2019年 みらいエンジン新年のご挨拶

新年、おめでとうございます!IJU応援センターの明石です。

昨年末は、氷見にUターンした松木佳太さんが経営する宿「イミグレ」を貸切にさせて頂き、会社の忘年会をしました。美味しいものを沢山味わい、若いスタッフたちは朝まで大騒ぎをしていたようです。1年の締め括りに相応しく楽しい時間を過ごすことができました。本当におススメの宿ですから、皆さんぜひ泊まってみてください。

2019年は、平成の時代が終わり、元号が新しくなる年ですね。そして、新しい元号になる翌年、2020年には東京オリンピックが開催されるため、様々な分野や業界では急ピッチで準備が進んでいます。まさに、新しい時代の到来を予感させる新年となりました。

昭和生まれの私は、これで3つの元号を経験することになりますし、生きている間に国内で開催されるオリンピックを見に行くことも可能になります。

ちなみに、昭和と平成の時代の節目となった大きな出来事として、バブル経済の崩壊がありました。私が高校生のときに年号が平成となり、大学生のときにバブルが崩壊しました。学生時代は、日本が永遠に経済成長し、夢のような未来が待っているのだと信じて疑いませんでした。その象徴が「東京」だと思い、都内の会社に就職しました。

入社してからは、地域活性化のコンサルタントをしていたため、都会中心の経済事情には、まるで無頓着でした。実際に、地方自治体の財源は厳しいと言いながらも、一部のリゾート施設などを除いて、まちに十分元気がありました。逆に東京に居たほうが不景気な話が多く、「ハードからソフトの時代へ」、「モノより心の時代に」、「地方の文化を大事に」などの言葉をよく耳にして、経済低迷と時代の変化を肌で感じました。

2000年になっても、東京は相変わらず不景気なムードでした。一方、地方はバブル経済の恩恵をあまり受けていないため、「しぼみ方」も緩やかな気がしました。このような構図が見えるようになると、この先の人生の軸足が都会にあるということの怖さを感じました。

何か大事なことに気づいて、何かを成し遂げたいと思ったとき、それができる人間になれるのか、不安になったものです。そして、世の中の経済的な豊かさと、自分の人生の豊かさとは、あまり関係がないということがわかったのが35歳の頃。もう、東京に住んでいる意味を完全に見失っていました。

ひと昔前であれば「地方へ行く人=負け組」のような捉え方をしている人が少なくなかったように思いますが、今や地方へ移住し、自分らしい暮らしを手に入れたり、やりたかった仕事を見つけたり、自分で起業したりと、どちらかと言うと地方移住にプラスのイメージが定着するようになりました。

平成の時代は、インターネットの普及をバックグラウンドに、かつてない情報量の交流が行われましたが、この時代を象徴するモノがインターネットから生まれました。地方へ移住することが世の中の当然の流れであり、社会から肯定的に受け止められるべきことだ、という風潮をつくれたのもSNSをはじめとするインターネットサービスのお陰だと言っても過言ではありません。

今振り返ってみますと、地方へ移住したのは、何かを成し遂げる手段として地方という場所を選んだと思います。都会は、自分ではどうにもならない大きな力に左右されてしまい、それが大きなリスクだと感じるようになりました。
何かを成し遂げるために、今や都会である必要はないんです。あらゆる社会インフラが、田舎の端っこまでも整備され、情報や交通の流通に困りません。また、あらゆるコストが安いですし、多くのマーケットに参入余地があります。チャンスとアイデア次第では、自分でマーケットをつくることもできます。

私は、次の元号の時代は、グローバルとローカルが共存、融合する社会になると思います。国内において、地方と都会の対比のような狭い視野の話ではありません。都会にはこれからより多くの人たちが集まってきます。今までと違う点は、世界中から、かつてない規模の人数の人たちが日本を訪れるということです。一時的な観光客だけではなく、仕事で数年間滞在する海外の人も多くなると言われています。

ホテルならまだしも、日本の人口が減るのに、なぜあんなに沢山の高層マンションをつくっているのか?と思われる人もいると思いますが、東京をはじめとする都会に、高層ビルが沢山建設されているのは、そういった需要があるからだそうです。

地方にいても、グローバルな交差点をつくれる可能性が十分にあります。近い将来、地方においても、お客さんや同僚、隣人や友人のなかに、外国人が沢山いるという日常が当たり前になると思います。IJU応援センターとしても、外国人が移住してくることを、当たり前のようにお迎えできるようにしなければなりませんね。

私どもとご縁のあるすべての方々へ、本年もどうぞよろしくお願い致します。

タマル場の日常vol.6 2018年、スタート!

