【ひみ暮らしインタビューVol.5】野口 朋寿さん

こんにちは!見習い相談員の西田です。
氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えする【ひみ暮らしインタビュー】
シリーズ5回目は、今年4月から氷見市の地域おこし協力隊として活動している野口朋寿さんです。
そう、あの巷で噂の(?)フィッシュレザーを作っている方です!
なぜ氷見へ来たのか、今の氷見での活動などを伺いました。

 


 

--野口くん、今日はよろしくお願いします!
早速ですが、今回氷見へ移住するまでの経緯を教えてもらえますか?

 

僕は元々香川県の出身で、富山大学へ通っていた4年間を高岡市(氷見市のお隣)で過ごしました。大学では漆工芸を専攻していて、4年生の時にフィッシュレザーの研究のために氷見へ通っていたんです。大学卒業後は京都へ行き、お坊さんの資格が取れる別の大学へ2年間通っていました。実家がお寺で、最終的には帰るつもりだったので。でも、卒業したら実家に帰るか〜と思っていたら、まだ帰らなくていいよ、と言われて。お寺の仕事も段々減ってきていて、今帰ってもそんなに仕事がないらしいんですよ。そこで卒業後の仕事どうしようと悩んだ時に、富山大学の時に始めたフィッシュレザーを続けたいと思って、そういえば氷見に地域おこし協力隊の人がいたな、と思い出したのが氷見に来たきっかけです。

 
 

--富山大学では香川県出身というだけであだ名が「うどん君」だったのもいい思い出だね!(実は野口くんと私、同じ大学でした。野口くんが私の後輩になります。)
ところで氷見へ来るきっかけとなったというフィッシュレザーについて詳しく教えてもらえる?

 

ざっくり言うとなめした魚の皮のことで、それを使って名刺入れやポーチ、ベストなんかも作れます。

 

野口くんがなめして作ったフィッシュレザー。上からボラ、ブリ、タイの皮(色は染めてます)。

 

--漁業の町・氷見にピッタリの代物じゃない!
野口くんはどうしてフィッシュレザーを始めたの?

 

大学4年生の時に漆を使った卒業制作を作らなくちゃいけなくて。一方で、もともと趣味でレザークラフトをやってたんです、牛革で財布を作ったり。なので、卒業制作では牛革と漆でなんか作ろうと思ったんです。そこから他の革についても調べてみようとなって、爬虫類の皮を調べたり(笑)。その時に「そういえば魚の皮ってないな」と思いついたのが一番最初ですね。

 
 

--フィッシュレザーの研究のために氷見に来ていたと言っていたけど、フィッシュレザー先輩が氷見にいたりしたの?

 

フィッシュレザーを始めた時に友達から、氷見で同じことをやろうとしている動きがあると教えてもらって、話を聞きに氷見へ来ました。その時に靴職人の釣賀さんと「一緒にやろうよ!」という話になって。京都にいた時も、釣賀さんとは「こんな皮ができたよ」と連絡をとりあったりしていました。

 
 

--釣賀さんはフィッシュレザーの先輩というより一緒にやる仲間って感じかな。
その後、フィッシュレザーの研究・制作は順調に進んだ?

 

最初は僕も釣賀さんも、魚の上手ななめし方がわからなくて…。、革の工場へ見学に行ったり、色々調べたりして段々とわかるようになって、なんとかフィッシュレザーを作れるようになりました。その途中3ヶ月ほど、タイへ留学に行ったんですが、その時に学んだタイの漆技法である「箔絵」(金箔で絵を描くような技術)を出来上がったフィッシュレザーに施して、ベストに仕立てた物を卒業制作にしました。

 
 

--野口くんの卒業制作、一度見たら忘れられません。うっすらウロコ模様が残るフィッシュレザーが金箔で飾られた、黄金に光るベスト。
あれって今はどうしてるん?

 

家に飾ってます(笑)。

 

--目が痛そう(笑)。

 

野口くんの卒業制作。実際に着れます。

 

--ところで今は氷見ではどういう生活をしているの?

 

今は一軒家に嫁と二人で住んでいます。もともと高岡市に住んでいた時期があるので、生活に対する違和感みたいなのは特にないですね。

 
 

--そういえば新婚さんやったね、おめでとう!
地域おこし協力隊としての活動はどんな感じ?

