新たな味、新たな楽しみ方との出会い

おうち時間、どう過ごしていますか?

みらいエンジンスタッフの岸本です。

先月始まったサービス、「ヒミイーツ」。
市内でじわじわと広がり、定着しつつあるのを感じます。
友人知人から、どこのお店のあのテイクアウトメニューを試したみたらとっても美味しかった、とか。逆に、美味しかったものをお勧めしてみたりだとか。そういった情報交換が増えてきました。
たくさんのお店が登録されているので、時々サイトを開いては、どのお店にどんなメニューがあるのか筆者も眺めています。
知っているお店があると、ここのお店のこれ美味しいんだよなぁーと美味しい記憶が蘇ったりするのですが、
意外と多いのが、
地元民ながら、まだ入った事の無いお店 です。
場所や名前は知っているけど、どんなメニューがあるのか、価格帯はどんな感じなのか分からなくて入ったことが無いお店。
居酒屋だから、一人で入っていいのかどうか分からないな~と躊躇していたお店。
自分のお休みとお店の定休日が重なっててなかなか行けずにいたお店、などなど。
意外とあるんですよね。
そういったお店の情報がこのヒミイーツに集約されているわけです。

そんなわけで、これを機に
お店の場所も知っていて、名前も聞いた事があるのに、入ったことが無かったお店の味をテイクアウトで試してみることにしました。

今回は、氷見市幸町にある「飛味蔵」さん。

普段はお昼にランチメニュー、夜はお食事もお酒も楽しめるお店として営業されています。

持ち帰りのメニューの中からから揚げ弁当を選びました。
お店の公式ホームページを見ていたら、揚げ物の欄に「オリーブオイルで揚げる」と書いてあったので、気になっていたのです。
お店に出向く前に、電話で注文をしてみました。
ドキドキしながら電話をすると、とっても明るい声の店員さんがご対応くださりました。
ヒミイーツのホームページを見た事を伝えます。
ヒミイーツには、ヒミデリという出前サービスもありますが、今回は私の帰宅ルート上にお店があり、帰りに立ち寄れるので、テイクアウトでお願いしました。

お店に入るのは初めてなのでドキドキします

外にもテイクアウトのメニュー表が置いてありました。

初めての店内に、こんな感じかぁ……とこっそりきょろきょろ。

清潔感があって、綺麗で落ち着いた雰囲気です。
カウンター席と、半個室とお座敷がいくつか。

一度でも足を踏み入れると、次回、お店に入りやすくなりますね。

お弁当を受け取って、帰宅しました。

こちらが、から揚げ弁当。
なんとなく予想していたものよりも、色んな種類のお惣菜が入っててびっくり!

初めて食べる飛味蔵さんの味。
揚げ物はオリーブオイルで揚げてあるので、あっさりとしていて食べやすく、お店のおすすめのひとつに揚げ物が並ぶのも頷けます。
煮物にもしっかり味が沁みていて、ご飯が進みます。
とっても美味しかったです。

さて、このヒミイーツですが、
以前から出前をやっていたよ!というお店でも、新たにテイクアウト専用のお弁当メニューを増やしたというお店が多いようです。

こちらは、氷見市十二町にあるイタリア料理店オリーブさんのお弁当。

紙製の容器と手書き風タッチの優しい雰囲気のリーフレットがとても可愛いです。

オリーブさんのお料理を出前でいただいた事は何度もありますが、お弁当は初めて。

中身はこのような感じ。
氷見産の食材を使った品々がご飯の上に敷き詰められていて、彩り豊か。
味ももちろん、安定の美味しさです。

ヒミイーツ、ヒミデリの開始から、色んなお店のテイクアウトやお弁当を試していますが、お家でひっそりと食べるのはもったいない気がしてきました。
色んなお店のお弁当を持って、見晴らしの良い場所で景色を眺めながら食べたい。
頭の中には早くも、色んな場所の候補が幾つも思い浮かびます。
氷見市は海と山が近いので、海を見下ろせる小高い丘の上の公園がたくさんあります。
朝日山公園もその一つ。

円形に設置された長いベンチは密を避け距離をとって座ってもまだ余裕がありそう。

こちらは、九殿浜という場所。

この画像は冬頃に撮ったものですが、春には野の花が咲き、可愛らしい黄色が視界を彩ってくれます。
座ってお弁当を広げられるベンチもあるし、画像内の坂道を登っていった先には、芝生広場と東屋があって、絶景と美味しいお弁当の両方を味わうピクニックが楽しめそう。

