もっと有名になるべき!大境洞窟住居跡

みらいエンジン活動開始から、ずっと気になっていた場所に行くことができました。北に向かって沿岸の道をずっと走っていくと、大境漁港というとても雰囲気のある漁港があります。ここは全国的にも貴重な歴史が残っている場所。世紀の大発見となった遺跡があるのです!
 

 
どんな大発見かは、もったいぶってみます。はじめて来た大境漁港ですが、かつて漁業を中心に栄えた当時の雰囲気がたっぷり残っていて、ちょっと萌えました。このとき、海の香りを嗅ぎながら、思いっきり深呼吸してみたくなりました。目の前に空が広がっていて、排気ガスもない、誰も通っていない、でも人の営みは感じる…、こんなとき幸せを感じます。
 

 
見てください!この番屋の雰囲気、最高ですね。番屋とは漁業で使う作業小屋です。自然な漁具の並び方がこれまたフォトジェニックです。カメラでパシャパシャ、色々な角度から撮りまくりました。デザインの仕事をしていますと「これ、いつか、何かに使える」と思って素材集めがクセになるんです。こんな調子で、本題に行くまで、随分と寄り道をしてしまいました…。
 

 
正面から階段を登り、社に向かって手を叩こうと思ったら、設置してあるセンサーが作動して、その音にビックリ。別に悪いことをしているわけではないのですが、すぐに社から離れて、脇道を通って奥に進みました。
 

 
ここが、大境洞窟住居跡です。横着をして既存の説明文章を引用します。
 
<きときとひみどっとこむ>——————————————————————–
灘浦海岸に面した縄文中期から近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。現在の床面は海面より約4m高くなっています。
発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されています。
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つまり、縄文時代と弥生時代の順番を決定づけた証拠が残っていたという貴重な遺跡なのです!縄文時代から中世までの出土物がきれいに6層に分かれて上下積み重ねられていたのが良かったみたいです。私はここに凝縮された氷見のカルチャーを感じます。縄文時代からこの洞窟に人が住み、魚を獲って食べていた、しかも、長い年月に渡り、その時代のスタイルで、ここに暮らしがあったのです。スゴイことですよね。縄文時代の人は、沖まで出ることができなかったため、今のようにブリは食べていなかったのではないか、という資料を読んだことがあります。今は寒ブリで有名な氷見なのに、当時の氷見人は美味しい魚が近海を通過しても獲る術がなかったなんて、なんだか切ない気持ちになります。
 

 
もっと有名になってもいいのじゃないか?!と思う場所です。そして、この感動を胸に、まっすぐ帰るわけにはいきません。古くて見ごたえたっぷりで漁師町の風景を探しに、カメラとともにお散歩をして帰ります。

投稿者: 明石博之

場づくり・まちづくりコーディネーター。広島県因島市(現尾道市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後、株式会社地域交流センター企画に入社。東京を拠点に、全国各地のまちづくりプロジェクトのコーディネーションを行う。2009年に同社の代表取締役に就任。2010年に妻の故郷である富山県へ移住した以降は、まちづくりの主体者として、場づくりから、まちの価値を創造するプロジェクトを展開している。古民家のオーガニックカフェ、uchikawa六角堂のオーナー。

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