 

僕が所属しているのが「東地域まちづくり協議会」という去年できた団体で、子供をメインとしたまちづくりをテーマに活動しているとことです。夏にラジオ体操をしたり、まちなかをぶらり散歩するイベントをしたり。まちなか散歩イベントでは地元の小学生とお母さんを対象に、まちづくりの先生や地元でガイドをしているおばちゃんと一緒にまちを散策しながら漁業文化の町並みを知るというイベントで、散策後はフィッシュレザーを使った魚のブローチづくりのワークショップをして楽しんでもらいました。後は、「うみのアパルトマルシェ」のお手伝いなんかもしています。
氷見に来てからの活動は「まちづくりのお手伝い」と「フィッシュレザーを仕事にする」の2本が中心ですね。

 
 

フィッシュレザーを使った魚のブローチづくりのワークショップの様子

 

--今の活動はどちらかというと「まちづくりのお手伝い」の比重が大きい気がするけど、「フィッシュレザーを仕事にする」の方はどういう活動をしているの?

 

今、富山県がやっている起業未来塾というのに通っています。経営についてとか経理のこと、全然知らんかった税金についてなどを教わっていて、学びながらフィッシュレザーをどう売り出していこうか計画している段階です。起業未来塾は11月で終わるので、こらから少しずつ動いていきたいと思っています。

 
 

--野口くんはフィッシュレザー作家になるの?それともフィッシュレザー社長?

 

僕が想像しているのは作家活動ではなくて、フィッシュレザーのブランド化ですね。僕一人で作るんではなく分業で、魚の皮を加工する人がいて、縫製する人がいて、営業の人がいて、まとめる人がいる。事業化する、というのを目指してます。

 
 

--商店街の空き店舗とか借りて、ガラス張りの中でフィッシュレザー作ってるのとかかっこ良さそう!

 

そうですね、見えるとこだけでもいいからめっちゃオシャレにしてやりたいです!

 

フィッシュレザーのブローチ。子どもたち自身でフィッシュレザーを好きな色に染めて楽しんだ。

 

--ちなみにフィッシュレザーの元になる魚ってどうしてるん?自分で釣るの?

 

魚関係は何でも好きなんで、釣りはめっちゃ行ってます!余裕があったら週に2~3回ぐらい。本当は釣った魚を使いたいんですけど小さいとダメなんですよね。ものを作れるだけの皮の大きさがとれないから。なので船で大きい魚を釣りに行きたいんですけどね、レンタル料が安くなくって(笑)。

 
 

--噂で、野口くんは釣りバカだって聞いてたけど本当やったんや(笑)
釣竿たくさん持ってたり?

 

五本持ってます。安いやつですけど。釣り方によって持っていく竿を変えるんですよ。

 
 

--釣りの話、すごい楽しそうに喋るね、さすがだよ。
これ以上釣りの話すると長くなりそうだから、この辺で…。
今日は色々とお話くださりありがとうございました!これからよろしくね!

 

こちらこそ、ありがとうございました。よろしくお願いします!

【ひみ暮らしインタビューVol.4】松木圭太さん①

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えする【ひみ暮らしインタビュー】。
シリーズ4回目は、今年1月に氷見へ帰郷された松木圭太さんからお話を聞きました。
「氷見を面白い場所にしたい」という松木さん、その第一歩目として今年夏、海沿いに「観光客と地元の人と交流ができる旅館」をオープンされる予定です。
帰郷した際の思いやこれからの活動について、2回に分けてご紹介していきます。
1回目は松木さんのバックボーン、これまでの経緯や氷見への思いについてお聞きしました。





西田
松木さん、こんにちは!
早速ですが、氷見に帰郷されるまでの経緯を教えてもらえますか?



松木さん
僕は高校卒業まで氷見に住んでいて、大学入学を機に大阪へ引っ越しました。大学では経営学を専攻して、卒業後はそのまま大阪で、経営コンサルティングの会社に就職しました。今年1月に氷見へ帰ってきたので、大阪にはほぼ8年いましたね。





西田
だから時々関西弁が出ているんですね!
氷見へ帰ってきて、今はどちらにお住まいなんですか?