氷見の5月はまだちょっと肌寒い日も多いですが、この先の季節の楽しみ、そして氷見の景色やお店の味の楽しみ方に新たな選択肢が増えた喜びを感じています。

変わるもの。変わらないもの。

皆さん、こんにちは。写真家の北条です。
 
昨年2019年7月から氷見市に移り住み、継続的に行っている本サイトでの執筆活動も、今回の記事を含め9本となりました。日頃から、記事を読んで下さっている皆さんへ感謝申し上げます。
 
文章を書くことは、写真を撮ることと同じくらい好きな行為で、今では生活のルーティーンのひとつになっています。また、氷見市での「暮らし」を基本テーマとした記事を、月に1回執筆する時間は、自身の心の変化と向き合うという面でとても大切な時間だと捉えています。その上で、先月の執筆活動から今月に至るこの期間、新型コロナウィルス感染拡大の影響が本格化すると共に感じた、筆者の心境や価値観の変化は、ここに書き留めておく必要があるとも同時に思いました。
 
今回のコロナショックを受けて、まず念頭に浮かんだのは「この状況下で、自分は一体何が出来るのか?」という問いでした。楽しみにしていたイベントが開催中止になり、世の中のエンターテインメントが次々と減っていく日常に、東日本大震災の時と似た心の痛みを覚えました。当時学生だった筆者も、9年後の今は、影響規模はまだまだ小さいものの、いちメディアの人間として情報を伝えたり、いちクリエーターとして面白いもの・感動するものを届けたいと願ったり、いわゆる「生活必需性がないもの」を扱う立場の人間として、この困難をどう向き合ってきくか?”当事者”として考え続けています。
 
それらを踏まえた上で、今回痛感したことのひとつは、「何も変えることが出来ない」という自分の”無力さ”に気付くと同時に、改めて「自分が出来ること」を見つめ直し、地に足をつけて堂々と行動するということでした。言い換えると、変化を強いられ困難な状況に面している人々へ向けて「救いの手」を差し伸べることは到底出来ないし自分自身に力は無いけれど、今この時代に生きる「ひとり」の”フィルター”を通して、誰かひとりにでも「何かを」真摯に届け続けることが、とても大切だと実感しました。
 
筆者にとって、それは”写真”でした。
 
2020年の春、この街の様相を”記録写真”としてここに残します。
 
麗らかな季節の風景を眺め、少しでも心が安らぐひと時になることを願っております。
 
.
 
.
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
.
 
.
 
暮らしの中で、初めて経験する氷見の桜はとても綺麗で、いつまでも眺めていたくなる程の美しさでした。写真からでも、桜の木々の力強い生命力がひしひしと伝わってくるようです。しかしながら、桜の立場からすると、いつもと変わらない季節の軌跡を辿っているだけなのかもしれません。
 
純粋に自然を愛で生きることの価値観を、私たちはどこかに置き忘れてしまっていたように感じます。
 
これから更に変わりゆく時代のなかで、変わらない暮らしの「一部」があるのならば、私たちはそれらを大切に、大切に守っていきませんか?
 
.
 
.
 
今この瞬間も、必死で頑張っているあなたへ、感謝とエールの気持ちをお送りしたいと思います。
 

里山でも何処でも、遊びの最たるは、自分でやってみること

居間・板張り完成

氷見の里山、久目地区(触坂)より、こんにちは。

谷あいの集落での暮らしぶりを、ということで、前回は、拙宅居間の「板間への更新作業・下地づくり」をお届けしましたが、今回は、その仕上げとなる「床板張り」について。

上の写真は、居間の整備が完成した図です。セイタカアワダチソウが吊るしてありますが、気にしないでください。湯にでも入れようと思って乾かしていました(笑)。

床板材を準備

さて、根太(床板を支えるための横木のこと)を通し、その間に断熱用の籾殻くん炭を敷き詰め終わったので、いよいよ、次は床板を張っていく作業に入ります。

さね加工が施され、厚さもぴしっと整えられた床板は高価なので、今回は、久目地区の先輩移住者・サントスさんに材を分けてもらいました。それだけでなく、作業全般にわたって、様々、サポートしてもらいました。色んなことを教わりました。こうした先輩が居てくれるというのは、何より心強いことです。サントスさん、多謝。

作業場は庭先

庭先が作業所です。

サントスさんとウーファーさん

サントスさんの元に来ていたウーファーさん(農やオーガニックライフを体験して回る旅人さん)にも手伝ってもらいました。

丸ノコ

まず、材の端を、サイズに合わせて切っていきます。

板を並べる

材のサイズ切りがある程度できたら、今度は居間に移動し、試みに板を並べてみます。

板材20mm

材の厚さは、大体20mm。でも、ちょっと誤差あり。歪みもあり。サイズ切りをしても、ぴしっとははまりません。

鉋がけ

ということで、板を一枚一枚、整えていきます。長さもそうですが、表面も。鉋(かんな)をざっとかけ、板表のケバを削いでいきます。そのあとは、電動サンダーでさらに滑らかに。