新年、明けましておめでとうございます!
推進代表の明石です。みらいエンジンは、年明け5日から元気に営業を開始。本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 
富山県は、正月早々、曇天のグレーウィッシュな冬空が続き、大して積もるほどではありませんが雪が降る日もありました。しかし、時折見せる青空がいつもにも増してありがたく、そして神々しくも感じたものです。東京に住んでいた頃は、正月といえば晴天という勝手なイメージを持っていましたが、ここでは、当たり前に享受していたことが、実は奇跡的なことである、ということに気付かされます。
 
正月は旧暦の2月にあたり、立春の頃「初春」とも言いますが、北陸の2月はお世辞にも春を感じるとは言い難い季節です。強いて言えば、いよいよ春が恋しくなる季節でしょうか。
 
前置きが長くなりましたが、年明けに酒を飲みながら、雪降る空を眺めて考えたことがあります。氷見、広くは富山県って居心地いいなと…。私は富山県の西部、しかも沿岸部に魅せられた人間です。その理由は、とってもベタなお話ですが、立山連峰の景色です。もう7年以上、ほぼ毎日のように見ていますが、海越しに眺める3,000m級の山脈の景色は飽きることがありません。
 
時には違和感を感じるほどクッキリと、SF映画の3D映像のように見えます。山脈というより巨大な壁です。また時には黒くて重い雲の隙間から現れた山脈が朝陽に照らされ、幻想的な光景を作り出します。なんだか、いつも「守られている感じ」なのです。多分、世界でここだけだろうこのロケーションが、この地を好きにさせてくれました。
 
あとは、伝統的な街並みというよりも、昭和レトロと言ったほうがしっくりとくる街並みが、各地に面的に残っていることです。こういった地域が古い、寂しい、退屈というイメージで語られ、若い人が去り、高齢化が進んでいます。そして、空き家の増加は止まりません。私は、これをチャンスと捉えています。地価が安くて、何をはじめるにもローコストで出来る点が素晴らしいと思います。
 
さらにさらに、北陸新幹線の終着地であり、北陸で一番の観光都市である金沢がある程度完成されている街であることに対して、氷見をはじめとする富山県の各所は何においても「余白たっぷり」です。誤解を恐れずに言うならば、強力なライバルが少なく、ポジション取りが比較的しやすい、ということです。お金を使う時には使うという県民性が、いいサービスが育つ土壌を支えています。一方でサービスに対して厳しい目を持っています。ちなみに、富山県の外食洋食部門の一人当たりの消費額は、石川県を抜いて全国上位です。
 
最後に、大事なことを1つ。それは1つ1つの評価項目が「そう低くない」ために、総合点が高いということです。ニュースを見ていても、大事件や大事故が少ないこと。町を歩いていても、怖そうな人や話が通じそうにない人が少ないこと。酒場でケンカや迷惑行為をするような人が少ないこと。車のクラクションを鳴らす人が少ない、無理な割り込みをする人も少ないこと。乱暴に話す人が少ないこと。などなどの印象を持っています。日々の暮らし、商売で嫌な思いをする場面が少ないと思うのですが、これって本当に珍しいことではないでしょうか。時には「あれ、これの人、全然人の話を聞かないし、無礼な人だな…」と思ったら、県外出身者だったりする可能性が高いです。
 
このように色々考えてみますと、ローカルで起業したい、とくに飲食や観光業をやってみたいという人は、けっこう向いている土地なのではないかと思うのです。基本的に、どんな分野でも供給側が不足しています。本格スパイシーなカレー屋、オシャレなカフェ、オーガニックレストラン、レトロ家具屋、セレクトが自慢の古本屋、古民家をリノベしたゲストハウス、海沿いのスポーツサイクル専門店、アレンジ上手な花屋、などは、例えば都会である程度の経験と実績があれば、地域ナンバーワンになれます。
 
私は、みらいエンジンの他、本業でまちづくり、場づくり(店舗・シェア拠点など)のプロデュースをなりわいとしていますので、氷見で起業したい方は、色々とお手伝いできると思います。それが、みらいエンジンの強みでもあります。
  
今年も、色々な方との出会いを楽しみにしています。
 

古川歩 アトリエ移転記念「海と空」展@まちのタマル場

今年、氷見にアトリエと住居を移転したアーティストの古川歩さん。それを記念して、この度、タマル場で個展を開催する運びとなりました。古川さんは、ご自身のことを「美術家、造形作家、陶芸家、ナンデモ屋」と称して活動をされています。作品を見るとわかりますが、ジャンル問わず、色々な形で表現しているのが特徴のアーティストさんです。
 