松木さん
氷見市内の実家に住んでいますよ。父は氷見で不動産業を営んでいて、兄と姉がいます。2人とも僕と同じく富山県外で暮らしていたんですが、兄がつい最近氷見に帰ってきました。父の不動産業を継ぐんじゃないですかね。姉夫婦も最近氷見に帰ってきて、5月から干物屋を始めるために、市街地の中央町商店街にある空き店舗を改装しているところです。兄弟同士ではとくに連絡を取っていなかったのですが、なぜか兄弟全員、同じ時期に氷見へ帰ってました。偶然ですね(笑)。僕は今、氷見で旅館をつくろうと思っているので、完成したら姉夫婦の干物屋と連携していきたいです。宿泊者に干物作りを体験してもらって、翌朝の朝食で食べていただくとか。





西田
ご兄弟そろって氷見を盛り上げてくれそうですね!
松木さんがつくろうとしている旅館についても詳しく伺いたいのですが、それは後ほど…。まずは氷見に帰ろうと思ったキッカケを教えてください。



松木さん
一番大きなキッカケは「2040年消滅可能性都市」に氷見がランクインしていると知ったことですね。18年間生活していた氷見がこういう危機になっているのは面白くないなと思って。それを止めようと思って帰ってきました。と言っても、社会的な使命感に駆られて、という感覚ではないんですけど。
大阪に住んでいた時は遊ぶ所もたくさんあって楽しかったんですが、10年後に自分がどうなりたいのかっていうのを考えて生きれていなかったと思うんです。これからの人生を面白くするためにどうしたらいいかを考えたとき、夢見た世界を全力で掴みに行っている時が一番楽しいやろうな、と思って。で、夢を設定するときに、周りの人に共感してもらえるものにしようと考えました。応援して、一緒に活動してくれる人がいる方が面白い活動ができると思ったんです。あとはやっぱり良い暮らしをしたいので、社会性と収益性を併せ持った夢を探していました。そんな時に「2040年消滅可能性都市」について知ったんです。そこで思いついたのが「氷見市を行列のできるまちにする」という夢です。氷見に来たい人が増えすぎて順番待ちができる場所になるよう活動していくと、これからの僕の人生を面白くできそうやな、と思ったんです。





西田
8年ぶりに氷見で生活してみて、いかがですか?



松木さん
「やっぱり氷見っていいな」と思いました。まず、人と土地面積の割合が丁度良いですね。まちを歩いても2、3人としかすれ違わない、でもイベントをやるよと声をかければ人は集まってくれるし。都会の人混みも楽しいけど、腰を据えるなら氷見の人口密度がちょうどいいな、と感じます。あと、いまの時代はネット注文で欲しいものは揃うので、「田舎だから不便」というのはあまり感じません。強いていうなら僕の部屋にネズミが出るくらい(笑)。





西田
確かにお祭りの時とかって、びっくりするくらい人が集まりますよね。「氷見の何処にこんなに人が居たんだ!」って思うくらい。
松木さん自身、この前氷見でイベントを開催されてましたよね?



松木さん
「20・30代の集まり」っていうイベントを開催しましたよ。まぁ、有り体に言えば合コンなんですけど(笑)。最初に知り合い10人くらいに直接声をかけ、その人たちにそれぞれ2〜3人連れて来てとお願いして、結果的には40名ほどが集まりました。面白いことをやろうと思えば賛同してくれる人が結構おるんやな、と実感できたイベントでした。氷見は田舎だって言うけど、面白い企画を考えてきちんと宣伝すればビジネスも成り立つ、という手応えも感じました。





「20・30代の集まり」の様子。松木さんが現在計画している、「観光客と地元の人と交流ができる旅館」へとリノベーションされる予定の元民宿で行われました。





西田
田舎だからこそ、面白いイベントやビジネスが入り込む余地がまだまだありますよね。
先ほど、「氷見市を行列のできるまちにする」という夢があるとおっしゃっていましたが、詳しく教えてください。



松木さん
氷見を全国の人に知ってもらって、来たいと思われる場所にしたいと考えています。都会に住んでいる人って今の生活に何らかの違和感を感じていると思うんですよ、僕もそうだったんですけど。でも、その違和感から実際の行動、つまり移住っていう行動に移せる人って全体の1%もいないくらいなんですよね。「田舎には知り合いもいなくて不安だ」という理由で。そういう何かちょっと行動を起こそうとしている人にキッカケを与えられるような場所をつくりたいです。







次回は、“何か行動を起こそうとしている人にキッカケを与えられるような場所”となる「観光客と地元の人と交流ができる旅館」について、そして松木さんのこれからの天望について詳しくお聞きします。お楽しみに!




【ひみ暮らしインタビューVol.3】 作・編曲家の矢島さん

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えする【ひみ暮らしインタビュー】
シリーズ3回目は、今年4月に氷見に移住された作曲家の矢島さんです。
高岡から氷見という、比較的近距離に移住された矢島さん。
その理由や、作品制作への思いをお伺いしました。
 


 
氷見に移住したのはいつ頃ですか?
 