ヤスリ済みの材

やすると、ぐっと綺麗になります。

材の端を微調整

さらに、微調整。

誤差は叩く

わずかな誤差は、叩けば収まる。そんなことも学びました。

板材整列

で、なんとなく収まりました。

ビス打ち

こんな具合に、できるだけ、がたぴしを無くすよう努めました。さね加工が施された床板ではないので、上からぎゅんとビス打ち。

インパクトなど

そして、一部、床板の下が見える窓を作ろう、と。というのも、せっかく床下に断熱用くん炭を敷き詰めたものですから、遊びに来てくれた朋らに見てもらえたらな、なんて。

インパクトで床材に穴を開け、その穴から挽廻し鋸を差し込んで、アクリル板を入れるフレームで切り取り、細かいところはノミを使って加工するといった寸法です。

板に窓枠加工1

こんな感じで、フレームをくり抜いて。

板に窓枠加工2

ノミで地道にコンコンと削っていき、アクリル板を載せる加工も完了。

アクリル板

そして、いざアクリル板を入れようという段になって、こはいかに。夏場、外にアクリル板を放置していたら、熱で曲がっちゃいました。やむなし。もう一枚、購入です。曲がったアクリル板の活用方法も考えなくっちゃ。

アクリル板破損1

実は、それ以外にも、アクリル板まわりで失敗しておりました。窓のサイズに加工しようと思って、卓上丸ノコで裁断を試みたら、ばぎゃぎゃぎゃという破裂音と共に、切断面が一部破砕。あいや。そりゃそうか。

アクリル板破損2

写真のカッターでもうまく切れず、やはり、アクリルカッターでないと、うまく裁断できないことがわかりました。この世に、なぜアクリルカッターというものが存在するのか─。小生、この歳にして、そのことの意味が、漸く腑に落ちました。

窓枠間完了

さあ、いよいよ、アクリル板をはめて、ビス打ち。そんな段になっても、もうひとつ些細なミステイク。普通のコーススレッドで打ったら、めきゃっとヒビが入っちゃったんです(右上に若干の亀裂あり)。かなし。やっぱり、スリムビスでないと割れが入るんですね。やること為すこと、初体験。愉快です。

蜜蝋ワックス1

さて、板も張り終わった。窓も付け遂せた。ということで、次はミツロウワックスを塗っていきます。

蜜蝋ワックス2

塗って、乾拭きして、の繰り返し。木目が強調されて、良い具合です。

蜜蝋ワックス3

全部塗ってみると、こんなに木目があったかしらんと驚きます。

戸袋ベンガラ

居間の戸袋。その天辺のベンガラが剥がれていたので、これにも手を加えることにしました。

戸袋蜜蝋ワックス

サンダーでベンガラを剥がし、その後、一つ覚えのミツロウワックス。綺麗になりました。

絨毯や家具

絨毯も調達して、電子ピアノ、譜面台なども置いてみました。まあ、何となくです。

床の間

床の間もそれっぽく。掛け軸も花瓶も、頂き物です。

これにて、拙宅の居間も、ようよう、人が息を吸える空間になってきました。この居間を皮切りに、1階の各部屋、2階へと整備の触手を伸ばしていきたいと思っています。

その手始めに、どういった心の動きからか、障子をカラフルにしてみようと思い立ち、最近、坊主部屋の破れた障子の張り替えをしてみました。

坊主部屋と云うのは、法事などで家に招いた坊さまに、ゆるりと待機してもらうため”だけ”に設えられた小さな一室のことで、富山のむかし造りの家でよく見られます(他の県でもあるのかしらん?)。

違い棚なんかもあったりして、そこは、なかなかに凝った造作であることが多いようです。そんな瀟洒な空間に、カラー障子。狙いすぎの感が否めませんが、まあ良いのです。

障子リメイク1

障子紙のカットは、チキチキと刃が出るカッターよりも、丸刃カッターの方が断然にやりやすかったです。

障子リメイク2

新しく貼った白い障子紙の、一部フレームを切り抜いていきます。

障子リメイク3

で、五箇山のカラフル和紙を用いて、こんな感じに悪戯を施してみたというわけです。地域の先輩からは、「モン ドリ アーン(エイドリアン的な発声にて)」という評をいただきました。抽象画家のピエト・モンドリアンっぽいということで。

小生のイメージは、「乱歩の小説に出てきそうな古い木造の下宿屋二階、その廊下先にある色硝子」だったのですが。まあ、似たようなものですかね。

障子リメイク4

外から見ると、必要以上にファンシーな印象で、些かくすぐったさを覚えます。これも、やむなし。

さて、こちょこちょと家の整備を進めてはいるのですが、里山暮らしもなかなかに忙しいもので(なにせ、生活それ自体が、仕事であり、遊びであるのだから)、正直、行き届かないところも多いです。