高岡市に生まれ、県外で活動をされて後、富山県に戻ってきました。その後、富山市八尾の廃校をアトリエに約20年間、この地で活動を続けました。ところが、その建物を取り壊すことになったため、次の創作の場を探していたときに古川さんと出会いました。「ずっと山に居たから、今後は海のまちがいいなぁ」とおっしゃっていたのですが、結局ご縁のあったのは、同じく、山間の廃校になった建物です。そして、そこをアトリエとして改修され、氷見での創作活動をスタートされました。
 

 
古川さんの作品は、少年の頃に遊んだ山や空き地、工場の敷地、線路脇のような場所を連想させます。(私だけかもしませんが…)これから始まる楽しい未来、ワクワクする人生、永遠に成長し続ける自分、そんな気持ちが溢れ出てきます。
 


 
じゃ、古川さんって、どんな人なの??と興味を持った方はぜひ、開催期間中、作品を見に来て下さい。作品販売も行っています。さらにさらに、オープン初日の10月27日(金)の18:30から、ご本人も参加して頂く交流会を開催する予定ですから、ぜひとも、ご参加ください。それで、古川さんについて、ですが、やっぱり永遠の少年のような方だなと思います。氷見に移住してどんな暮らしをしているのか、氷見のまちを古川さんがどう見ているのか、聞いてみたいですね。ホントに気軽に参加できる場なので、ぜひとも!
 

 
実は、レストランの内容のデザインなどもされているのです。表現活動という領域であれば、素材や場所の制限はなく、何でもやってしまうのですね。まさに「ナンデモ屋」さんです。陶芸は、基本的に大きな作品が多いのでしょうか、カタマリ感があって、自由な雰囲気の造形、どんな空間にあっても負けない力強さがあります。
 

 
写真が小さく見えづらいですが、こちらが古川さんです。
 
さてさて、そんなわけで、氷見に移住してきたアーティスト、古川歩さんのアトリエ移転・記念個展が下記のとおり、はじまります!皆さんのご来場、ココロからお待ちしております。
 
期間:2017年10月27日(金)~11月7日(火)/水・木曜は休み
時間:10:00~18:00 ※初日は14時頃から
場所:まちのタマル場(氷見市中央町5-7)

オープン交流会:10月27日(金)18:30~ 参加費2,000円(軽食と飲み物)※アルコールは別途実費
参加ご希望の方は23日までに電話orメールにてご連絡ください。

住宅街にひっそりと佇む、焼き菓子 粉糖kotoさん

 
代表の明石です。ずっと気になっていたお店に、やっと行くことができました。私は、化学調味料とか保存料が苦手で、世に言うアトピーの傾向があります。食べ物には人一倍気をつけて生きている人間ですから、食材の安全にこだわっているお店や商品が日常的に気になります。
 
今回、移住者に向けて発信するパンフレットを刷新するにあたり、カルチャーのある店のひとつとして「焼き菓子 粉糖koto」さんを紹介させて頂くことになり、こちらに取材にうかがいました。実は、この取材がはじめての来店ではなく、ひとりこっそりとお菓子を買いに来たことがあるんですが、そのときはさらりとフツーのお客さんとして来てしまいました。
 

 
どれだけ原材料にこだわっているかと言いますと、保存料は一切使用しておらず、北海道産小麦粉、きび砂糖、国産バター、丹波黒豆きなこ、西表島産黒糖、徳島県産和三盆、富山県氷見産はとむぎ、有性卵、イタリア産海塩などを使う徹底ぶりです。私の苦手な膨張剤も、やさしいものを使っております。
 
安全とか安心など言わなくても、お菓子としてかなり美味しいものですから、純粋に粉糖kotoさんが好きな方が多いのですね。最初は、何気ないお話をしていたものの、このこだわりの根元がどこから来ているのか、それを聞きたくてウズウズしていました。ズバリお聞きしたところ、「松本のクラフトフェアに出店したかったから…」という意外な答えが返ってきました。
 

 
その話の前に、まず、粉糖kotoさんの歴史から。まず最初にお店をオープンしたのは、なんと、まちのタマル場のすぐ近く、まちなかの小さな店舗ではじめたそうです。それから、もう少し広い場所を求めて、今度はロードサイドの目立つところへ。氷見市内から雨晴海岸を通過して、トンネルをくぐる前のあたり。以前はもっと幅広く料理をするようなお店をしていたそうです。今でもその建物は健在で、別の方がカフェを経営されています。で、それから、今の場所に移転されたそうです。
 