今年の4月ですね。元々は長野の松本市出身で、富山大学に進学するにあたって富山に来ました。大学在学中は高岡市に住んでいましたが、卒業後に氷見に引越しました。今は富山大学の芸文ギャラリーで働きながら、作曲と編曲の仕事を個人でしています。企業でのCMの曲を作ったり、あとは最近はよさこいの曲を作ったりしています。
 
「氷見に絶対移住したい!」という理由は実はなかったとお伺いしましたが…
 
そうなんです。(笑)以前の高岡市の住まいは、今の住まいからも結構近いんです。なので、氷見に移住しなければいけない!ということもなかったんです。ただ、補助金の制度が充実していたのでそれを聞いて氷見に引っ越そうかなと思いました。
 
でも、実際に氷見に住み始めたら「あれ、思ったより快適な場所だな」と思いましたね。
まず、制作環境がすごく自由になりました。以前の住まいは六畳一間のアパートで、かなり狭かったんです。機材もたくさんあったので、2段ベッドにして、下を作業スペースにしていました。隣の人の迷惑もあるので、音も出せませんでした。なので、制作環境としてはちょっとストレスのある状態でした。でも、氷見の一軒家に引っ越したら、部屋が広くて最初は逆に落ち着かないくらい。ちょっと前まで2段ベッドの天井がすぐ頭の上にありましたからね。部屋が機材に圧迫されることもなく、音も出せるのですごく快適になりました。
 

 

 
あとは立地もすごく魅力的ですね。海も山も近くて。僕、海がすごく好きなんです。地元の長野県には海がないのですごく新鮮でした。自宅もスーパーの隣なので便利なんです。自炊はあまりしないので、隣のスーパーでお惣菜を買ってきて食べたりすることが多いですね。なんだか巨大な冷蔵庫が隣にあるみたいな感覚です。近所のおじいちゃんおばあちゃんも気さくな方が多いですね。
 
物件探しは苦労されませんでした?
 
いや、僕はそこまで苦労しませんでしたね。たまたま氷見の空き家情報バンクの事を知って、サイトを見てみたら、丁度いい一軒家があったんで申し込みました。本当にたまたまだったんですごくラッキーでしたね。3月から探し始めて4月にはもう決まっていたんで、実質1ヶ月かかってないと思います。むしろ全然準備してなかったんで、ちょっと焦りましたね。(笑)
特にみらいエンジンの存在は大きかったです。すぐ相談できる場所があるのはいいですね。加えて、時間も結構遅くまでやってるじゃないですか?日中働いていると市役所ってなかなか行きづらいですが、ここだと仕事終わりや土日にも相談できたりするので、すごく助かりましたね。
 
ありがとうございます。ここPRしておきますね。(笑)
音楽のお話もお聞きしたいんですが、ずっと音楽はやられてたんですか?

 
いや、小学校から高校までずっとサッカーをやってたんですよ。ずっと体育会系でした。でも、高校くらいから音楽に色々興味が出て来ましたね。バンドやりたいなーと思いながら家でギターをポロポロ弾いてました。大学に入ってからは友達とバンドを組んで、曲も作るようになって、だんだん音楽にのめり込んで来ました。今組んでいる「ザ・おめでたズ」も在学中に結成したバンドです。元々は友達の誕生日を祝うために組んだ、いわば悪ノリだったんですけど、それが今も続いてますね。
 

 
大学を出てすぐ個人として活動されてるんですね。
 
個人というか、単純に就職しなかっただけですね。(笑)就職も少し考えたんですが、自分にはもうちょっと先かなぁと思いました。自分のレベルじゃ社会に対して通用しないよなと思って。もっと経験を積んでレベルアップしようと思って、今個人でやっています。
 
会社に入って学んでから独立する方も多いかと思うんですが…
 
その当時は行きたいと思う会社が少なかったというのもありますが、モノを作る仕事は作品で勝負するしかありません。能力が未熟な段階で採ってもらえることも、最初から育ててくれるっていうことも少ない業界なので、まずは自分で鍛えようと思ったんです。
あと、なんとなく今は富山から出たくないなぁっていう思いもあったんです。理由は人の繋がりですね。富山は僕の中で今、一番人の繋がりのある場所なんです。一緒に作品を作れる友人が多くいますからね。
 

 
作品を作るにあたって意識していることはありますか?
 