それでも、徒らに心を急かすことなく、着実に自らの手足を動かして前に進んでいこうと、そんな心算でおります。自分でやってみることこそ、最高の遊び、最高の贅沢です。

そして、拙宅の環境整備がひと段落した暁には(ひと段落する前でも良いのだけれど)、

─愛すべき朋だちを招待し、一緒に鍋など突きたい。

─そして、文学やら音楽やら、なんだったら、政治や哲学のような込み入った話やらも、面白おかしく交わしたい。管を巻きたい。夢を見たい。

─1階スペースをこれから頑張って片付けるので、訪ねて来て呉れた朋だちに泊まって貰いたい。帰ると云っても、強引に引き止めて一宿二宿させたい。

─そこから、継続的で楽しい何らかを企てたい。

民泊なんぞもやるかも知れません。でも、現状、力も知恵も足りません。皆さん、様々、アドバイスやアイデアなど、頂戴。会いたい朋らが、たくさんおります。

自分でやってみるのも最高だけれど、みんなでやってみるのは、きっともっとおもしろかろ。

 

よたろ、拝。

【氷見のひみつのひと①】日本に数名だけ!?木造和船の継承者

みなさんこんにちは!
今回からは2回に分けて【氷見のひみつのひと】と題して東京の大学生である私が氷見で出会った素敵な方々にインタビューした内容をまとめていきたいと思います!

第一弾は、こちらの笑顔が素敵な74歳現役船大工「番匠FRP造船」の番匠光昭さんにお話を伺ってきました~!

ところで皆さん、1回目の記事で市立博物館を訪れたとき、館内に数多くの木造和船が展示されていたのを覚えていますか?

こうした船も番匠さんが市の学芸員さんなどから依頼を受け、修繕や作成をしたものです。

元をたどれば、縄文時代の丸木舟からおよそ7500年以上続いてきた日本の木造和船の歴史。各地で多くの和船が作られてきましたが、氷見のような日本海側の地域では太平洋側の地域と異なった「オモキ造り」と呼ばれる造船技術が育まれました。
船の種類については、以前にも記事で紹介しています。よろしければ「氷見の木造和船の話」をご覧ください。

木造和船造りが衰退する以前は木材を切り出す山のきこり・接着剤となる漆を扱う職人さん・のこぎりを扱う船釘を造る職人など地元の職人同士が繋がり、様々な人が協力しながら船を作っていたそう。

しかし現在主流の「FRP(ガラス繊維強化プラスチック)」製のFRP船を作る際は「問屋から材料を下ろして、造船所で船を造る」という単純な構図にならざるを得ないそうです。しかも、和船よりも格段に長持ちするため頻繁に修理をする必要がなく、FRP船が台頭してから船大工さん達は次々と職を失っていったそうです。「いやぁ進化したのか退化したのか分からんねえ」と番匠さんはからっとした笑顔で笑います。

自身もFRP船を中心に作っていた時期があるそうなのですが、化学製品独特の匂いよりも木の香りに包まれながら作業する方がやはり好きなのだとか。木材も氷見産の杉やあすなろを多く使うため、造る際に地元と一体になっていると感じるのがとても気持ちが良いそうです。


にこやかに船の説明をしてくれる番匠さん


造り始めたばかりの船。土台となる木の板を切り出しています

ここ最近で一番印象的だった仕事としては、とある映画の撮影に参加したことだそう。

セットで使うために貸し出された和船を工房から現場まで運んだそうなのですが、スタントとして呼ばれた川の渡し舟の船頭たちが海の荒波での撮影に全く対応できていなかったため、監督の計らいであれよあれよと言う間に番匠さん自身が船頭役の服を着せられて撮影が始まり、結局映画の中に登場することになったとか。

「たまげたけど、主演女優の子を間近で眺められたからオッケーだね」とニカっと笑う番匠さん。思わず爆笑してしまいました。

ですが、それほど海で木造の船を乗りこなすのは難しいことなのだそうです。実際に沖へ出るのであれば空や風、星を正確に読む技術も必要となっていきます。


作業場の風景

また、1隻の木造和船を造るのに通常は木の乾燥を含めて1年ほどの時間を掛かるそう。現在は1年後までに計3隻の依頼が入っており、今年はかなり大忙しの年にになりそうだとのことです。
ちなみに1隻は名門・開成学園の伝統ある水泳部から。OBさんが海で日本泳法などの指導をする際に使用するそうです。10年前にも同部から依頼があり、その完成度に大満足したOBさんを中心に再び依頼を受けたのだとか。