もともと、食材にはこだわりがあったそうですが、当たり前のように良い素材を選んでいたそうです。その理由は、いい材料を使うと美味しくなるから。とても説得力がありますね。あえて、安全とか安心とかというアピールはしなかったようです。ところが、先ほどの松本のクラフトフェアに遊びに行ったとき、転機が訪れました。その場の雰囲気がとても良くて、「私たちもここへ出店したい」と思ったそうです。色々調べてみたところ、ここへ出店するには厳しい審査があり、オリジナル性やインパクト、こだわりといったアピール力がないと審査をパスできないそうなのです。そこで、安心安全の素材にこだわっていることを徹底してアピールしたら、無事に審査を通過、晴れてクラフトフェアに出店できることになったそうです。
 

 
これがキッカケとなり、以前から当たり前のようにこだわっていた材料の事をあえて全面に出すようにしたそうです。そこのところがグッと来ました。ストーリーが素敵すぎです。ちなみに、翌年のクラフトフェアに、同じようなアピールをしたところ審査に落ちてしまったそうです。人気があるイベントなので、審査は本当に厳しいようですよ。
 

 
店内にはカフェスペースもあり。ゆったりくつろぐこともできます。アイスコーヒーも美味しかったです。仕事柄?私はついお店の内装も気になってしまうのですが、粉糖kotoさんの店内はなんとも可愛らしくオシャレです。昔の店で使っていた家具や廃材を一部利用したそうですが、それがまた使い込まれた古さの演出につながっていて、とっても素敵です。ショーケース、テーブルやイス、看板、置物などがお店の世界感を作り上げていて、落ち着きのある空間になっています。
 

 
焼き菓子 粉糖koto
address:富山県氷見市諏訪野4-21
tel:0766-72-0134
open:10:30~18:00 火曜定休

もっと有名になるべき!大境洞窟住居跡

みらいエンジン活動開始から、ずっと気になっていた場所に行くことができました。北に向かって沿岸の道をずっと走っていくと、大境漁港というとても雰囲気のある漁港があります。ここは全国的にも貴重な歴史が残っている場所。世紀の大発見となった遺跡があるのです!
 

 
どんな大発見かは、もったいぶってみます。はじめて来た大境漁港ですが、かつて漁業を中心に栄えた当時の雰囲気がたっぷり残っていて、ちょっと萌えました。このとき、海の香りを嗅ぎながら、思いっきり深呼吸してみたくなりました。目の前に空が広がっていて、排気ガスもない、誰も通っていない、でも人の営みは感じる…、こんなとき幸せを感じます。
 

 
見てください!この番屋の雰囲気、最高ですね。番屋とは漁業で使う作業小屋です。自然な漁具の並び方がこれまたフォトジェニックです。カメラでパシャパシャ、色々な角度から撮りまくりました。デザインの仕事をしていますと「これ、いつか、何かに使える」と思って素材集めがクセになるんです。こんな調子で、本題に行くまで、随分と寄り道をしてしまいました…。
 

 
正面から階段を登り、社に向かって手を叩こうと思ったら、設置してあるセンサーが作動して、その音にビックリ。別に悪いことをしているわけではないのですが、すぐに社から離れて、脇道を通って奥に進みました。
 

 
ここが、大境洞窟住居跡です。横着をして既存の説明文章を引用します。
 
<きときとひみどっとこむ>——————————————————————–
灘浦海岸に面した縄文中期から近世にいたる洞窟の複合遺跡で、奥行35m、入り口の幅16m、高さ8m。波浪によってできた海食洞で第三紀鮮新世の石灰質岩盤。現在の床面は海面より約4m高くなっています。
発掘は大正7年(1918)、洞窟内にある白山社改築の際、多数の人骨、獣骨、土器類などが出土したことから、本格的な調査が行われました。この発掘によって縄文文化と弥生文化の時間差が分かったほか、縄文期の大型石棒・石庖丁や、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)が注目を集め、日本の考古学史上に残る遺跡として評価されています。
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つまり、縄文時代と弥生時代の順番を決定づけた証拠が残っていたという貴重な遺跡なのです!縄文時代から中世までの出土物がきれいに6層に分かれて上下積み重ねられていたのが良かったみたいです。私はここに凝縮された氷見のカルチャーを感じます。縄文時代からこの洞窟に人が住み、魚を獲って食べていた、しかも、長い年月に渡り、その時代のスタイルで、ここに暮らしがあったのです。スゴイことですよね。縄文時代の人は、沖まで出ることができなかったため、今のようにブリは食べていなかったのではないか、という資料を読んだことがあります。今は寒ブリで有名な氷見なのに、当時の氷見人は美味しい魚が近海を通過しても獲る術がなかったなんて、なんだか切ない気持ちになります。
 

