起業をお考えの方に強い味方!氷見市ビジネスサポートセンターのご紹介!

移住をご検討の方の中には、「移住後は自分でビジネスを起こしたい」と考えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実際、みらいエンジンには年間何組も企業の相談があり、実際に起業された方々もいらっしゃいます。

新しく事業をスタートさせるにしても、別所でやっていた事業を移転するにしても、まったく知らない土地でのビジネスには不安がつきもの。
お客さんはいるのだろうか、地域に受け入れられるだろうか、困ったときに助けてくれる仲間はいるのだろうか…そんな想いが巡ってもおかしくありません。
もちろんこれまでもみらいエンジンとしてもそうした方々の力になれるよう応援させていただきますし、今後も応援していきますが、どうしても専門的な内容までは踏み込めないことがありました。
しかし6月より市内事業者の経営相談・支援に特化した組織『氷見市ビジネスサポートセンター Himi-Biz(ヒミビズ)』がオープンしました!
売上げアップ、販路開拓、商品開発、資金繰りなど……経営におけるあらゆる悩みに親身になって寄り添いながらともに解決を目指すというなんとも心強い相談窓口。
そしてなんと…相談無料!!
一度限りでなく成果が出るまで何度でも相談に応じてもらえるというから驚きです。

というわけで、私たちみらいエンジンスタッフもできたてほやほやの事務所にお伺いしてきました。

ビジネスサポートセンターがあるのはみらいエンジンのある事務所と同じ商店街の通り沿い。空き店舗を改装した事務所となっております。
「売上アップの頼れる味方!」の文字が本当に頼もしい!

中に入ってみると明るくて清潔な印象です。緑が多いのもリラックスできますね。
カウンター手前にはちょっとしたキッズスペースもあり、お子さん連れでも相談に来られそうです。

出迎えてくださったのはセンター長の岡田弘毅(おかだひろき)さんと一川有希(いちかわゆき)さん。この日はいらっしゃいませんでしたがもう一名のスタッフさんと3名が主なメンバーとなります。
マスク着用はもちろん、クリアパネルを設置するなどウイルス感染対策もバッチリです。
(ちなみに来所時には設置の除菌スプレーによる手指の消毒も!)

この日はセンターの役割についてご説明をうかがうとともに、気になっていた質問を……
「Himi-Bizは市内の事業者が対象ですが、移住を検討中の方は相談できるのでしょうか?」
それに答えて岡田さん、
「ぜひご相談ください!」
ここでも頼もしいお言葉をいただくことができました!
冒頭で書いたような移住後のビジネスへの不安に対して、市内の市場状況を踏まえつつ、各種支援施策の紹介などもご提案いただけるとのことです。
こちらのHimi-Bizではセンタースタッフだけでなく、必要に応じて各種の専門家とも連携することで、ワンストップでのコンサルティングをいただけるそうですので、とにかく困ったら相談してみるのが吉ですね。
いたれりつくせりなサービス内容だけに、既に多くの事業者から相談が舞い込み、対面での相談はおよそ一ヶ月待ちの状態であるとか……納得です。

さらにさらに、こちらのHimi-Bizにはもうひとりの頼れるキーパーソンが席を構えています。

昨年10月「エリアマネージャー」に就任した坂本是広(さかもとこれひろ)さん。氷見の中心市街地活性化に向けて氷見まちづくり協議会で活動しています。
まちなかににぎわいをもたらすため、情報発信から事業誘致、イベント企画などなど、様々な取り組みを行っている坂本さん。
その活動の一端は、先日オープンしたWebサイト『ひみ街物語』でみることができます。氷見で事業を行っている経営者さんたちの姿もみられますので起業を考えている方は要チェックです。
もし移住後にまちなかでビジネスをしてみたいということであれば、坂本さんが強力な応援者になってくれることでしょう!

いかがでしたでしょうか?
移住を検討中で、すぐにでも相談したい!と思った方も多いかと思いますが、起業についてまだ「どうしようかな…」と考えているという方もいらっしゃると思います。
そんな方はひとまずみらいエンジンにご相談いただくとよいかもしれません!
我々移住応援センターはビジネスサポートセンターとしっかりと協力して参りますので、状況に応じてスムーズに接続させていただきます。
さあ、あなたも氷見でビジネスはじめてみませんか?

【コーヒーハウス・マイケル】「懐かしい」は居心地が良い

つい何週間か前まで都会に住んでいた私にとって、飲食店とはただ食事をする場所でした。
しかし、氷見に来てから私にとってそれは、店主とのちょっとした会話を楽しみ、心からリラックスする場へと変化したのです。

この変化が起きるきっかけの一つがマイケルさんでした。

移住して間もない時、私はどこへ行くのも緊張しており、マイケルさんにいった時もそれは同じでした。

お店の中に入ってみると初めてなのになぜか懐かしい印象。
店主さんはどんどん話しかけてくるのではなく、料理の合間に優しい笑顔で話しかけてくれる感じでした。
そして私はいつの間にか自然体で食事とコーヒーを楽しんでいたのです。

なぜこうもリラックスしていられたのか、自分でも考えつつ店主さんにお話を伺ってみましたのでご覧下さい

ーー中央町商店街で喫茶店をやろうと思ったきっかけはなんですか?
店主:お喋りが好きだったから! 当時ママ友とゆっくり話せる場所が欲しくて始めました。
氷見は漁師町だからそのうち漁師さんやサラリーマンのお客様が増えて、しっかりした食事もある今の形になっていきました。

ーーお店のコンセプトみたいなものはありますか?
店主さん: ママ友向けに始めた時から、来てくれた人には安らげる場所を提供したいと思ってたかな。
漁師さんやサラリーマンのお客様が増える中で、いつも忙しくて娯楽とかができない方のために当時人気だったテーブルゲームなどを置くようになりました。


取材日にもテーブルゲームで遊びにきたお客様が!

そして、ここでマイケルを始めるきっかけにもなったママ友さんが登場!!
お店で飾れる手作りの置物を持ってきてくれたみたいです。
本人の写真はNGとのことでしたが置物は撮らせていただけました!

すごいクオリティですよね!!

何十年もの付き合いということで、せっかくなのでママ友さんにもお話を伺ってみました。
ーー店主さんはどんな方ですか
ママ友さん:誰にでも分け隔てなく接してくれる人! 長い付き合いの私もお客さんとして接してくれるし、他のお客さんにも全員同じように優しく接してくれるところが好き!

他の席にいたお客様もうんうんと頷いています。
店主さんはとても恥ずかしそうでしたが、これには私も納得です。
「私が初めて訪れた時、他の常連さんと同じように接してくれたから初めてきたお店のように感じなかったのか。」
「その優しい気遣いが私にどこか懐かしいような印象を与えたのだな。」と腑に落ちました


みなさん自分の家のようにくつろぎ、世間話をしています。

話が変わりますが、新型コロナウイルスの影響は受けていますか?
店主:かなり受けています。お店も閉めなければと思うけどこの店を楽しみにしてくれている人もいるので難しいところです。今は消毒や換気に気を使って営業しています。

ーー今後テイクアウトやヒミイーツの利用など考えていますか?
店主:お店を回しているのが私一人だから新しいことに手が回らない状態です。でもこんな状況だからお客様からご要望があればできる限り応えたいと思っています。

ーー最後にこれからのマイケルさんや商店街について何かお願いします。
店主:商店街のお店の中には跡継ぎがいない高齢の方が経営しているお店があります。私も含めそういった方々は歳を取るごとに元気がなくなっているのでそこは心配です。でも跡継ぎがいるお店や若い方が始めたお店もあるので悪いことばかりでもないと思っています。
個人としてはお店に来てくれる人がいる間は頑張ってここでやっていきたいと思っています。

取材が終わり帰り際に「美味しいからぜひ食べて。」と氷見うどんを渡してくれました!
こちらは氷見の名物ですがまだ食べたことがなかったので大興奮です!!
移住したばかりの私のことを気遣って頂き、涙が出そうです。。
本当にありがとうございます!!