そうですね…最近は「いかにエゴを消すか」を意識しています。僕は自分のことをアーティストだとは思っていないんです。自分の表現したいことをどんどん出していくのも一つのあり方だと思いますが、僕は自分の作曲の能力を使って、人の役に立ちたいという思いの方が強くて。相手の求めていることに対して、いかに柔軟に対応できるかということの方が重要なんです。
作曲する上でこだわりたい部分はもちろんあります。でもそれに縛られちゃうと、結局あまりいいものができなかったりするんです。自分のこだわりをゼロにはしませんが、そのバランスには気をつけていますね。
僕にとっては自分の作品を残すよりも、音楽をずっと続けられることが重要なんです。やっぱり音楽が好きなんで。だから音楽とずっと関わるには音楽を仕事にすること。そして音楽を仕事にするなら、自分の思いを押し付けるより、まずその人の思いに応えること。それが大事だと思ってますね。
 
移住希望の方には、自営や創業希望の方も多いんです。そういう方に向けてアドバイスはあったりしますか?
 
そうですね、「繋がり」が大事かなと思います。私の今の仕事の大半は人の繋がりで頂いた仕事で、ほとんど営業はしていないんです。友人や大学時代のアルバイト先、以前の仕事のクライアントさんが僕のことを紹介してくれたりして。本当に人の繋がりが大事だなと思います。今手掛けているよさこいの仕事も、知人によさこいの曲を作っている会社の方がいて、卒業直後にお手伝いさせてもらい始めました。そこから、よさこいのチームの人との直接の繋がりができて、今は個人でお仕事をいただけるようになって来ました。僕がここにいる理由もやっぱり繋がりがあるからですしね。地方で音楽を仕事にするのはもちろん難しい面もありますが、今は音楽も場所に縛られずできるようになっています。直接お会いできなくても、ネットを経由して県外の方とも仕事できます。そこまで場所に縛られる仕事ではないかなと思います。
 
これからの目標や理想像はありますか
 
そうですね、やっぱり音楽一本で食べていけるようになりたいという仕事上の目標はあります。あと、これは理想像、という話ではないんですが、もしかしたら生涯富山、氷見にいるのかもなぁっていう感覚はありますね。やっぱり僕は田舎が好きなんだなぁと思います。もちろん先のことなのでまだわからないんですが。
こうやって今回お話できたんで、これからちょっとずつ氷見のコミュニティにも関わって行きたいなと思っています。僕は作曲だけでなくて、音響の仕事をやったりすることもあります。例えば、イベントやお祭り、ライブの音響設備のセッティングですね。設営から音出しまでをお手伝いしています。もし氷見でもそういう機会があれば是非お手伝いできればと思っています。
 

 

【今回お話を聞いた方】
矢島 拓真 さん
長野県松本市出身。
富山大学芸術文化学部卒業。
2014年、大学在学中に友人の誕生日をラップで祝うために「ザ・おめでたズ」を友人と結成し、
県内を中心に活動中。バンド内では楽曲制作を担当。
2017年に氷見に移住。
現在は個人で企業のWEB広告や、PR映像の楽曲を手がけている。
 
「ザ・おめでたズ」公式HP
 
【近日のザ・おめでたズの出演情報】
『市場街ナイト』
 
【矢島さんの楽曲が使用されている「富山ガラス工房」さんのPR動画】

【ひみ暮らしインタビューvol.2】ヨガインストラクターの鵜飼さん

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えする【ひみ暮らしインタビュー】
シリーズ2回目は、氷見在住のヨガインストラクターの鵜飼(うがい)さんです。
2009年に氷見にUターンされ、講師として活躍されています。
「みんなに幸せになってもらえれば、それで十分。」
そう語る鵜飼さん。ヨガに出会うまでの紆余曲折、そして今どんな思いなのか、お聞きしました。

 


 
本日はよろしくお願いします。
鵜飼さんは今まで何度かお会いしてますが、あんまり今までの経歴ってお聞きしてないですよね。
まずはそこからお聞きしてもいいですか?