 
もっと有名になってもいいのじゃないか?!と思う場所です。そして、この感動を胸に、まっすぐ帰るわけにはいきません。古くて見ごたえたっぷりで漁師町の風景を探しに、カメラとともにお散歩をして帰ります。

おいでや!いなか暮らしフェア(大阪)参加レポート

7月29日(土)、大阪天満橋OMMビルにて、ふるさと回帰センター主催の移住フェアが開催されました。みらいエンジンとしては初の大阪会場への参加!今回は南砺市さんと1つのブースを分け合う格好になるため、弊社からは明石一人が参加。始発のサンダーバードに乗って、慣れない大阪の地で乗り換えを間違えながら会場に到着しました…。
 

 
実は、みらいエンジンの活動を開始して以来、大阪から問い合わせが一件もありません。ところが、ホームページの閲覧分析をしてみると、大阪からアクセスは比較的多いのです。この状況をいつも疑問に思っていました。そういう意味で今回の参加は、どんな反応、出会いがあるか、とても楽しみにしてきました。
 

 
会場全体の来場者数は、主催者発表によると1,904組(3,259名)、昨年よりも大幅に増えているそうです。関東と同じく、地方に移住したい人の傾向は年々増えているのですねー。途中、途中、一緒に来た氷見市役所の赤倉さんに交代してもらい、会場リサーチを。全体を見回してみると、地方自治体の事業イメージが持っていた、一時の「ダサさ」のようなものが感じられません。どの市町村ブースもスマートで、デザイン性が高くなっています。ブースを見学しているだけでも楽しいです。会場に陳列してあったチラシやパンフレット類を見ても、かなり魅力的な媒体に仕上がっています。
 

 
こちらは富山県ブースです。県単位の統一感や雰囲気づくりはとても重要ですが、全国的にそれぞれの地域が頑張っているので、いい意味での競争が働き、とてもいい感じで、活動や情報発信の仕方の底上げがされている気がします。素晴らしいです。みらいエンジンも頑張らねばなりません。
 

 
会場には若い方が多く、ある程度地域を絞って来ている方のように思えました。関東で言う長野や静岡のように、関西の場合は和歌山とか高知あたりの地域に沢山の方が足を運んでいました。オシャレな若いカップルが多い一方、真っ赤な短パンにアロハを来た“おっちゃん”とか、アニマル柄のTシャツをきた“おばちゃん”を見かけると、さすが大阪やなと、嬉しく思いました。
 

 
氷見ブースには、3組5名の方にお越しいただきました。数字としては決して多くないのですが、その3組の方と内容の濃いお話ができました。ちょっと氷見に興味がある、もっと知りたい、こんな事を希望しているが可能か、という細い糸をぐっと手繰り寄せ、太いロープのようなつながりを作るのは、まさにこういった場の役割です。その最前線にいるという自覚を高めてくれるのが、移住フェアでの交流です。ちなみに、明石が大事にしていることは、相手の話を聞く事、自分のことを知ってもらうことです。この部分のやりとりをなくして、氷見のことを知ってもらう、ニーズに対応するというのは、単なる情報処理作業にように思えます。自分がデザインのことをやっているので、移住を応援することをデザインしていると思えば、とてもしっくりきます。
 
この日の出会いが次につながりますよう。

LOCAL LIFE in HIMI ・暮らしの体感ツーリズム♫ 参加者募集!

まちのイベントに参加して、氷見の新しいカルチャーを感じる移住体験

 
この度、今の氷見を感じてもらうために、ユニークな体感イベントを企画しました。それは、最近はじまったばかりの「うみのアパルトマルシェ」の準備や当日運営の一部をお手伝いしてもらいながら、氷見のカルチャーを感じるプログラムです。その他、空き家バンクに登録している物件の見学、みらいエンジンおすすめのスポットを巡るツアーを予定しています。まずは私たちと友達になってください。あなたの参加をお待ちしています。
 

8月19日(sat)・20日(sun)

空き家と、マルシェと、まち歩き

定 員:10名(地方暮らしに興味のある方)
参加費:おとな10,000円(小学生以下は無料)
※宿泊費・食事代は含まないため、実費精算でお願いします
主 催:氷見市IJU応援センター「みらいエンジン」
集 合:まちのタマル場(19日13:30)
 

プログラム

19日(sat)

●氷見のミニ講座/まちの特徴や文化について、ざっくりとわかりやすく紹介(質問コーナーあり)
●まちの散策・空き家見学/カルチャーを感じるオススメのスポット、すぐに借りれる・買える空き家めぐり
●ツナガル交流会/根っからの氷見人、氷見で商いをしている人たち、Iターン・Uターンの先輩移住者、など