今回の取材で店主さんの気遣いを知り、お客様に愛される理由が分かった気がします。
そして私自身、地域おこし協力隊として氷見市にやってきましたが、誰かの力になるよりもこうして力を分けて頂くことの方が断然多いです。
このような方々に少しでも恩返しができるように一層頑張らなければと心から感じました。


こちらが私のおすすめ、焼きチーズカレーです!
みなさんも感染拡大を乗り越えた暁にはぜひマイケルさんに行ってみてくださいね!!

【コーヒーハウス・マイケル】
氷見市中央町14−4

【氷見のひみつのひと②】地元で生きる報道人たち~地域メディア特集~

東京の大学生が氷見で出会った素敵な方々にインタビューするシリーズ【氷見のひみつのひと】。
今回は第二弾!地域メディア特集と題し、普段は氷見の方々を取材している地方紙記者と地元ケーブルテレビのカメラマンの計お二方にお話を聞いてきました!

一人目は地元ケーブルテレビ「能越ケーブルネット」の制作技術部課長・中島英樹さん。同社は平成3年に氷見市で設立された会社が母体となり、現在では氷見市と石川県羽咋市・穴水町・珠洲市でケーブルネットテレビのサービスを提供しています。氷見エリアでは「ひみちゃん9(ナイン)」というチャンネルで一日分の番組を編成し、基本的には毎日同じ編成で放映されています。

同社が特徴的なのは地元からの依頼を積極的に受け入れて取材をしていること。市役所からも次々にFAXが送られてくるほか、個人から依頼されて話を聞きに行くこともあるそうです。幼稚園の元園長先生からもよく取材の依頼が来るのだとか。
また「北日本新聞」のニュースを伝える番組を用意しているほか、「富山新聞」氷見総支局長をスタジオに招いて時事や市政について解説してもらうレギュラー番組があるなど、地元の新聞社さんとの繋がりも深いです。

最近印象的だったエピソードは新型コロナウイルスの影響で開催中止になった第15回春の全国中学生選手権大会(通称春中ハンド)の一件。開催中止が2月28日(土)に決まり、1週間ごとで用意していた番組の中には「ハンド出場学生を激励!」というような内容も。中島さんは当初内容を変えるか迷ったそうですが、視聴者から学生たちを気遣う電話を受けたことで気持ちを切り替え、一日で該当する箇所を差し替えたそうです。
「普段から一本でも視聴者からの電話があれば極力対応します。それが地元の強みだと思うので」と中島さんは言います。

中島さんは大学卒業後に映像技術の専門学校で学び直し、その後は千葉・愛知などのケーブルテレビで経験を積んできました。取材する上で大変なのが基本的に一つの番組を一人で担当するため、取材に一人で行かなければいけないこと。イベントの際は一台のカメラを定点で置き、もう一台を手で持って動くなどの工夫をしているそうです。「本当は他の地方テレビみたいに二人組の方がお互い学び合えていいけど、氷見みたいに自分の裁量で番組を作れる環境も気に入っています」と話します。専門学校卒業後は映画製作などに関わることもできましたが、『氷見のケーブルテレビ』という今の環境の居心地が良く、今でも仕事を続けられているそうです。

実は「能越ケーブルネット」を主導し、中島さんも深くかかわっていた富山県内の各放送局が協力して作った作品が「日本ケーブルTVアワード」という全国のケーブルテレビが軒を連ねる大会で、2020年2月に今年度のグランプリに選ばれたのだそうです!
今後は氷見の名士・浅野総一郎や剣豪の斎藤弥九郎などこれまであまり製作が出来ていなかったドキュメンタリーの分野で取り上げていきたいと言います。


過去の番組を記録した貴重な資料を特別に見せていただくことができました

一見クールな中島さんですが、言葉の端々から報道や「伝えること」への思いがにじみ出ていました。これからも素敵な番組を作ってくれることを期待しています!

さて、二人目は「富山新聞」氷見総支局長の水上良さんです!

鋭い眼力にきびきびとした話し方、まさに「ザ・報道人」という風貌です。
元は富山県の城端(じょうはな)という場所で生まれ育ちましたが、関西の大学で法学を学ぶうちに自然と政治や法律のことに関心が向き、「地元で記者になりたい」との想いから富山新聞社に入社、30年以上地域の報道に携わってきました。

ここで富山県内の地方紙の状況について少しまとめておきます。現在富山県では富山市に拠点を置き、富山全域をカバーする「北日本新聞」と石川県金沢市に本社を持つ北國新聞社を母体に石川・富山をカバーする「富山新聞」が二大勢力としてしのぎを削っています。富山県内での購読者の割合はそれぞれ4:1ほど。しかし後述する理由により、氷見での購読の割合はちょうど1:1ほどなのだとか。

水上さんが語る地方紙の魅力はずばり「記者の裁量を最大限に発揮できること」。地方の支局では人数も限られているため、個人個人の裁量で取材内容を扱うことが求められます。
例えば行政や政治に関心のある水上さんですが、市の予算案が決まる時期に毎年予算案での争点について大きく取り上げた記事を書き続けていると、次第に他の地方紙も良く取り上げるようになった、ということもあったそうです。
ケーブルネット同様、地方紙では地元の人々や会社から取材の依頼を受けることが多くあると言います。取り上げてもらう先を探す氷見の方が最後の砦としているのは多くの場合「富山新聞」。一つ一つを小さく記事で取り上げるうちに膨大な分量になってしまうこともしばしばあるそうですが、こうして地元との縁を大切にする報道を続けていたことで「富山新聞」が氷見の中で一定の読者層を獲得してきたことに繋がっています。

北陸内で様々な支局を渡り歩いてきた水上さんによれば、「氷見はネタがたくさんある街だと感じる」とのこと。海越しの立山連峰や季節ごとの絶景を始め、氷見は掘れば掘るほど魅力があるように思えるそうです。
「自分は氷見が好きだから、いつまでも現場で取材を続けたい」と語る水上さん。ハードな記者という仕事にあって、地元へ貢献したいという一心で仕事を続けてこられた姿勢に心を打たれました。

これからも芯の通った水上さんらしい記事が読めるのを楽しみにしています!

皆さんも明日から身近な地方紙・ローカルテレビなどの地域メディアに改めて注目してみては?きっと作り手の想いや記者の人間味がどこかに感じられるはずです!