 
確かにそうですね、じゃあ私の子供の頃からお話します。今の自分とも大きく関わるので。
私の家は結構忙しいお家でした。両親は常に仕事で忙しそうにしていて、小さい頃からあまり親に心配かけたくないなぁと思っていました。素直に甘えることがあまり得意ではなくて、さらに自己表現がとても苦手でした。無意識に我慢してしまう事が多くて自分の感情にすぐに蓋をしてしまう。
 
困った事があっても誰にも相談できない状態が続いて、結局は心と体のバランスを崩してしまった時期もありましたね。
いろんな人たちに助けられサポートをうける中で自分を表現してもいいんだと気づきましたし、自分のように苦しんでいる誰かをサポートをしたい、そんな風に思うようになりました。
 
その後は、どんどん自分を表現したいと思うようになりました。で、芸術。特にガラス工芸がやってみたくて、大阪のデザイン専門学校に進学しました。でも、学校に入るまでは良かったものの、自分の表現したいものとなんか違うな、と思い1ヶ月ほどでやめちゃったんです。(笑)で、親類が奈良に住んでいたので、そっちに移り住むことにしました。家賃3万2000円の古いアパートでお風呂もありませんでした。とりあえず、色んなところでアルバイトしながら自分が何を表現したいのか探すことにしました。お好み焼き屋さんや中華料理屋さん、色んなところでバイトしましたね。バイト先の人たちは本当に優しい人ばかりで、人の温かさに触れましたね。
 

 
そんな中、友達に誘われて陶芸作家さんのところに行ったんです。初めて土や”ろくろ”に触ったんですが、すごく楽しくて。これで何かを表現したいと思いました。で、そこの陶芸教室をお手伝いし始めたんです。そしたら今度はきちんと陶芸を学びたいという思いが出てきて、働きながら京都造形大の陶芸コースに通信課程で入学しました。自分のやりたいことを勉強できるのはこんなに楽しいことなんだと知りましたね。
旦那さんに出会ったのもこの頃です。そして私が大学を卒業する頃にプロポーズしてくれました。その後は旦那さんの仕事の赴任先である千葉に移り住み、陶芸教室のお手伝いをしながら生活していました。
 
なるほど。
あれですね、まだまだヨガと結びつきませんね。(笑)

 
そう、まだヨガには出会わないんです。(笑)
ただ、ずっと「心」ということには興味を持っていて、誰かの心のサポートをしたいと思っていました。今までは「表現したい!」という気持ちが強かったんですが、この時期から少し変わってきました。もっと違う形で人と繋がりたいと思ったんです。作品を通してではなく、その人のためにできることを具体的に考えたい、そんな思いが強くなってきました。なんでですかね?自分でもよくわからないんですが、その当時は楽しいことも辛いことも多く、自分に語りかける機会が多かったんです。自分はなんのために生きているのか、心と体の関わりとは何かをよく考えました。そのせいかもしれません。
 
その後、旦那さんの転勤でまた関西に戻ることになりました。関西では東洋医学や鍼灸に触れる機会があり、その時出会った友達が呼吸法をやっていました。それが今現在私が教えている呼吸法、スダルシャンクリヤです。ただ、当時その呼吸法にそんなに興味を持っていなかったんです。でも、すごく面白い心理学の先生を紹介してもらって、その先生もそれを勧めるんですね。じゃあ、試しにやってみようかと思い、呼吸法の体験会に行ってみました。その体験会がね、なんというか…すごい良かったんですよね。ごめんなさい、めっちゃあっさりした感想ですよね。(笑)
 

 
体験会では色んな体験をお聞きしたんです。例えば、病気で苦しんでた人がこの呼吸法を始めてすごく元気になってたり。みんな良い方向に変化してる人ばかりで、すごく輝いて見えたんです。そんな折に、旦那さんが仕事のストレスで体調を崩してしまいました。そこでこの呼吸法のワークショップを勧めたんです。そしたら元気になって帰ってきました。「これはすごい!もっと多くの人に知って欲しい!」と思いましたね。これがヨガインストラクターへの入口だったんだと思います。

 

その後、3ヶ月くらいして私が妊娠していることがわかりました。その時旦那さんは東京で仕事をしたいようだったので、旦那さんは東京へ、私は氷見に戻ることにしました。氷見なら落ち着いて子育てできそうですし、自然農法をやりたいと思っていたので。奈良にいた時にちょっとやってたんです。そしたら、その後、旦那さんも農業やりたいと言ってくれて、夫婦揃って氷見に移住することになりました。
 
氷見に戻ってからもヨガの勉強は続けていて、呼吸法や瞑想はヨガの一部であり、もっと奥が深い内容があるとわかりました。もっともっとヨガを知りたい、そう思ってヨーロッパとインドにヨガを学びに行きました。ヨーロッパでは、インド古来のヨガがヨーロッパの人たちにも取り入れられて盛んなんです。国籍や文化を超えてみんながヨガで繋がっていました。また、私がインドやヨーロッパで学び、講師となったのは「Art of Living」というヨガで、ヨガの総本山のような団体です。本場でインド古来の「ヨガの智慧」を学んだときにすごいなと思いましたね。
 
「ヨガの智慧」というと?
 