20日(sun)

●マルシェのスタッフ体験/イベント全体の運営にかかわる準備や来場者対応、出店者のサポートなど
●二日間のふりかえり/参加した皆さんの体験・感想をシェアします

 

うみのアパルトマルシェとは

氷見に移住した若者たちが、レトロな商店街ビルに親しみをこめて「海風アパルトマン」と呼ぶようになりました。海風が吹き抜ける商店街で、なかまと遊び、なかまと出会う、じぶんたちの手でつくる“遊び場的”マルシェです。「うみのアパルトマルシェ」とは

申し込み方法

〆切:8月14日(月)

emailで下記の必要事項をお知らせください。 info@himi-iju.net
①全員の氏名・年齢 ②代表者の住所・ケータイ番号 ③emailアドレス・その他希望の連絡手段(LINE・FBメッセンジャー等)④出身地 ⑤参加動機

 

お問合せ先・集合場所

氷見市IJU応援センター「みらいエンジン」

[office/salon] 富山県氷見市中央町5−7
まちのタマル場 tel:0766-54-0445
Open:9:30−18:30 水・木曜日が定休


 

余白いっぱいのまちに移り住み、自分らしさをクリエイト。

 
氷見市は富山県の北西部、能登半島の付け根に位置する人口約5万人のまちです。定置網漁で栄えた漁師町を中心に、三方を山に囲まれ、いくつもある谷間の川沿いには数多くの里山集落があります。この場所に息づく長い歴史と文化の中に若くて新しい息吹を吹き込んでいきたい、先人に敬意を表しつつ新しい時代の新しい文化を皆さんと一緒につくっていきたい、そう思います。
 

 

ー人生が変わる、キッカケになるかもー

【ひみ暮らしインタビューvol.1】埼玉から移住した加藤さんご一家

今回から始まる新シリーズ【ひみ暮らしインタビュー】

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えします。

第1回は、今年、家族5人で埼玉から移住された加藤さんご一家。

「移住で一番苦労したのは住まい探しです。」

一体どんな苦労をされたのでしょうか。子育て世代の移住についてお話をお聞きしました。
 


 

ーーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

 

加藤薫さん(以下薫さん):

 加藤薫です。主人の重和、長女のふうか、長男のそうま、次男のりょうまの5人家族です。埼玉県の吉川市から今年の3月に引っ越して来ました。夫は富山市で内装業の会社に勤めています。お家の壁とか、天井とかを張る仕事ですね。

 

ーー埼玉ではどんな暮らしだったんですか?

 

薫さん:

 住宅街の一戸建てに住んでいたんですが、小学校も中学校も近かったですし、お買い物もすぐ行けました。便利なところに住んでいたと思います。こっちはコンビニなんかもちょっと遠いですよね(笑)

 

ーーそうですね。(笑)

  では、利便性を捨ててまで移住されようと思ったきっかけは何ですか?

 

薫さん:

 私の実家が高岡市にあるんです。そこには両親が2人で住んでいるんですが、もう80代と高齢なんです。今後、老々介護になるのが心配で。主人の方は両親を早くに亡くしていて、「富山に残っているお義父さん、お義母さんを2人にしておけない」と言ってくれました。それがキッカケで富山に行こうと考えました。

 

奥さん思いの重和さん

 

ーーえ、お子さんが3人いらっしゃるのに、躊躇はしませんでしたか?

 

薫さん:

 いや、むしろ今しかないと思っていました。長女と次男がちょうど中学校と小学校に上がるタイミングだったので、途中で転校させるのもかわいそうだと思いました。

 それに…正直都会の生活に飽きた、というか、嫌気がさしてきていたんです。渋滞がすごくて。主人は30分くらいの仕事をするために、現場まで往復4時間ぐらいかかるときがあるんです。家を出るときも、帰るときも子供は寝てる時間も多い。だから、家に帰って来ても、子供の起きている時間に会えないということが続いたんですね。それってどうなんだろうって。

元気いっぱいのそうま君とりょうま君

 

ーー移住先をご両親の住む高岡ではなく氷見に決めたのはなぜですか?

 

薫さん:

 東京で開催された富山県の移住フェアがきっかけです。参加した際にいくつかの自治体のお話を聞いたんですが、なかなか条件に合う住まいがなくて…。

 ところが、さぁ、帰ろうかと思った時に、氷見市の方に声をかけてもらいました。氷見は帰省の度に立ち寄っていたので、馴染みもありました。高岡からも程よい距離ですしね。氷見市のブースで、みらいエンジンさんを知ったのはその時です。

 

ーーなるほど、それが氷見への移住の第一歩だったんですね。

  移住をする中で一番大変だったことはなんですか?