*    *     *
 
そして、今回が最後の記事となりますので、ここからはこの12日間で考えたことや感じた様々なこと、たとえば「氷見の雰囲気」「世界について」「移住」などなど…について、徒然なるままに言葉にしてみようと思います。
少し長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

「氷見の雰囲気」について

私が氷見にきてから感じる街の空気というのは、最初に氷見駅に降り立った瞬間も終わりを迎えようとしている今もあまり変わりません。

その土地の気候や風土というのは滅多なことで変わるものではないし、「空気」や「雰囲気」というものは、そこで過ごしてきた人々の在り方が長い年月をかけて空気に染み込んでいくものだと自分は考えています。

氷見に来てから、北陸特有のどんよりした気候に気分がふさがることもあったし、例年より随分ましだと言われても、身に染みる夜の寒さがやはり嫌になる日もありました。

ですが人間に対してだって同じように、「捉え方」は変わるし、深まるものであると思うんです。モヤモヤする所がいくつかあっても、たった一つの突破口から印象ががらりと変わることがあります。

私の場合、それは空でした。

「みらいエンジン」でも過去多くの方が氷見の風景について書かれていますが、普段曇りがちな天気が続くだけに、晴れたときの氷見の青空は本当に綺麗です。

しんと透き通った空気に、快晴のもと海越しに見える立山連峰。
その風景を眺めながら海岸沿いの道を自転車で走り抜けていると、何だか日頃の悩みも全部全部飛び去っていくようでした。

氷見の空気は、あえて言葉にするならば「少し気難しいけれど、優しくて愛おしい」感じ。もちろんこれは完全なる主観ですが、私にとって大事な、また訪れたい場所であることに変わりはありません。

「移住」について

「移住」というものに対して、正直まだ学生である自分にはリアリティを持って感じられる話ではないし、きっとこれからもしばらくはそんな状態が続いていくことでしょう。

もっといろいろなものを掴んで、勉強して、たくさんのものと巡り合う中で立ち位置を見つけて、「自分という人間」を作り上げていかなくてはいけないと思うし、一度は広い世界を見なくてはいけないと思うのです。

でももし、そうして何年も過ぎて、人生に疲れてしまったとき、死にたくなるほど嫌なことがあった時、もしくは新しい一歩を踏み出したくなった時、きっと「氷見」は優しく受け入れてくれると私は感じています。

都会に住み続けている人からすれば、「移住」というのは本当に、本当に、すごく勇気のいることなのではないかと思います。

でも「田舎で暮らすこと」は本当に別の世界の話なのでしょうか。
それは決して逃げじゃないし、違う世界の話でもない。あくまで、どこで生きるのかを選ぶライフスタイルの選択の一つではないかと自分は思うのです。

とはいっても、世界は別にここしかないわけではないし、氷見に来たら最後、ここに骨を埋めなければいけない、というわけでもないのだと思います。

ただ一つ、その人にとって数あるうちの「ふるさと」に氷見がなったら嬉しいなと自分は考えています。

大人になってから新しい土地に来る人は特に、「その町の人とどれだけ出会えるか」「その町をどれだけ好きになれるか」を通して、自分のいる場所にどれだけ意味や価値を感じ、その土地がどれほど自分の心休まる居場所だと思えるようになるかが大切なのではないかと思います。

今回私たちワーホリ生のお世話をしてくれた『みらいエンジン』の藤田さんも、元は都会で働いていましたが、大企業に所属してお金を稼ぐという「自分のためだけにしか生きようがない」日々が無性に空しくなったのだといいます。
「でも、ここでなら、自分が頑張ることで自分の身の周りの環境がちょっと良くなる。地域のみんなにハッピーになってもらえて、それでお金がもらえる。それは、会社勤めをしていた自分からするとすごく素敵なこと」…と、ある時ラーメンを食べながら藤田さんがぽつりと語っていた言葉が印象に残っています。

「すぐに移住しなければ」とか、そういう話ではないけれど。
でも、「こういう世界もある」「こういう場所もある」と知って、心の引き出しを増やしておくこと。それはきっと案外すごく大切なことで、ふとした瞬間に救いとなり得るのかもしれません。

END
*      *       *
…とりとめのない文字の海を最後までお読みいただき、ほんとうに感謝しています。

あいまい過ぎ!とか、1回目の記事とテンション変わり過ぎじゃね?とか、色々なご指摘がありましょうが、あれらもこれらも全てすべて、田矢が伝えたかった氷見の姿なのでございます。

最後になりましたが、今回このような機会を与えてくれた『みらいエンジン』さん、並びに素敵な出会いをくれた氷見の皆さんに心からお礼を言いたいです。

それでは、キトキトな氷見でまた皆さんと会えることを願って!

【氷見のひみつのひと①】日本に数名だけ!?木造和船の継承者

みなさんこんにちは!
今回からは2回に分けて【氷見のひみつのひと】と題して東京の大学生である私が氷見で出会った素敵な方々にインタビューした内容をまとめていきたいと思います!

第一弾は、こちらの笑顔が素敵な74歳現役船大工「番匠FRP造船」の番匠光昭さんにお話を伺ってきました~!

ところで皆さん、1回目の記事で市立博物館を訪れたとき、館内に数多くの木造和船が展示されていたのを覚えていますか?

こうした船も番匠さんが市の学芸員さんなどから依頼を受け、修繕や作成をしたものです。

元をたどれば、縄文時代の丸木舟からおよそ7500年以上続いてきた日本の木造和船の歴史。各地で多くの和船が作られてきましたが、氷見のような日本海側の地域では太平洋側の地域と異なった「オモキ造り」と呼ばれる造船技術が育まれました。
船の種類については、以前にも記事で紹介しています。よろしければ「氷見の木造和船の話」をご覧ください。

木造和船造りが衰退する以前は木材を切り出す山のきこり・接着剤となる漆を扱う職人さん・のこぎりを扱う船釘を造る職人など地元の職人同士が繋がり、様々な人が協力しながら船を作っていたそう。

しかし現在主流の「FRP(ガラス繊維強化プラスチック)」製のFRP船を作る際は「問屋から材料を下ろして、造船所で船を造る」という単純な構図にならざるを得ないそうです。しかも、和船よりも格段に長持ちするため頻繁に修理をする必要がなく、FRP船が台頭してから船大工さん達は次々と職を失っていったそうです。「いやぁ進化したのか退化したのか分からんねえ」と番匠さんはからっとした笑顔で笑います。

自身もFRP船を中心に作っていた時期があるそうなのですが、化学製品独特の匂いよりも木の香りに包まれながら作業する方がやはり好きなのだとか。木材も氷見産の杉やあすなろを多く使うため、造る際に地元と一体になっていると感じるのがとても気持ちが良いそうです。


にこやかに船の説明をしてくれる番匠さん


造り始めたばかりの船。土台となる木の板を切り出しています

ここ最近で一番印象的だった仕事としては、とある映画の撮影に参加したことだそう。

セットで使うために貸し出された和船を工房から現場まで運んだそうなのですが、スタントとして呼ばれた川の渡し舟の船頭たちが海の荒波での撮影に全く対応できていなかったため、監督の計らいであれよあれよと言う間に番匠さん自身が船頭役の服を着せられて撮影が始まり、結局映画の中に登場することになったとか。

「たまげたけど、主演女優の子を間近で眺められたからオッケーだね」とニカっと笑う番匠さん。思わず爆笑してしまいました。

ですが、それほど海で木造の船を乗りこなすのは難しいことなのだそうです。実際に沖へ出るのであれば空や風、星を正確に読む技術も必要となっていきます。


作業場の風景

また、1隻の木造和船を造るのに通常は木の乾燥を含めて1年ほどの時間を掛かるそう。現在は1年後までに計3隻の依頼が入っており、今年はかなり大忙しの年にになりそうだとのことです。
ちなみに1隻は名門・開成学園の伝統ある水泳部から。OBさんが海で日本泳法などの指導をする際に使用するそうです。10年前にも同部から依頼があり、その完成度に大満足したOBさんを中心に再び依頼を受けたのだとか。