そして残りの2隻の依頼は長崎県の五島列島から。「1年で3隻を一人で作るのはさすがに無理がよ」と番匠さんが伝えると、「それなら知り合いで見込みのある職人を弟子として行かせるから、二人で頑張ってくれ」と依頼者の方に言われ、引き受けることにしたそうです。

そんなこんなで今年の3月、つまりつい先日番匠さんの下にやってきたのがこちらで懸命に作業をしている須藤聖一さん。

高校で木工建築を学んだ後は京都でのこぎりの「目立て」の職人を10年ほど続けていましたが、今回の話を良いきっかけに氷見へ来ることを決めたそうです。
出身の札幌にほど近い石狩や小樽の日本海を見慣れていたため、氷見の風景にも親近感が湧くそう。番匠さんを「親方」と呼び、早くも師弟の絆が築かれつつあります。

目立て用の作業スペースを番匠さんの工房の一角に作ったとのことだったので、せっかくなので見せてもらうことに。

「目立て」職人の仕事はのこぎりの切れ味を蘇らせること。最盛期には素人には修復不能になったのこぎりが次々と持ち込まれていたそうです。

しかし、最近では使い捨てのこぎりが普及するにつれて活躍の場が減ってしまいました。須藤さん自身すら「いずれこの職業が無くなるのは目に見えている」と客観視するほど現状は厳しいですが、「それでも少しでも僕たちのことを頼りにしてくれる人がいるなら、最後まで自分たちは頑張りたい」とまっすぐな目で話してくれました。

昔から木造の船を作る船大工さんは自分の大工道具を自分で手入れし、また目立ての職人さんも切れ味を確かめるために木材を試し切りで扱ってきました。「のこぎりの修理」と「造船」。まったく別物に思える技術にも、実は少なからず繋がりがあります。

どちらも絶滅危惧種と称されるほど今や希少な技術ですが、「僕のように誰か一人でも繋いでいく人が必要だと思うし、時間をかけて出来ることを少しでも増やしていきたい」と話す須藤さん。

若い世代が減る一方の職人の世界では本当に頼もしい存在なのではないでしょうか。「身に付ける技術に天井はありませんから」と笑って話す横顔がとても爽やかでした。


のこぎりを手に「目立て」の仕事について語ってくれる須藤さん。

*     *        *


趣のある薪ストーブ

ここで少し休息。船の廃材を利用した薪ストーブで沸かしたコーヒーをいただきました。


おちゃめな番匠さんとティータイム。

お茶を飲みながら、番匠さんが色々な話をしてくれます。一番印象に残ったのはご自身の過去についての話です。

番匠さんは元々栃木生まれ。親戚の家に養子に出されて以来、氷見で育ちました。

15歳で船大工だった父親に弟子入りするも7年後に大喧嘩。家を飛び出し、そのまま福井の造船所で3年間働いていたこともあります。父親に呼び戻されて再び働いたものの、数年後にまたもや意見が対立して大喧嘩。

この時は氷見市内に自分の工場を立てたことでひとまず事が収まりましたが、しばらくすると60歳近くになっていた父親が病気を患い、船を作り続けることが困難になりました。

とうとうもう何日も生きられないとなった時…「今度大きい船の依頼が入ったんだが、親父の工場を使っていいかい」と番匠さんが尋ねると、父親からは「ああ、自由に使ってくれ」との返答が。

―死の間際に、ようやく親子は和解することが出来たのでした。

番匠さんが74歳になった今も使う工房はまさに父親が使っていた場所そのもの。父親の死後移転することなく40年以上使い続け、多少の増改築を重ねながら現在の「番匠FRP造船」に至っています。


52年間の職人人生を振り返り、お父さんとの思い出を語ってくれました


昔から変わらずこの場所にある番匠家の工房。

不覚にもこの田矢、このお話を聞いた時にはさすがにうるっと来てしまいました。普段何気なく目の前を通っていた建物にそんな過去があったなんて…

そんな番匠さんに今後の夢を聞くと、「早く隠居したい」とのお答えが。えーこういう時は『一生現役』とかじゃないんですかと言うと、「だって疲れるんだもん (笑)」とお茶目に笑った番匠さん。いやー最近は次の依頼でやめようと思ったらまた次の依頼が来るのよーと心なしか嬉しそうに嘆いています。「でも、須藤くんみたいに若い人に教えるべきことはすべて教えたいね。それがきっと自分のやるべきことだから」と目をしっかりと見据えて話す様子からするに、番匠さんが現場を離れる日はまだまだ先の話のようです。


須藤さんの作業を見守る番匠さん。これからが楽しみです

*     *       *
番匠さんがつくったテンマ船は年に一回、湊川沿いの桜並木が満開に咲くころに開かれるお花見の遊覧イベントに利用されます。
船に乗りながらお花見が出来るなんて、なかなか雅なコラボではないでしょうか?ちなみに私が工房を訪れた際に番匠さんが作っていた船もこのテンマ船でした。
今年の開催は4月11日、12日。
詳細が分かり次第またリンクを張ります。今後の情報も要チェックですね。

歴史と世代を越えて番匠さんたち船大工の想いが一心に詰まった「氷見の木造和船」。氷見に来た際にはぜひ一度実物を見ていってほしいと思います!