 

薫さん:

 住まいの物件探しですね。遠くにいながら探すのは大変なんです。今回大事にしていたのは子供達の学校の環境、通学のしやすさでした。富山は全体的に学校も遠く、雪も降ったりしますし、そもそも初めての土地ですから。子供が通学中にへこたれないか心配で。氷見はハンドボールも有名ですよね。長女のやりたいハンドボール部があるかも気になりました。ですが、埼玉から富山まではなかなか来られないですし、インターネットで探そうにも限界があったんです。インターネット上にすべての情報が載っているわけではないですし、どこに情報があるのかわからないといったケースが多くありました。また、「特殊な物件」が多いんです。

 

ーー特殊な物件?

 

薫さん: 

 実は高岡市でも空き家を探していたんです。学校に近い物件はあったんですが、案内された空き家は、残置、要は以前の居住者の荷物がごっそり残っていたんです。『これ、今日誰か帰ってくるんじゃないの!?』と思うくらい。その他、隣の家とドアで繋がってる、なんて物件もありました。

 

 

そんなことが続いたので、高岡市で探すのは一旦諦めることにしたんです。そこで氷見市のブースで出会ったみらいエンジンさんを頼りにしました。氷見市なら両親がいる実家とも程よい距離なので。

 

ーーやはり実際見てみないと厳しいですね…

 

薫さん:

 そうなんです。こんな状況で物件を自分たちで探すのは限界がありますし、地元のつながりがないと県外者の物件探しは難しいと思います。ただ、みらいエンジンさんにお手伝い頂いた上でもやはり苦労はしました。最初にご紹介頂いた物件は学校まで徒歩15分。埼玉の時は5分でした。小学校に上がったばかりですからね、これでさらに雪が降ろうものなら、子供達は学校行かなくなっちゃうんじゃないかと心配でした。その後も、何件も物件を探して頂くんですが、なかなかいい物件に出会えませんでした。子供達の入学の時期が近づいてきて、今回はもう難しいか…と思った時に、ぴったりの物件をご紹介頂いたんです。間取りにちょっと変わった部分もありましたが、周辺の学校の状況や近所の子供達がどのくらいいるのかも調べてくれて。重要視していた学校や通学のしやすさなど条件が満たされているので満足しています。

ーー氷見での暮らしはどうですか?

 

薫さん:

 どこのうちも玄関が開いているところに驚きました。(笑)

 

一同:

 あぁ~!

 

ふうかちゃん:

 弟の友達が遊びに来たんですけど、鍵が閉まってるのに開けようとして、

「りょうまー!いないのー!?なんで鍵閉まってんのー!?」って。驚きました。(笑)

 

氷見のオープンさに驚くふうかちゃん

 

薫さん:

 あれはびっくりしました。(笑)仕方ないことですけど、インパクトありましたね。あとは魚がやっぱり美味しいです。埼玉にいた頃は近くに海がないですし、鮮度に不安があって、スーパーで刺身を買うことはありませんでした。丸ごと1匹買って捌くか、焼くかですね。でもこっちに来てからは刺身を買う機会が非常に増えました。近隣の住民の方も最近話しかけてくれるようになりました。「子供達おっきくなったね!」って、まだ1年いないんですけどね(笑)

 それってやさしさですよね。

 

ーーなるほど(笑)

  それでは最後に、これから暮らす上で氷見のまちにどんな期待をされますか

 

薫さん:

 優しい子供達が多くてとても良いと思います。クラスに1人ぐらい意地悪な子がいたり、先生を困らせたりする子がいたりするものですが、ここにはそんな子がいない。これは氷見のいいところです。是非、維持して行って欲しいなと思います。

 ただ、空き家なのか、どうなのか、もっとわかりやすければ良いですね。空き家は多いのですが、そこが本当に空いているのかどうかがわからなくて。これらをもっと見つけやすくして、活用できると更に移住がしやすいかと思います。下の子供達もこんなに元気なので、成長に合わせてより良い物件を見つけられたらなと思います。

 

ーーありがとうございました。

 

氷見市、海・川・公園の一斉清掃!!

氷見に移住したときに役立つ、大事な情報です!!
 