そして残りの2隻の依頼は長崎県の五島列島から。「1年で3隻を一人で作るのはさすがに無理がよ」と番匠さんが伝えると、「それなら知り合いで見込みのある職人を弟子として行かせるから、二人で頑張ってくれ」と依頼者の方に言われ、引き受けることにしたそうです。

そんなこんなで今年の3月、つまりつい先日番匠さんの下にやってきたのがこちらで懸命に作業をしている須藤聖一さん。

高校で木工建築を学んだ後は京都でのこぎりの「目立て」の職人を10年ほど続けていましたが、今回の話を良いきっかけに氷見へ来ることを決めたそうです。
出身の札幌にほど近い石狩や小樽の日本海を見慣れていたため、氷見の風景にも親近感が湧くそう。番匠さんを「親方」と呼び、早くも師弟の絆が築かれつつあります。

目立て用の作業スペースを番匠さんの工房の一角に作ったとのことだったので、せっかくなので見せてもらうことに。

「目立て」職人の仕事はのこぎりの切れ味を蘇らせること。最盛期には素人には修復不能になったのこぎりが次々と持ち込まれていたそうです。

しかし、最近では使い捨てのこぎりが普及するにつれて活躍の場が減ってしまいました。須藤さん自身すら「いずれこの職業が無くなるのは目に見えている」と客観視するほど現状は厳しいですが、「それでも少しでも僕たちのことを頼りにしてくれる人がいるなら、最後まで自分たちは頑張りたい」とまっすぐな目で話してくれました。

昔から木造の船を作る船大工さんは自分の大工道具を自分で手入れし、また目立ての職人さんも切れ味を確かめるために木材を試し切りで扱ってきました。「のこぎりの修理」と「造船」。まったく別物に思える技術にも、実は少なからず繋がりがあります。

どちらも絶滅危惧種と称されるほど今や希少な技術ですが、「僕のように誰か一人でも繋いでいく人が必要だと思うし、時間をかけて出来ることを少しでも増やしていきたい」と話す須藤さん。

若い世代が減る一方の職人の世界では本当に頼もしい存在なのではないでしょうか。「身に付ける技術に天井はありませんから」と笑って話す横顔がとても爽やかでした。


のこぎりを手に「目立て」の仕事について語ってくれる須藤さん。

*     *        *


趣のある薪ストーブ

ここで少し休息。船の廃材を利用した薪ストーブで沸かしたコーヒーをいただきました。


おちゃめな番匠さんとティータイム。

お茶を飲みながら、番匠さんが色々な話をしてくれます。一番印象に残ったのはご自身の過去についての話です。

番匠さんは元々栃木生まれ。親戚の家に養子に出されて以来、氷見で育ちました。

15歳で船大工だった父親に弟子入りするも7年後に大喧嘩。家を飛び出し、そのまま福井の造船所で3年間働いていたこともあります。父親に呼び戻されて再び働いたものの、数年後にまたもや意見が対立して大喧嘩。

この時は氷見市内に自分の工場を立てたことでひとまず事が収まりましたが、しばらくすると60歳近くになっていた父親が病気を患い、船を作り続けることが困難になりました。

とうとうもう何日も生きられないとなった時…「今度大きい船の依頼が入ったんだが、親父の工場を使っていいかい」と番匠さんが尋ねると、父親からは「ああ、自由に使ってくれ」との返答が。

―死の間際に、ようやく親子は和解することが出来たのでした。

番匠さんが74歳になった今も使う工房はまさに父親が使っていた場所そのもの。父親の死後移転することなく40年以上使い続け、多少の増改築を重ねながら現在の「番匠FRP造船」に至っています。


52年間の職人人生を振り返り、お父さんとの思い出を語ってくれました


昔から変わらずこの場所にある番匠家の工房。

不覚にもこの田矢、このお話を聞いた時にはさすがにうるっと来てしまいました。普段何気なく目の前を通っていた建物にそんな過去があったなんて…

そんな番匠さんに今後の夢を聞くと、「早く隠居したい」とのお答えが。えーこういう時は『一生現役』とかじゃないんですかと言うと、「だって疲れるんだもん (笑)」とお茶目に笑った番匠さん。いやー最近は次の依頼でやめようと思ったらまた次の依頼が来るのよーと心なしか嬉しそうに嘆いています。「でも、須藤くんみたいに若い人に教えるべきことはすべて教えたいね。それがきっと自分のやるべきことだから」と目をしっかりと見据えて話す様子からするに、番匠さんが現場を離れる日はまだまだ先の話のようです。


須藤さんの作業を見守る番匠さん。これからが楽しみです

*     *       *
番匠さんがつくったテンマ船は年に一回、湊川沿いの桜並木が満開に咲くころに開かれるお花見の遊覧イベントに利用されます。
船に乗りながらお花見が出来るなんて、なかなか雅なコラボではないでしょうか?ちなみに私が工房を訪れた際に番匠さんが作っていた船もこのテンマ船でした。
今年の開催は4月11日、12日。
詳細が分かり次第またリンクを張ります。今後の情報も要チェックですね。

歴史と世代を越えて番匠さんたち船大工の想いが一心に詰まった「氷見の木造和船」。氷見に来た際にはぜひ一度実物を見ていってほしいと思います!

(参考文献)
氷見市立博物館「特別展 ドブネ復元-日本海沿岸の船づくり-」2019年

信念と、改革と。町のお豆腐やさん

町の豆腐店と聞いて思い浮かべるのは、水の張られた容器から丁寧に豆腐を掬う職人の手と、蒸された大豆の湯気。
しかし最近のお豆腐屋さんはどうやら、サラダやデザートまであるらしい。

見習い相談員の岸本です。
氷見市の中心市街地に位置する商店街の中に、「さがのや」さんというお豆腐屋さんがあります。筆者宅からすぐ近くなので、ずっと気になってはいたのですが、聞けば、どうやら京都の料亭で修業した板前さんがお店を継ぎ、豆腐だけでなくお惣菜やデザートを手掛けているとか。
気になる……!
そんなわけで行ってきました。

かねてより、若いご夫婦が色々なメニューを展開していると聞いて、気になっていたのです。

氷見駅からは徒歩約8分程度。
朝9時半から開店し、商品が売り切れ次第終了との事だったので、早めの時間に行ってみました。

さがのやのご主人に写真撮影をお願いしたところ、照れて恥ずかしがっていらっしゃったので、手元だけ撮らせていただきました。
京都のご出身との事ですが、話していてあまり京都訛りは感じませんね。
氷見に来て10年。身も心も言葉もすっかり氷見人といったところでしょうか?
初めに氷見に来た時の印象を聞くと、「立山が綺麗で感動した」「ブリが美味しかった。塩焼きが本当に美味しい!」と、景色、そして食の豊かさがやはり印象に残ったようです。
他にも、「スーパーの半額シールのお刺身でも美味しい」、「焼き魚の骨付きのはちめ、イシダイが当たり前なことに驚いた」、「赤巻き蒲鉾が何にでも入っているのが不思議だった」、「氷見牛メンチカツが美味しい」など、やはり板前さんだけあって、ついついグルメチェックが捗ったようです。

