【ひみ暮らしインタビューvol.1】埼玉から移住した加藤さんご一家

今回から始まる新シリーズ【ひみ暮らしインタビュー】

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えします。

第1回は、今年、家族5人で埼玉から移住された加藤さんご一家。

「移住で一番苦労したのは住まい探しです。」

一体どんな苦労をされたのでしょうか。子育て世代の移住についてお話をお聞きしました。
 


 

ーーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

 

加藤薫さん(以下薫さん):

 加藤薫です。主人の重和、長女のふうか、長男のそうま、次男のりょうまの5人家族です。埼玉県の吉川市から今年の3月に引っ越して来ました。夫は富山市で内装業の会社に勤めています。お家の壁とか、天井とかを張る仕事ですね。

 

ーー埼玉ではどんな暮らしだったんですか?

 

薫さん:

 住宅街の一戸建てに住んでいたんですが、小学校も中学校も近かったですし、お買い物もすぐ行けました。便利なところに住んでいたと思います。こっちはコンビニなんかもちょっと遠いですよね(笑)

 

ーーそうですね。(笑)

  では、利便性を捨ててまで移住されようと思ったきっかけは何ですか?

 

薫さん:

 私の実家が高岡市にあるんです。そこには両親が2人で住んでいるんですが、もう80代と高齢なんです。今後、老々介護になるのが心配で。主人の方は両親を早くに亡くしていて、「富山に残っているお義父さん、お義母さんを2人にしておけない」と言ってくれました。それがキッカケで富山に行こうと考えました。

 

奥さん思いの重和さん

 

ーーえ、お子さんが3人いらっしゃるのに、躊躇はしませんでしたか?

 

薫さん:

 いや、むしろ今しかないと思っていました。長女と次男がちょうど中学校と小学校に上がるタイミングだったので、途中で転校させるのもかわいそうだと思いました。

 それに…正直都会の生活に飽きた、というか、嫌気がさしてきていたんです。渋滞がすごくて。主人は30分くらいの仕事をするために、現場まで往復4時間ぐらいかかるときがあるんです。家を出るときも、帰るときも子供は寝てる時間も多い。だから、家に帰って来ても、子供の起きている時間に会えないということが続いたんですね。それってどうなんだろうって。

元気いっぱいのそうま君とりょうま君

 

ーー移住先をご両親の住む高岡ではなく氷見に決めたのはなぜですか?

 

薫さん:

 東京で開催された富山県の移住フェアがきっかけです。参加した際にいくつかの自治体のお話を聞いたんですが、なかなか条件に合う住まいがなくて…。

 ところが、さぁ、帰ろうかと思った時に、氷見市の方に声をかけてもらいました。氷見は帰省の度に立ち寄っていたので、馴染みもありました。高岡からも程よい距離ですしね。氷見市のブースで、みらいエンジンさんを知ったのはその時です。

 

ーーなるほど、それが氷見への移住の第一歩だったんですね。

  移住をする中で一番大変だったことはなんですか?

 

薫さん:

 住まいの物件探しですね。遠くにいながら探すのは大変なんです。今回大事にしていたのは子供達の学校の環境、通学のしやすさでした。富山は全体的に学校も遠く、雪も降ったりしますし、そもそも初めての土地ですから。子供が通学中にへこたれないか心配で。氷見はハンドボールも有名ですよね。長女のやりたいハンドボール部があるかも気になりました。ですが、埼玉から富山まではなかなか来られないですし、インターネットで探そうにも限界があったんです。インターネット上にすべての情報が載っているわけではないですし、どこに情報があるのかわからないといったケースが多くありました。また、「特殊な物件」が多いんです。

 

ーー特殊な物件?

 

薫さん: 

 実は高岡市でも空き家を探していたんです。学校に近い物件はあったんですが、案内された空き家は、残置、要は以前の居住者の荷物がごっそり残っていたんです。『これ、今日誰か帰ってくるんじゃないの!?』と思うくらい。その他、隣の家とドアで繋がってる、なんて物件もありました。

 

 

そんなことが続いたので、高岡市で探すのは一旦諦めることにしたんです。そこで氷見市のブースで出会ったみらいエンジンさんを頼りにしました。氷見市なら両親がいる実家とも程よい距離なので。

 

ーーやはり実際見てみないと厳しいですね…

 

薫さん:

 そうなんです。こんな状況で物件を自分たちで探すのは限界がありますし、地元のつながりがないと県外者の物件探しは難しいと思います。ただ、みらいエンジンさんにお手伝い頂いた上でもやはり苦労はしました。最初にご紹介頂いた物件は学校まで徒歩15分。埼玉の時は5分でした。小学校に上がったばかりですからね、これでさらに雪が降ろうものなら、子供達は学校行かなくなっちゃうんじゃないかと心配でした。その後も、何件も物件を探して頂くんですが、なかなかいい物件に出会えませんでした。子供達の入学の時期が近づいてきて、今回はもう難しいか…と思った時に、ぴったりの物件をご紹介頂いたんです。間取りにちょっと変わった部分もありましたが、周辺の学校の状況や近所の子供達がどのくらいいるのかも調べてくれて。重要視していた学校や通学のしやすさなど条件が満たされているので満足しています。

ーー氷見での暮らしはどうですか?

 

薫さん:

 どこのうちも玄関が開いているところに驚きました。(笑)

 

一同:

 あぁ~!

 

ふうかちゃん:

 弟の友達が遊びに来たんですけど、鍵が閉まってるのに開けようとして、

「りょうまー!いないのー!?なんで鍵閉まってんのー!?」って。驚きました。(笑)

 

氷見のオープンさに驚くふうかちゃん

 

薫さん:

 あれはびっくりしました。(笑)仕方ないことですけど、インパクトありましたね。あとは魚がやっぱり美味しいです。埼玉にいた頃は近くに海がないですし、鮮度に不安があって、スーパーで刺身を買うことはありませんでした。丸ごと1匹買って捌くか、焼くかですね。でもこっちに来てからは刺身を買う機会が非常に増えました。近隣の住民の方も最近話しかけてくれるようになりました。「子供達おっきくなったね!」って、まだ1年いないんですけどね(笑)

 それってやさしさですよね。

 

ーーなるほど(笑)

  それでは最後に、これから暮らす上で氷見のまちにどんな期待をされますか

 

薫さん:

 優しい子供達が多くてとても良いと思います。クラスに1人ぐらい意地悪な子がいたり、先生を困らせたりする子がいたりするものですが、ここにはそんな子がいない。これは氷見のいいところです。是非、維持して行って欲しいなと思います。

 ただ、空き家なのか、どうなのか、もっとわかりやすければ良いですね。空き家は多いのですが、そこが本当に空いているのかどうかがわからなくて。これらをもっと見つけやすくして、活用できると更に移住がしやすいかと思います。下の子供達もこんなに元気なので、成長に合わせてより良い物件を見つけられたらなと思います。

 

ーーありがとうございました。

 

投稿者: 明石博之

場づくり・まちづくりコーディネーター。広島県因島市(現尾道市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、株式会社地域交流センター企画に入社。東京を拠点に、全国各地のまちづくりプロジェクトのコーディネーションを行う。2009年に同社の代表取締役に就任。2010年に妻の故郷である富山県へ移住した以降は、まちづくりの主体者として、場づくりから、まちの価値を創造するプロジェクトを展開している。古民家のオーガニックカフェ、uchikawa六角堂のオーナー。

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