そうですね、例えば、普段生活していて、考えがあちこちに散らばることはありませんか?過去のことを後悔したり、未来のことを不安に思ったり。これにストレスを感じる人は多いと思うんです。でも、これは心や思考の性質だから仕方ないんです。その思考の動きに気づいて、ありのままに受け入れる事ができればすごく楽になります。そこに呼吸法や瞑想、ヨガを日常に取り入れて習慣にする事で心の振れ幅が小さくなり、安定するようになります。多分、自分らしさに立ち戻る方法がわからず、もがいている人は今とても多いと思うんです。ぜひその方法を知ってほしいなと思います。
 
最後に、これからの目標や理想像はありますか?
 
ん〜なんですかね。自分がどうなりたい、というのはあんまりないです。とにかく、みんな笑顔になって欲しい。みんなハッピーになって欲しいなとほしいなと思います。それ以外のことは、みんなおまけみたいなもんですね。(笑)
 

 
【今回お話を聞いた方】
鵜飼 ひろ子 さん
富山県氷見市出身。
京都造形芸術大学卒業。
2007年に関西で呼吸法のコースに出会う。
仕事のストレスで口が開かなくなった旦那さんに呼吸法のコース勧め受講したところ、とてもよい変化が。
2009年3月、氷見にUターン。
富山県で呼吸法を広めたい。呼吸法・ヨガ・瞑想で心身のストレスを取り除き健康に、そしてたくさんの人たちの笑顔が見たいという思いでインドに本部を置く国際NGOアートオブリビングのインターナショナル認定講師として子育てをしながら活動中。
 
9月から毎月1回、「まちのタマル場」にて鵜飼さんのヨガのプログラムを開催します。
初回は9月18日(月)、詳細は下記よりご確認ください。

 
『Waves of Happiness 呼吸と瞑想とヨガ。』

【ひみ暮らしインタビューvol.1】埼玉から移住した加藤さんご一家

今回から始まる新シリーズ【ひみ暮らしインタビュー】

氷見に移住されたみなさんにインタビューし、リアルな声をお伝えします。

第1回は、今年、家族5人で埼玉から移住された加藤さんご一家。

「移住で一番苦労したのは住まい探しです。」

一体どんな苦労をされたのでしょうか。子育て世代の移住についてお話をお聞きしました。
 


 

ーーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

 

加藤薫さん(以下薫さん):

 加藤薫です。主人の重和、長女のふうか、長男のそうま、次男のりょうまの5人家族です。埼玉県の吉川市から今年の3月に引っ越して来ました。夫は富山市で内装業の会社に勤めています。お家の壁とか、天井とかを張る仕事ですね。

 

ーー埼玉ではどんな暮らしだったんですか?

 

薫さん:

 住宅街の一戸建てに住んでいたんですが、小学校も中学校も近かったですし、お買い物もすぐ行けました。便利なところに住んでいたと思います。こっちはコンビニなんかもちょっと遠いですよね(笑)

 

ーーそうですね。(笑)

  では、利便性を捨ててまで移住されようと思ったきっかけは何ですか?

 

薫さん:

 私の実家が高岡市にあるんです。そこには両親が2人で住んでいるんですが、もう80代と高齢なんです。今後、老々介護になるのが心配で。主人の方は両親を早くに亡くしていて、「富山に残っているお義父さん、お義母さんを2人にしておけない」と言ってくれました。それがキッカケで富山に行こうと考えました。

 

奥さん思いの重和さん

 

ーーえ、お子さんが3人いらっしゃるのに、躊躇はしませんでしたか?

 

薫さん:

 いや、むしろ今しかないと思っていました。長女と次男がちょうど中学校と小学校に上がるタイミングだったので、途中で転校させるのもかわいそうだと思いました。

 それに…正直都会の生活に飽きた、というか、嫌気がさしてきていたんです。渋滞がすごくて。主人は30分くらいの仕事をするために、現場まで往復4時間ぐらいかかるときがあるんです。家を出るときも、帰るときも子供は寝てる時間も多い。だから、家に帰って来ても、子供の起きている時間に会えないということが続いたんですね。それってどうなんだろうって。

元気いっぱいのそうま君とりょうま君

 

ーー移住先をご両親の住む高岡ではなく氷見に決めたのはなぜですか?