それでは、氷見の人の印象はどうだったのでしょうか?
ここでご主人の口から飛び出したのは、「氷見の人の「分かったよ」という口癖が素敵だなと思った」という言葉。
筆者、氷見生まれ氷見育ちですが、「分かったよ」という口癖を特に意識したことは無かったので、この言葉にはとっても衝撃でした。
さらに「気さくな人、穏やかな人が多い」と話すご主人も穏やかな笑顔で、住み始めた当初の事を振り返りながら「近所付き合いで色んなことを教えてもらった。聞きやすい、教えてくれる、みんな親切でいじわるな人がいない」と話してくれました。

そんなご主人、料理人から豆腐屋への転身についてはどうでしたかと尋ねると、急に顔つきが職人のそれに変わります。
「豆腐作りは水とにがりのみ。非常に難しい。商売としては、食に関する職業の人だけでなく、色んな界隈の人たちとの繋がりや付き合いを広げて、多種多様なお仕事をいただいている」
穏やかな表情ながら職人の顔を見せるご主人。
言葉の端々に拘りの強さを感じて、豆腐を作る上でのポリシーを尋ねるとと、「自分の欲しいものより相手のニーズ 」というキーワードが出ました。
「自分がやりたいことよりも、相手のリクエストに応える、相手が求めているものを作るようにしている」、「相手が欲しいものに今までの経験を重ねたり、出店するイベントの空気感や雰囲気に合わせ、和食以外のものも作ったりする」という意外なお答え。
筆者としては、職人というものは絶対に己を曲げず、妥協もしない、といったイメージがあったのです。
ところが、次の言葉を聞いて、大納得しました。
「味に繋がらないことはしたくない」
「ヘルシーさだけを求めて味は二の次で終わるのではなく、美味しさの裏側に素材の良さ、成分の割合があるもの。味に繋がってこそ」
そう力説するご主人。奥さんと試行錯誤しながら作り出すさがのやさんの商品は、大豆の割合が上位、おからや豆乳をふんだんに使用した上で、味も大切にしているのだとか。

ここで「良かったら食べてみてください」と、冬季限定の柚子豆腐が登場。
筆者のテンション、今日イチで最高潮。
「いいんですか!?」と言い終わらない内にスプーンを掴み、いただきました。

ふわふわの見た目からは想像もつかない程、豆の味がしっかりとしているのでお醤油が不要です。
胃に優しそうな温かさで、朝ごはんやあまり食欲の無いときにとても良さそう。そう感じました。
ささやかに拡がる柚子の風味に隠れて、味覚の端で微かに主張する唐辛子の気配。
よーく見ると赤い粒が見えます。

もう一点、試食させて頂いたのは、豆腐の味噌漬け。

一口食べて、衝撃。
「豆腐の味噌漬け」というワードからは想像もつかないくらい、イタリアンなお味と食感。
「週末に、ワイン片手に映画を見ながらおつまみにするイメージで、クラッカーとか野菜に付けて食べてもらえたら」と笑顔のご主人。
分かります。すごくよく分かります。
これは白ごはんじゃない。
今すぐクラッカーにディップしたいです。
味の想像がつかない、という方。ぜひご賞味ください。
筆者の数少ないボキャブラリーを総動員しても「クリームチーズみたい」という事しか言えないのですが、クリームチーズよりもカロリーが低く、胃もたれもせず、まさに、「ヘルシーなだけでなく、味に繋がっている」んです!

大興奮のまま、あっという間に時間は過ぎ去ります。
少しの時間でしたが、豆腐に懸ける想いや商品開発を語ってくれたご主人。
お店を出ようと扉を開けると、目の前に広がった商店街の光景に、試食させて頂いた柚子豆腐の優しい香りの記憶が重なります。
先日、からあげ店を取材した時にも感じた事ですが、商店街とお惣菜の香りって、なぜこんなにも相性が良いんでしょうね。

帰り際に、こちらの商品を購入いたしました。

このボリュームが二つ入りで550円!
食卓に優しいお値段……しかも、外側のあげも中に詰められた具材も全て手作りと分かっているので、安心感があります。
生産者の顔が見えるって大切ですね。
さっそく、夕飯のおかずにしました。
真空状態で冷凍してあるので、袋のまま湯煎します。中火で、だいたい6分~10分程度。

袋を開けてお皿に盛るだけという手軽さにどことなく罪悪感。
こんなに楽でいいんだろうか。
そんな気持ちから逃れるため、見本の写真にならってネギを盛ってみました。

巾着の中には、キクラゲと氷見牛とお餅の3種の具材がぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、箸を差し入れた場所からほろりと零れそうになるキクラゲや氷見牛に、とろとろに溶けたお餅が良い具合に絡んで引き留めます。
あっさりとしているのに、しつこすぎない絶妙なしっかりとした味付け。
上品な口当たりの和風出汁と、罪悪感から添えたネギの歯ごたえがアクセントになって、完食するまでの間に「これが一つ275円だなんて信じられない」を何度言ったか分かりません。
美味しいものを食べ終わった後の、食事に対する満足度が凄かったです。
使う素材選びにも、組み合わせや味のバランスにも、お皿に盛りつけた時の見た目も、全ての工程にご主人のこだわりが息づいているのを感じて、「味に繋がらないことはしたくない」「全ての商品に思い入れがあり自信作」の言葉の意味が分かりました。
インタビューの最中にご主人は「自分は天才タイプじゃない」と仰っていましたが、この味、触感や見た目のバランスはご主人のひたむきな努力や想いの結晶の内のひとつであると確信しました。
そして、こんな風に商品ひとつひとつに想いや信念、こだわりを込めて商売をしている方が、この商店街にはまだまだいらっしゃるのかもしれない、とも。

「さがのや」さん、そして筆者宅のある氷見商店街は、筆者が幼い頃は活気にあふれていて、八百屋の店先には新鮮な野菜が並び、魚屋のショーケースには朝どれの魚や、透明感のある刺身や焼き魚が並び、精肉店からは揚げたてのコロッケの匂いが行き交う人の空腹をつついて誘うように漂っていました。
人の数、ではなく、笑顔や声や足音、そういった『人のぬくもり』がそこにありました。
その記憶も徐々に色あせつつあって、寂しくもあり、時代の流れと共にそれも仕方のない事だと思う気持ちもありましたが、こうして商店街を歩いてお店に入り、作り手から直接商品を受け取ると、人のぬくもりが確かにここに存在している事を感じました。

 

さがのや/(有)坂津豆富店

◇ 定 休 日: 日祝
◇ 営業時間:(月~金)9:30~17:30 (商品なくなり次第終了)
(土)  前日までのご注文のみ受取可

◇ 住  所: 富山県氷見市本町9-4
◇ 電話/FAX: 0766-72-0575
◇ Facebook: @saganoyatofu

氷見の看板になりえる海辺のお店を経営しませんか?

今回ご紹介するのは氷見市中央町にあるテナント物件。
漁港の直ぐ側にあり、正面には公園と海が広がっています。
県内でも有数の集客を誇る道の駅「ひみ番屋街」が橋を渡ってすぐ近くと、商業的にもなかなかの好立地です。

建物の外観はこちら。レトロなかわいい印象ですね。
角に建っており海岸線の道路からもよく見えるため、通りかかる車からも目に入りやすいところもオススメポイント。
昨年末までは1階で食堂が営業しており、氷見うどんなどを中心に観光客のみならず地元の方々にも愛されていました。
そんなお店が閉店することになり、空き物件となるタイミングでオーナーさんがみらいエンジンを訪ねていらっしゃいました。
実はオーナーさんはみらいエンジンの取り組みをWEBなどを通じてご覧になっていたそう。
「せっかく良い立地なのだからできればまちの賑わいに繋がるように使っていただきたい」と移住者さんで開業を希望される方がいれば紹介してほしいとのことでした(もちろん氷見在住の方でもオーケーですが…!)。
そんなオーナーさんの想いに応えるべく、今回はこちらの物件の魅力をご紹介して参ります!