氷見市では、毎年7月の第一日曜日を「氷見市一斉清掃の日」として、早朝から市民が市内全域の海岸・河川・公園・公共施設周辺で、清掃や草刈を行います。なぜ、大事な情報なのかと申しますと「町内の人たちと仲良くなるチャンス」だからです!上の写真は、町内の公民館前の様子。地元の方々が「ご苦労さーん」と気軽に声をかけてくださり、話がはずみます。「これから納涼祭もあるから、ぜひ顔だしてねー」とか、「盆踊りは、誰も踊らなくなったから止めてしまった…」など、色々な事を話をしました。
 

 
まちのタマル場があるのは、漁港のすぐそば、今町という町内会です(住所で言うと中央町)。なので、清掃エリアは漁港周辺の海岸沿いの道路になります。当日は小雨、皆さんカッパを着たり、タオルを頭に巻いたりしての参加、世間話をしながら楽しそうに草むしりをしています。
 

 
こちら、まちのタマル場に月の半分、東京から来てもらっているスタッフの茨木さん。カッパの準備がなかったので、傘をさしながらの参加です。近くに居ながらも普段なかなかお会いしないご近所の方に顔を覚えてもらうチャンスでもあります。作業をしている方には、誰にでも気持ち良い挨拶をするのはお忘れなく!
 
ちなみには私は、清掃から帰ってきて、タマル場がオープンするまで、ひと眠りしました。(明石博之)

新春特別企画、鍋をかこんで未来をつつく[レポート]

年が明けて2017年1月2日に開催した新春特別企画から、みらいエンジンはスタートです。「いずれは故郷の氷見に帰ってきて暮らしたい」と心のどこかで考えている方、「氷見に帰りたいけど、やりたい仕事が見つからない」と半ばあきらめムードの方、そういった方々を対象に、昔とは違う今の氷見の「雰囲気」、そして、未来の「可能性」を感じていただく場を企画しました。
 
場所のことを考えますと、定員15名程度かなと思っていたのですが、当日の飛び入り参加も含めて、なんと20名以上の方が来てくださいました!年末年始で帰省されている、首都圏で活躍されている氷見出身の方々、氷見への移住を考えているご家族、いずれ氷見に帰って来たいと思っているご夫婦。そして、最近Uターンしてきた若者や地域おこし協力隊としてIターンしてきた若者、さらに地元の方々。
 

 
多少の主観をご了承頂きますと、現在、都会で活躍されている若者が口々に語っていることは「Uターンしたいけど、仕事ってないでしょ」ということに尽きます。一方では「好きな仕事はないかもしれないけど仕事ならある、今の仕事が自分に最適なのかわかる人は少ない」など、大変興味深い話が飛び交いました。
 
地元にやりたい仕事がないから都会に出た、という人が、故郷に帰ってくる動機がないという話をよく聞きます。しかし、多くの若者は、学生時代に接した氷見のイメージが固定化され、当時の氷見が今の氷見のまま、時間が止まっている気もします。だからこそ、このような機会をつくり、多くの方が氷見に魅力を感じて、実際にこうして移住していきている、戻ってきているという姿を見ていただき、意見を交わしてほしいと思うのです。
 
私(明石)の生まれ故郷である広島県尾道市は、昔の尾道と大きく違います。まちづくりや観光で全国的に注目されるまちになり、確実に子供の頃にインプットされたイメージではありません。小さな小さな世界で生きた子供時代、また社会性が足りない学生時代に帰省して見たまちとは異なり、とても魅力的でした。若者でもチャンスがあるかも?!と期待できる場所です。その一方、氷見市は、これから変わろうとしている段階にあると感じます。まだまだこれから伸びる余地のあるまち、今だったら一番手として新しいことが始められる、そんな可能性さえ感じます。
 
ある方に「やりたい仕事はないかもしれませんが、仕事のやり方を変えることはできませんか?」という話を投げかけてみました。つまり、個人事業主になったり、都会でつくった人脈を活かして、氷見に仕事を持ち込んだり、という選択肢です。都会の会社に就職して、高いコストで生活をする、仕事もある一定以上の規模で仕掛けないと商売にはならない、そのような認識が地方での生活や仕事にも当てはまると考えている方は、案外多いように感じています。
 
そして、その投げかけに返ってきた答えが「ある一部の優秀で特殊な人間でなければ、個人事業主にはなれない」でした。ここに大きなヒントがあると実感しました。細かい話になり恐縮ですが、例えば、都会で月収35万円もらって、生活コストが月30万円掛かっているのであれば、氷見で月収20万円を得て、生活コストを15万円に抑えることが可能ではないかと。そのために事業として稼ぐ売上が月30万円とすれば、この規模の起業の可能性は沢山あると思います。そのための実践的な起業ワークショップって、氷見で出来るのではないかと思いつきました。
 
皆さんを見送っている際、多くの方から「氷見が変わった、こういう場をもっと企画してほしい」と嬉しい言葉を頂きました。
参加して下さった皆さん、誠にありがとうございました。みらいエンジン、頑張ります!