(参考文献)
氷見市立博物館「特別展 ドブネ復元-日本海沿岸の船づくり-」2019年

おお朋だちよ─、今こそ氷見の里山で、農民に、百姓になろう

富山県の氷見市と云うと、魚食文化の街といった印象が強かろうと思いますが、市の面積の大半は山林地です。低い山の谷あいに集落が形成されていて、その中のひとつに久目地区・触坂があります。

触坂地区は、さらに「側(がわ)」と呼ばれる小単位に分けられていて、小生が移住したのは清水側。普通に「しみずがわ」と云っても通じますが、在郷の人らは「しょいで」と発音することもあり、県外出身者の小生の耳を、小気味よくざわつかせてくれます。

2018年の夏。そのような集落に、里山暮らしの先輩方が居ることを恃みとして、妻とふたりでぽんと移り住んできた小生ではありますが…、引っ越し先の家が、なんとも大きいのです(氷見の人の感覚で云うと、特段、大きな家には当たらないのかもしれませんが)。

いざ、この大きな家を前にしてみると、さてまあ、何から手を付けたらよいのやらと、しばし途方に暮れました。

都市部に仮寓していたころは狭いアパート暮らしが長かったもので、氷見の山間部にある家々(街中にある家もだけれど)は、小生にとっては如何にも巨大に映ります。物理的にボリュームがあるということは何と云ってもひとつの価値なのだ、むべなるかな、と、ひとり得心してしまうほどに。

触坂の夜空

ちなみに、晴れの日の夜には、こんな具合で満天の星空を愉しむことができます。こういった空の広さにも、物理的なボリュームの価値を感じます。いやあ、巨きいなあ、と。

夏野菜の畝

庭もあります。そこには、簡単な菜園スペースを設けました。

夏野菜の収穫

ガレガレの土で、環境を整えるに少しく苦労しましたが、何とか収穫まで漕ぎ着けました。いずれその話をする機会もありましょうか。ともあれ、今回は家の中のお話を。

居間の畳剥がし

移住1年目の夏の終わり、ふと、居間でも改めてみんと思い立ちました。畳を板間にし、砂壁を白漆喰の壁にしようという企てです。

白漆喰

元の壁は砂壁で、暗い黄土色をしていました。触るとほろほろと砂つぶが落剥する、アレです。その壁を、白漆喰で塗り直そうと云うわけです。

下地が滲んで失敗

ところが、小生の人生の中で、壁塗りに時間を割くなんてのは、初めてのこと。というか、いわゆるDIY的なことなんて、殆ど経験がありませんでした。経験のなさは、時として、頓珍漢な蛮行を誘発するものなのですね。

無分別にも、下地の砂を落とさずに塗り始めてしまったのです(今思えば、無分別、無思慮にも程がある。我ながら、呵々と大笑するばかりです)。結果、白漆喰が固まった後から、じんわりと下地の黄色が出てきてしまいました。

これは、しっかりと、下地の砂を落とさなければいけん。ということで、スクレーパー(ヘラのようなもんです)で、敢然、砂剥がしにかかります。霧吹きで砂壁に水分を含ませてやると、ぺりりっと簡単に剥がせます。快感。

はじめから、この作業をしておくべきでした。阿呆だなあ、小生。とはいえ、自嘲はよくない。そんなとき、自身を優しく慰める言葉は…、

日む無し

日む無し。あ、間違えた。

田む無し

田む無し。あ、また間違えた。

已む無し

そうそう、已む無し(やむなし)。

失敗しても、「已む無し」と呟けば、大概のことはどうでもよくなります。人類がみな、窮屈な拘泥をポイできますように、なんて。

下地剥がし

遊んだあとは、もちろん、ちゃんとお片づけをいたします。

助っ人の漆喰塗り

仲間たちも遊びにきてくれました。びしゃんびしゃん、ジャッジャッと、勢い良いコテさばきが、大変に潔い。

床の間の漆喰塗り

この床の間の壁も、助っ人の方に塗ってもらったものです。実に丁寧に塗ってもらいました。平らの壁面が光をよく跳ね返し、部屋が明るくなった心地がします。

根太

そんなこんなで、何とか壁の漆喰塗りを終え、次は板張り作業です。まずは、下板の上に新聞紙を敷き(下板と下板の隙間を物理的に埋めるため)、その上に根太(床板を支えるための横木のこと)を通していきます。