 

薫さん:

 東京で開催された富山県の移住フェアがきっかけです。参加した際にいくつかの自治体のお話を聞いたんですが、なかなか条件に合う住まいがなくて…。

 ところが、さぁ、帰ろうかと思った時に、氷見市の方に声をかけてもらいました。氷見は帰省の度に立ち寄っていたので、馴染みもありました。高岡からも程よい距離ですしね。氷見市のブースで、みらいエンジンさんを知ったのはその時です。

 

ーーなるほど、それが氷見への移住の第一歩だったんですね。

  移住をする中で一番大変だったことはなんですか?

 

薫さん:

 住まいの物件探しですね。遠くにいながら探すのは大変なんです。今回大事にしていたのは子供達の学校の環境、通学のしやすさでした。富山は全体的に学校も遠く、雪も降ったりしますし、そもそも初めての土地ですから。子供が通学中にへこたれないか心配で。氷見はハンドボールも有名ですよね。長女のやりたいハンドボール部があるかも気になりました。ですが、埼玉から富山まではなかなか来られないですし、インターネットで探そうにも限界があったんです。インターネット上にすべての情報が載っているわけではないですし、どこに情報があるのかわからないといったケースが多くありました。また、「特殊な物件」が多いんです。

 

ーー特殊な物件?

 

薫さん: 

 実は高岡市でも空き家を探していたんです。学校に近い物件はあったんですが、案内された空き家は、残置、要は以前の居住者の荷物がごっそり残っていたんです。『これ、今日誰か帰ってくるんじゃないの!?』と思うくらい。その他、隣の家とドアで繋がってる、なんて物件もありました。

 

 

そんなことが続いたので、高岡市で探すのは一旦諦めることにしたんです。そこで氷見市のブースで出会ったみらいエンジンさんを頼りにしました。氷見市なら両親がいる実家とも程よい距離なので。

 

ーーやはり実際見てみないと厳しいですね…

 

薫さん:

 そうなんです。こんな状況で物件を自分たちで探すのは限界がありますし、地元のつながりがないと県外者の物件探しは難しいと思います。ただ、みらいエンジンさんにお手伝い頂いた上でもやはり苦労はしました。最初にご紹介頂いた物件は学校まで徒歩15分。埼玉の時は5分でした。小学校に上がったばかりですからね、これでさらに雪が降ろうものなら、子供達は学校行かなくなっちゃうんじゃないかと心配でした。その後も、何件も物件を探して頂くんですが、なかなかいい物件に出会えませんでした。子供達の入学の時期が近づいてきて、今回はもう難しいか…と思った時に、ぴったりの物件をご紹介頂いたんです。間取りにちょっと変わった部分もありましたが、周辺の学校の状況や近所の子供達がどのくらいいるのかも調べてくれて。重要視していた学校や通学のしやすさなど条件が満たされているので満足しています。

ーー氷見での暮らしはどうですか?

 

薫さん:

 どこのうちも玄関が開いているところに驚きました。(笑)

 

一同:

 あぁ~!

 

ふうかちゃん:

 弟の友達が遊びに来たんですけど、鍵が閉まってるのに開けようとして、

「りょうまー!いないのー!?なんで鍵閉まってんのー!?」って。驚きました。(笑)

 

氷見のオープンさに驚くふうかちゃん

 

薫さん:

 あれはびっくりしました。(笑)仕方ないことですけど、インパクトありましたね。あとは魚がやっぱり美味しいです。埼玉にいた頃は近くに海がないですし、鮮度に不安があって、スーパーで刺身を買うことはありませんでした。丸ごと1匹買って捌くか、焼くかですね。でもこっちに来てからは刺身を買う機会が非常に増えました。近隣の住民の方も最近話しかけてくれるようになりました。「子供達おっきくなったね!」って、まだ1年いないんですけどね(笑)

 それってやさしさですよね。

 

ーーなるほど(笑)

  それでは最後に、これから暮らす上で氷見のまちにどんな期待をされますか

 

薫さん:

 優しい子供達が多くてとても良いと思います。クラスに1人ぐらい意地悪な子がいたり、先生を困らせたりする子がいたりするものですが、ここにはそんな子がいない。これは氷見のいいところです。是非、維持して行って欲しいなと思います。

 ただ、空き家なのか、どうなのか、もっとわかりやすければ良いですね。空き家は多いのですが、そこが本当に空いているのかどうかがわからなくて。これらをもっと見つけやすくして、活用できると更に移住がしやすいかと思います。下の子供達もこんなに元気なので、成長に合わせてより良い物件を見つけられたらなと思います。

 

ーーありがとうございました。