物件については非常にコンパクト。
現在店内はスケルトン状態になっていますので、借りられた方が自由に内装をつくることができます。

しっかりと作り込むのもいいですが、あえて壁などをつくらずインダストリアルな雰囲気にしてもカッコいいかも。
まっさらな空間をみていると想像が膨らんできませんか?

さて、こちらの物件は1階と2階が独立して利用できます。2階へは海に面した側向かって右手の入り口から。
その昔は喫茶店が入っていたとのことです。

2階は長らく空いていたとのことですが、物件最大のオススメポイントは実はこちらかもしれません。

窓からの眺めが最高なんです!
公園や、漁港そして海が見える窓からの景色はこの場所ならではです!
8月の「ひみまつり」のときには目の前の海上から花火が打ち上げられるため特等席なんだとか…!

中を拝見した際には年末まで営業してたお店の看板があり一部窓がふさがっていましたが、2階を使うならこの窓からの景色は是非活かしていただきたいところ。
「カフェにしたら眺めも良くて素敵だろうな」とか「部屋を区切ってちょっとしたゲストハウスにしたら朝日が入って気持ちよさそう」とか、考えるだけでワクワクします。

窓からの様子でもおわかりいただけるかと思いますが、物件の周りはこんな様子。
目の前には子どもたちに大人気のブリを模したかわいい遊具がある公園が。
その奥にみえるのは漁業文化交流センター。こちらはこの春「ひみの海探検館」という愛称でリニューアルオープンする施設です。
リニューアル後は目玉展示となるVRシアターの映像や、定置網と魚のコラボ展示により「海中探検」を体感できる施設となるとのこと。
大人も子どもも楽しく学べる施設として観光客の呼び込みも期待されています。

同じ通りにはお寿司屋さんや焼肉屋さんなども並んでいます。

場所がいいだけにお値段は…と不安に思われるかもしれませんが、そこはオーナーさんと交渉の余地ありです。
まちの賑わいのためにも、お店が継続することが一番。
業態などにより異なることと思いますが無理のない家賃で継続できるよう話し合いで決めましょうとのことです。
まずは「この場所でこんなことをしてみたい!」という熱い想いをぶつけていただければと思います。
細かな条件などの確認など、気になる点はみらいエンジンまでお気軽にお問い合わせくださいませ!!

街の変化と共に。<考えるパンKOPPEができるまで>

皆さん、こんにちは!写真家の北条です。2020年もどうぞ宜しくお願いします。
 
個人的に振り返る2019年は、ここでは語りきれない程の沢山の出来事がありました。3月開催の自身初写真展『. Colour-Full .』に始まり 、7月からは氷見市への移住。新しい出会いや暮らし方など、身の回りの全ての環境が大きく変わりました。この街で生きていくことに対する価値観も日々アップデートされることの連続で、2020年はそれらの実体験を織り込んだ新しい取り組みが始められる勇気が湧き始めています。
 
さて、前々回に公開された記事『街中の明日を「考える」。』は、ご覧頂けましたでしょうか?こちらは、氷見市中央町商店街で新しくお店を構えるご家族『考えるパンKOPPE』さんをご紹介させて頂いた記事なのですが、去年執筆した記事の中でも1番反響があり、嬉しいことに「記事を読みました!」と沢山の声を頂きました。
 
2020年の最初の記事は、この物語の続編。パン屋さんの佇まいすらなかった建物の様相から、どのように変化して行くのか?数回の記事に分けて、読者の皆様と一緒に見守って行けたらと思います。
 

 
時は遡ること2019年11月17日。中央町商店街の通りを歩行者天国にして行われる『うみのアパルトマルシェ』の当日、KOPPEさんを取材させて頂きました。
 
『うみのアパルトマルシェ』の歴史は、さらに時を遡ること2017年7月17日、第1回目のイベントが開催されたのが始まり。元々、中央町と北大町を繋ぐ橋『北の橋』が、老朽化による建て替える工事の通行止めに伴い、商店街の通行量が著しく減ってしまうことへの危機感から生まれたアイデアが、”マルシェ”の開催だったのです。
 

 
<関連記事>
 
氷見にマルシェができるまで【第1回】
氷見にマルシェができるまで【第2回】
氷見にマルシェができるまで【第3回】
氷見の新スポットだニンニン 「北の橋」架け替え完了(北陸中日新聞)
 
そして、2019年12月15日。北の橋は、2016年10月からの架け替え工事を経て、無事開通しました。この時系列と経緯を踏まえて、<考えるパンKOPPEができるまで>の名の下、新しい生命の記録写真をお伝えして行きたいと思います。
 

 

.
.
【考えるパンKOPPEの店舗工事状況(2019年11月時点)】
 
ご覧の通り、骨組みと足場の施工段階で、まだまだ店舗の全貌は分からないのですが、配線・配管などの基礎的な部分は、少しずつ完成に近づいている印象を持ちました。
 
店舗デザインの観点で個人的に好きな部分は、『ひみ里山杉』が使用されていること。氷見の街は海と里山の距離が近いということは、ここで何度もお伝えしているのですが、その恩恵を受けた『ひみ里山杉』を、身近に感じられる場所が増えるのはとても嬉しい限りです。『ひみ里山杉』が持つ明るく優しい色合いの店内で、パンの香ばしい香りと杉の乾いた癒しの香りに囲まれながら、ゆったりとした時間を過ごす風景を一度想像してみて下さい。お店の完成がとても楽しみになるのではないでしょうか?
 

 

 

 

 

 

 

 
クラウドファンディングのページにもありますように、当初のオープン予定は2019年11月でした。しかしながら、職人さんの人手不足やスケジュールの関係上、おひとりで作業を進められているとのことで、お店のオープンは2020年春予定へ変更されました。
 
それでも、職人さんの手仕事はどこを見ても丁寧で、細部まで作り手の心意気が通っていると、上の写真からでも伝わってくるのではないでしょうか?
 

 

 

 
今回、(特に地方で)お店を始めるのは、人材不足・物資物流などの様々な問題に直面することを感じました。さらに、KOPPEさんであったり、木造建築などの特殊なリノベーション案件は、職人さんの技術や経験が不可欠とも伺います。対費用面の問題もありますし、これからの地域社会が抱える問題点が見え隠れするようです。
.
.
 