そして、冬場の寒さ対策として、根太の間に断熱材を忍ばせておきたいな、しかし、金はかけたくないな。ということで、籾殻くん炭を自作することにしました。

くん炭づくり1

まず、「籾殻」をロハで確保。あとは、「ステンレス くん炭器」と、密閉できる「ドラム缶」を用意して、準備完了です。

くん炭づくり2

くん炭器の中で火を焚いて、周りに籾殻を重ねていきます。

くん炭づくり3

じわじわと、籾殻に熱が回ってきて、黒く炭化していきます。籾殻の一粒一粒が熱をリレーしていくようで、眺めていて実におもしろい。夏場にやると、熱くてかないませんけれど。

くん炭づくり4

灰にならないように気をつけながら、適宜かき混ぜていき、全体が黒くなったら完成です。

くん炭づくり5

そして、出来上がったくん炭を冷ますため、R2-D2みたいなドラム缶へ投入。蓋をして、密閉します。空気を遮断して、燃焼をストップさせるためですね。畑に撒くためのくん炭であれば、ばーっと水をかけて消火すればよいのですが、今回のくん炭は断熱材用だったので、水をかけるわけにもいかなかったという次第です。

出来上がったくん炭

その後、2、3日ほど冷まして、オープン。少しばかり生なものが混ざっていますが、概ね佳しとしました。

実は、くん炭器がない状態で(段ボールで代替しようとしていました)、挑戦しては灰にして、を繰り返していたもので…、兎に角も、無事に出来たので、ほっと肩をなで下ろしました。

根太の間にくん炭1

そうして、自作したくん炭を、根太と根太の間に敷き詰めていきます。

根太の間にくん炭2

こんな感じで、びしーっと、隙間なく。作業していると、もうもうと炭が舞うので、鼻の中が黒ずみます。

根太の間にくん炭3

さて、これにて、板間への更新作業も、いよいよ終盤。この後、床板を張っていくことになります。その話は、また次回にでも。

ご覧の通り、歩みは遅々たり。それでも、氷見の里山にて、手探りや手違いを笑い飛ばしながら、「姓(かばね=仕事=出来ること)」を、一つひとつ増やしていきたいなと思っています。

そうして、賢治の云う「農民」に、生きることのあらゆる仕事ができる「百姓」に、いつかなりたい。

そんな風に、思います。それでは、朋だちのみなさん(まだ見ぬ方々も含めて)、氷見の里山にて、いつかお会いしましょう。

 

ようたろ、頓首。

二足の草鞋は季節を尊ぶ。

先日とは言っても早1ヶ月前くらいのこと、氷見市地域おこし協力隊でありフィッシュレザー製品ブランド「tototo」のクラウドファンディングに成功された野口朋寿さんと、美味しいお酒をご一緒させて頂く機会があり、記事を書くことについてのお互いの思いを交換しました。
 

 
「記事の中に季節感が無いと、どうしても味気ないものになってしまう。」
 
魚や釣りに関する記事が多い野口さん。例えば、季節の旬な魚釣りを紹介したいと思っても、近頃のご多忙で文章をまとめる時間が無いまま、旬は過ぎ去ってしまうとか。写真も似たような題材で、今回掲載する写真は、1ヶ月半以上前に撮影した初秋の写真たち。この撮影以降の1ヶ月半は、多忙に次ぐ多忙。空き時間に少しずつ執筆作業はしていたものも、全体をひとつの記事としてまとめる時間は有りませんでした。
 
この1ヶ月半の間、どうして多忙だったのかは、またいつかの機会にご紹介するとして。今回は、ジェットコースターな日々が始まる前のお話。2019年の暦上、最後の3連休の1日、氷見の初秋を巡るプチ旅の様子とエッセイをお伝えして行きます。
 

 
前日の残業が響き、少し遅めの時間から始まった休日の朝。電動ミルで砕いた珈琲豆をハンドドリップで注ぐと、部屋の中は浅煎り豆の香りがふわっと広がり、遮光カーテンの隙間からは秋晴れの透き通った青空が垣間見えました。海側から昇るあの美しい朝焼けを、今日も見逃してしまった一抹の後悔はあるけれど、山側に沈む朗らかな夕陽を拝めることが出来たらと期待を抱くのでした。
 
朝食を終え、洗濯機を回し、掃除機と周り、シワが残る衣服が太陽の下で踊る頃には、時計の針は一筋に重なり合います。
 
ひとり暮らしの会社員は、生きているだけで忙しい。休日の半分は家事の時間で潰れてしまうから、やるせない気持ちになることは何度もあります。また、ひとり暮らしを始めてから1年半以上の間、”弁当”というものを毎日休まず作り続け、会社へ持って行っていることも、誰かに褒めて欲しいけれど誰にも褒められない切ない事実です。
 
