久目の**トランジション合宿(1泊2日)**に参加。地域の暮らしや人とのつながりに触れ、「氷見で暮らす」という選択が現実味を帯びていきました。
さらに、氷見市役所が主催する自然栽培塾で、NICE FARM の廣さんが講師を務める講座にも参加。農に関わる時間が増え、氷見へ通う日々が続く中で「ここで暮らしたい」という思いはますます強くなったといいます。
半年ほど悩んだ末、氷見への移住を決めました。
移住にあたって困ったこと
最初の壁は家探しでした。
空き家は多いものの、雨漏りや修繕が必要な家も多く、条件の合う家を見つけるのは簡単ではありませんでした。
一度は大きな家に住んだものの、山が近く、猪に畑を荒らされたり、モモンガが屋根にぶつかる音がしたり、大きなネズミが出たりと落ち着かない日々もあったそうです。
最終的に出会えた今の家は、論田熊無藤箕(ふじみ)づくり技術保存会・坂口忠範会長から紹介されたもの。
吉野さんは「受け継がれてきた技術を絶やしたくない」 という気持ちから藤箕づくりに関わるようになったといいます。
藤箕(ふじみ)とは

竹と藤を編み、自然素材のみで作る頑丈な箕(穀物の脱穀・選別に使われる農具)。
室町時代から続く技術で、富山県氷見市論田熊無地区で受け継がれてきました。
平成25年には国の重要無形民俗文化財に指定され、後継者育成にも力を入れています。
移住後の生活と周囲の環境
移住後、坂口会長とのご縁から田んぼを借りることができ、お米づくりにも挑戦。
自分で育てたお米は無事に収穫できました。

さらに、大豆から発酵させる本格的な納豆づくりにも挑戦。
納豆は思った以上に難しく、温度管理や微妙な発酵具合にとても苦労したそうですが、
「自分で育てたお米に、自分で作った納豆をのせたい」
という夢を叶え、「美味しくできました」と嬉しそうに話してくれました。

生活面では、最寄りのスーパーまで車で30分、コンビニまで15分ほどですが、育てたお米やいただく野菜もあり特に不便は感じないとのこと。
「久目に住んでいた頃は、近所の方からよく野菜をいただきましたね。朝早くに“野菜食べられ~”って持ってきてくれることも」
と笑いながら話してくれました。
熊無でも地域の温かさは変わらないと言います。
移住してよかったこと
「氷見の人は心がおおらかで、せかせかしていないんです」と吉野さん。
“食べてかれ、もってかれ”の精神が当たり前のように息づき、困れば誰かが助けてくれる。そんな優しさに触れ、自分も自然とその姿に憧れるようになったといいます。
移住を考えている人へ
「まずは地域のイベントで氷見に触れてみると、雰囲気がわかると思います」と吉野さん。
熊無地区では、味覚祭のほかに、熊無ウォーク、9月にはキレのある天狗の舞が見られる獅子舞なども行われています。
また、藤箕づくり技術保存会では体験教室も開催しており、手仕事や伝統技術に触れてみたい方にぜひ来てほしい、とのことでした。
インタビューを終えて
自分の気持ちに丁寧に向き合い、暮らしを見つめ直した吉野さん。
氷見で出会った人たちの温かさに支えられながら、「自分の育てたお米に、自分で作った納豆をのせる」という夢を形にしました。
取材を終えて帰る際、坂口会長が焼いた銀杏がそっと置かれていて、氷見に息づく“食べてかれ”の精神を静かに感じました。

吉野さんの氷見での暮らしが、これからどんな風に育っていくのか、とても楽しみです。

WRITERこの記事の投稿者
みけ
富山県生まれ富山県育ちのみけです。おいしいもの巡りとねこ、旅が好きです。今すぐ行きたい!と思ってもらえるような、いきいきとした記事に仕上がるよう頑張ります!