 
「街はまるで生き物のように変化し続けている。」
 
北の橋が開通して丸1ヶ月が経ち、そう実感しています。車の流れが再び出来て、閉鎖的に感じられた中央町商店街に、フレッシュな空気が送り込まれました。しかしながら、街を歩く人々の流れは出来たのか?『うみのアパルトマルシェ』の時のように、人と人が立ち止まって会話する光景が見られるようになったのか?と問われると、その答えは難しいところです。
 
2020年、『うみのアパルトマルシェ』と過ごした月日からバトンを受け取り、『考えるパンKOPPE』と一緒に歩む新しい時代の扉が開かれる予感がします。KOPPEさんを皮切りに、また新しい風が吹くかもしれません。
 

 
街の変化と共に。

見える化で1年後の目標に近づく!小さな仕事づくりカフェ

小さな仕事づくりカフェ、全2回の内の後編を10月29日に開催しました。

前回、第一回目は、今現在の自分よりも以前、過去を振り返ってみるという内容でした。
■第一回目開催の記事はこちら

『やりたいこと』を思いついたのはいつからで、何がきっかけで、どんな想いだったのか。
無意識の裏側にある自分の本音を見える化して、頭の中でごちゃごちゃになっている思考を整理しよう、というものでした。
原点回帰や初心を思い出すことって大切ですね。
終わった後、参加者さんの面持ちがどことなくスッキリとしていたのが印象的でした。

さて、第二回目となる今回は、今現在の自分よりも先、未来を思い描いていくという内容です。

やりたいことや自分の原点を再認識した後、実現の為に何をどうしていくか。
参加者のみなさんそれぞれに思い描くことがあるようでした。
けれど、それは頭の中だけで、ああでもないこうでもないと考えたり悩んだりを繰り返して、結論が出ないまま思考が中断されて、数日後にまた同じ事をぐるぐる考えてしまう。
同じ悩みを繰り返している事すら、気付かない事もあります。
そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか?

そんな風に、毎日の中で流れていってしまうことを、『書いて言語化』を意識しながら、紙の上にアウトプットして、問題を「見える化」することで、「繰り返されてしまう事に気付く」ということをテーマに、今回は始まりました。

まずは、「現在の自分」を明確にします。
紙を使って、描いても良し、切ったり丸めたり折ったりして立体物にしても良し。
好きなように表現していきます。

出来上がったものを手に持って、同じテーブルの人同士で『今現在の自分』を一人ずつ説明し合います。

なぜその形なのか、なぜその色に塗ったのかを説明しながら、自分が今実際に取り組んでいる事や行動、想いを伝えます。
話し終わると『聞き手』だった人は「どうしてその模様をその場所に描いたの?」など、気になった事を質問していきます。
そうすることで、「本人が気が付いていなかった事」に気付くきっかけになるのだとか。

ある人は紙飛行機を折って、赤く着色し、ジェットが噴出しているロケットを作っていました。
「勢いに乗ってます!」と話すその人からは確かに笑顔が溢れていて、パワーのおすそ分けをいただきました。
またある人は、大小さまざまな色の円を描いて「いろんな思いが交錯しています」と複雑な表情を浮かべていました。
すると自然とテーブル内が、『聞く』モードになるのです。
前回、「『聞き手』は『聞く』に徹する」ということを経験したからでしょうか。
考えている事それ自体に結論を求めようとせず、話し手が「言いたいことを言いきる」まで、話してもらいます。

次に、1年後はこうなっていたいという具体的な自分を思い描いていきます。
どんな風に暮らしていたいか、何をしていたいかなどを、クレパスを使って絵に描き表していきます。
もちろん、正解などないことなので、自由に、思いついたように、頭の中だけで考えている事をアウトプットして、同じテーブルの人同士で、説明し合います。
「もっと勢いが欲しい」「のんびりしていたい」など、思い描く姿は様々ですが、クレパスを触るのは久しぶり!と、みなさんとても楽しそう。
色を重ねて塗っていく内に紙の上で色がどんどん混ざっていくのと同じで、頭の中にある考えを幾つか出してみると、意外な調和だったり、化学反応のようなことが起こって、「なんで今まで気が付かなかったんだろう!」と、話しながらハッとする方もいらっしゃいました。

今回、私がいたテーブルには、「すでに市内でお店を始めた人」「まさにこれから市内でお店を始めるため準備をしている人」「クラウドファンディングをスタートした人」という、お話を聞いているだけでも得るものを多そうな方が揃っていました。
どの方も、私から見れば、やりたいことや夢に向かって着実に進んでいて、順調そうという印象を抱いていましたが、みなさんそれぞれに頭の中にはたくさんの「考え事」を持っていらっしゃって、たくさんの「視点」がありました。

一家の中での父・母としての視点、いち起業者の視点、地元民としての視点、など。
様々な視点を幾つも自分の中に持っていて、その全部で一つの悩みや考えを見るから、どんどん頭の中が複雑になっていく。
そんな印象を受けました。
それを今回、問題そのものを見える化する事で、自分の在り方も感じ取っていたように見えました。

そして、この仕事づくり塾&仕事づくりカフェは、ただ「頭の中をスッキリと整理するため」だけのものではありません。
同じ地域で、街にお店を作りたい、盛り上げたい!という意志のもと頑張っている同士が集まり、「でも今行き詰っててうまくいかない」とか「モチベーションが続かない」という人間味のあるリアルな気持ちも交わし合う事で、人同士が繋がっていく場だと感じました。
「頑張ろう」と励まし合う事と同じくらいかそれ以上に、悩みや弱音、頭の中で渋滞を起こしている雑念を吐き合うということも大切なのだなと学びました。
一回目も二回目も、帰る頃にはみなさんスッキリした面持ちと、自分の中にやる気を見つけたような表情で帰っていかれるので、立ち止まることにも大いに意味があるのだなと感じました。
立ち止まっていなかったら、このグラフィックファシリテーションに出会っていなかったかもしれないですからね。

講師の鈴木さよ氏が、2回目終了後に「氷見にこんなに『何かやりたい!』って行動している人が集まっていて、すごいですよね」と、感動したように仰っていました。
私も参加者さん達の描いたものを見せて頂きましたが、みなさんそれぞれに「氷見でこういうことが出来そう!」と感じている事が多種多様、千差万別、十人十色で驚きました。

私はアニメオタクですけども、「ファンの熱狂によって盛り上がるアニメ作品」には「想像する余白が残されている」と常々感じています。
氷見にも「余白」があります。
それは、この土地にある「魅力」が、人の「想像力」を掻き立てていて、夢を思い描く「余白」、そして誰でもそれを実現することが出来る「余白」があるということ。

この土地の余白に、やりたいことを思い描いてみませんか。

 

街中の明日を「考える」。

氷見市へ移り住み、すでに3ヶ月以上もの月日が経ちました。
 
住まいの拠点を移すことは新しい出会いの連続で、移り住む前と後では、物事に対する考え方や価値観も変わってきたように思えます。同時に、氷見で暮らす人々と対話をすることで、この街が抱える課題も少しずつ見えてきました。
 

 
「街中に活気が無いよね。」
 
「若い人の行き来が少ない。」
 
「シャッターがいつも下りた街並みは、すごく寂しいです。」
 
氷見が抱える代表的な課題のひとつが、この「街中問題」ではないでしょうか?上の写真にある、1970年前後に建設された中央町商店街共同ビルの景観は、”防災ビル”としての機能を果たしており、駅から徒歩圏内である利便性も相まって、現在では想像出来ない賑わいを昔は見せていたようです。
 
過去に公開された記事でも紹介されているように、氷見市中央町の共同ビルは、基本的に3階建て(又は4階建て)構造となっており、店舗兼住居として使われていました。しかしながら、高齢化の進行と同じく建物の老朽化により人々は住まいを移し、今現在のシャッターで閉ざされた街並みを残すこととなってしまいました。
 
【参考記事】
 
商店街レトロビルの元洋食屋さんではじめる小商いのある暮らし
 
防災建築街区再生支援制度の研究-富山県氷見市中央町を例として-
 
それでもなお、街の中心に位置する中央町商店街共同ビルは、見逃すことが出来ない”街の財産”であり、工夫次第では、再び人々が集う空間を創造できる可能性が残っているのです。幸なことに、自分の好きなことや得意なことで、氷見の街中をより良くしたいと考えている人々が沢山おられることを、移り住んで改めて実感しました。
 
今回ご紹介する「考えるパンKOPPE」さん(以下敬称略)も同じく、街中への思い入れを抱くご夫婦。かつて中央町商店街にあったお店を引き継ぎ、改築へ経て自身のお店をオープンさせます。
 

 
【参考記事】
 
「考えるパンKOPPE」って何?空き店舗をリノベしてつくりたいお店があります!
 
「考えるパン KOPPE」の心のこもったパンと「からしま蚤の市」
 
考えるパンKOPPEができるまで
 

 
考えるパンKOPPE」との出会いも、氷見へ移り住んでから。この街に対する思いや子育てをしながらお店を続けることへの思いなどをお話しする中で、是非お店が生まれ変わる様子を写真で残しておきたいと思い、取材のお願いをしたところ快く承諾して頂きました。
 

 

 
以前は、酒屋さんだった建物がパン屋さんに生まれ変わる。古き良き街のたまり場が、老若男女の人々が集う新しい空間へ。その過程を想像するだけでも、わくわく心が踊るのは筆者だけしょうか?
 

 

 
1階部分は電気もない為に薄暗く、夏の湿っぽい空気が依然として取り残されたような空間でした。蜘蛛の巣が張り巡らされた路を進むと、裏庭へ続く開けた空間へ。ご覧の通り、木材の状態も悪くなく、建物全体が老朽化していると予想していただけに裏腹な印象を持ちました。
 

 

 

 

 
階段足場のタイルは所々剥がれ、比較的整った部分を探りながら2階・3階へ上がると、そこには当時の生活の面影が残されていました。
 
使われていた家具や置物など、かつて住まわれたご家族の人となりが垣間見え、昭和から平成へと時代を生きた暮らしの情景が、私たちの脳裏に浮かぶようです。
 

 
それでもやはり、人の暮らしがない建物は見た目以上に老朽化が進むもので、特に配管などの生活に欠かせない部分の問題は、この物件も例外ではありませんでした。
 

.
 

 
建物の外観から屋上へと撮影を進める間、曇天な空模様も、屋上へ顔出す頃には、雲々の流れが分かる程の天候へ回復していました。ここから眺める海側の景色は、まさに氷見の豊かな暮らしを象徴するそれで、純粋に羨しくなるほどの清々しい潮風が吹いていたのを記憶しています。
 

 

 
見下ろした街並みの様相も、普段では出会わない新鮮な光景たち。数年後・数十年後、行き交う人々が増えるたび、ここで新たな物語が生まれることを願います。
 
.
 

 
昨夜まで降り続いた雨は、屋上に水溜りを作っていて、その青い雨水を避けた片隅から、最後に、ある家族の写真を残しました。
 

 
ファインダーを覗きながらふと浮かんだのは、子どもたちの笑顔は「街の希望」そのものであるのだと。当たり前のことかもしれませんが、大切なことに気付かされたように思います。今の時代、辛い出来事や心を傷める情報の方が多いかもしれないけれど、子どもたちの笑顔に何気なく救われた瞬間を、皆さんも経験されたことがあるのではないでしょうか?
 
笑顔が溢れる街は、希望に満ちている。
 
街に関わる人々が、子どもたちの明日を見守る。そんな温かい雰囲気が根付く街中があったなら。
 

 
先人からのバトンを受け取り、これから生まれ変わろうとしている「考えるパンKOPPE」。彼らのお店が産声をあげる日は、街中の新たな暮らし方が始まる第一歩かもしれません。
 
時代を繋いできた街の歴史で、まだまだ”ひよっこ”な家族の物語。この街の「希望」を、皆さんの温かい心で見守って頂けたらと思います。
 

 
閑散とした街中の、シャッターに閉ざされた壁の内側に足を踏み入れると、そこには「希望」が残されていました。先人たちの思いを受け継いで、今を生きる私たちに何が出来るのか?どう生かしていくのか?常に問われているように思います。
 
次の世代と明日へ向かって、私たちは「考える」ことを止めません。

【中田】元民宿で暮らす/商う

「富山湾越しの立山連峰」は氷見の代表的な風景として写真やポスターなどでご覧いただく機会が多いかと思います。
そんな写真をみると、そこには海と立山だけでなく、その手前に島が写っていることがほとんどではないでしょうか?
こんもりと丸い島があればそれは「唐島」。
唐島は氷見港から300mほど沖合にあり、年に一度唐島大祭が執り行われるなど古くから漁師町の守り神として集めています。
そして2つの島が並んで写った写真があれば、そこにあるのは「虻ガ島(あぶがしま)」と呼ばれる島々。
市北部の姿地区沖合1.8kmに位置して「男島」「女島」の2島からなり、県の名勝・天然記念物として指定されるこの島もまた、氷見を代表する風景として多くの方に親しまれています。

さて、今回ご紹介する物件はそんな虻ガ島を望む元民宿。
海の目の前。のどかな漁師町の暮らしを堪能できる物件となっています。

市街地から車で海沿いの国道を北上すること約20分。
物件がある中田地区にやってきました。
物件はまさにその通り沿いにあります。

すぐ近くには川も流れており、橋からの眺めはこの通り。
毎日の散歩も楽しめそうですね。

元民宿なので駐車場も広々です。
手前右側にある車庫は他の物件となるので要注意ですが、その左側にある部分にたっぷり駐車できますので、民宿・ゲストハウスなどお店として使いたいという方にはありがたい物件ですね。

玄関は少し細い路地側に。
個人的にはこういった細い路地をみると少しワクワクします。
ここを通ってきたまちの人々の暮らしと、まちそのものの歴史を想像すると……なんだか冒険心がくすぐられませんか?

立派な玄関を上がると階段に大広間。
広間は宿泊客の食事の場としても使われていた場所。
襖を取り払うとひとつの大きな空間として使えるため、ここを活用するとカフェや食堂としても使えそうです。

キッチンも民宿仕様。
もともと商売をしていたお家だけに営業許可が取りやすいのはありがたいです。

2階は客室として使われていました。
お部屋にもよりますが、部屋からは海と虻ガ島を望むことができます。(内見の日は生憎の大雨でしたが…)
きちんと手入れされていて気持ちの良いお部屋ですし、きれいな布団も残っていて、そのお布団は希望があれば譲っていただけるそうです。

もちろん1階にはプライベートルームもありますので、住まいながらの商いも問題なし!
どうでしょう? 暮らし・商いのイメージが浮かんできませんか…?

建物を見ていて驚くのは、柱や梁に使われている材がとても立派なこと。
オーナーさんにお話をうかがったところ、お祖父さんが木こりだったということで、とっておきの材を自分の家に使ったためだとか。なるほど、納得です。
さらに状態の良さの秘密はもうひとつ。
オーナーさんのお父さんは輪島塗の職人だったそうで、柱や建具などを自ら塗り替えメンテナンスしていたとのこと。
現在のオーナーさんはこの家が空き家になってからもこまめに訪れ、風通しや清掃を行っています。

丁寧に管理された日本家屋の心地よさを実感できるこちらの物件、住まいとして使うには少し大きすぎるかもしれませんが、住まいながら小さな商いをはじめるにはもってこいです。
物件の良さ、そして周囲の景観の素晴らしさは是非多くの人に体験していただきたいもの。
ご興味がありましたら是非お問い合わせください!