たまには自分へのご褒美に、氷見食材を使った美味しいランチを外食しても、誰からも文句は言われないでしょう。氷見へ移り住んで以来、行きたくて行けなかったイタリアンのお店へ車を走らせることにします。
 

 
氷見産の、旬で新鮮なお野菜をイタリアン料理で頂けるお店「イタリアンキッチンオリーブ」さん。早速、オーガニック野菜の前菜料理から味わっていきます。
 

 
野菜本来が持つ旨味を、調理方法や食材の組み合わせで表現した一皿。食感や味覚から秋を感じながらひとつひとつ、食材の表情を楽しみます。
 

 

 
メインメニューは、「白エビとブロッコリーのパスタ」。氷見らしく、魚介食材とのコラボレーションが味わえるのも、この街のイタリアンならでは。ブロッコリーと白海老、野菜と魚介がそれぞれ持つ苦味と甘みが絶妙に交わり且つ、赤唐辛子がアクセントのシンプルな味付けで、この上ない幸福感を味わえる一品でした。Bouno!
 

 
ランチの終わりには、氷見産リンゴのコンフォートにバニラアイスを添えたデザート。甘さを抑えたコンフォートは、これまで頂いた食材のフィナーレにふさわしい美味しさでした。
 

 
季節ごとに変わるオリーブさんのメニュー。ウェブサイトからは、今の季節に提供されている料理を見ることが出来るので是非ご覧下さい。
 
【イタリアンキッチンオリーブ】への地図はこちら。
 

 
海と里山の距離が近いのも、氷見が持つ魅力のひとつ。オリーブさんから車を走らせること約15分。秋色に色づき始めた山道を進むと、手書きで”ソライロ”と書かれた大きな看板が見えてきました。もうひとつの行けていなかった場所は【Bed&Kitchen SORAIRO】さんです。
 

 

 
ここで堪能する秋のスイーツはこちら。
 

 
チーズタルトに添えてあるサツマイモチップは、ソライロさんのある速川地区の特産品であるサツマイモをチップスとして開発したもの。イタリアンとはまた異なる、日本に根付く風土や文化が宿った、真っ直ぐで優しい甘みを堪能しました。
 
【関連記事】
 
氷見の暮らしが体験できる!「Bed&Kitchen SORAIRO」①
 
氷見の暮らしが体験できる!「Bed&Kitchen SORAIRO」②
 
かつて氷見市地域まちおこし協力隊として、現在はお店のオーナーとして速川地区の発展に貢献されている澤田さんと、氷見のことについて少しばかりお話させて頂きました。考えが一致したのは、「氷見が旅の最終目的地になれば、、、。」ということ。どうしても、隣県へ向かう”ついで”に氷見へ立ち寄るのが旅の定番となっていて、氷見の魅力を体験する前に移動してしまうのがとても寂しいところ。
 
海側と山側の暮らしの良さ、両方をゆっくり味わって欲しいというのが澤田さんの願い。その願いを体現するかのように、1階のカフェ・レストランスペースに加え、2階にはゲストハウススペースが用意されています。これからの季節、朝陽の光でキラキラと輝く一面の銀世界は、是非皆さんにも体験して欲しい風景だとか。お店の詳しい情報は、こちらのfacebookページからご覧頂けます。
 
【Bed&Kitchen SORAIRO】への地図はこちら。
 
.
 
.
 
ここからは、秋のドライブを楽しみながら、氷見の山側スポットを巡って行きます。目の前に迫り来る、秋めく景色に視線を移すと、あの日の記憶が蘇って来ます。
 

 
「”忙しい”という言葉は、”心(忄)が亡くなること”を意味する日本語だ。」と教えてくれたのは3年前の冬のある日。普段口数の少ない父親との会話からのひと言で、いまでも鮮明に覚えている苦しい経験から「忙しい」という認識を改めました。
 

 
あまりの忙しさとストレスから、身体も心もぼろぼろになって、燃え尽きた煙草の灰のようになった筆者。ロンドンの街の外れ、いつもは学生たちで賑わう街並みも、クリスマス休暇で皆家族のもとへ帰り、乾いた冷たい風が吹き付けるだけの街に、父親は遥か遠い富山から助けに来てくれました。閑散としたキャンパスを親子ふたりで歩きながら、久しぶりの会話が続きます。
 

 
「もう少し元気になったら、街を歩くことから始めなさい。」当時、自動車工学を専攻していた筆者にとって、デスクトップのCAD※へ1日中向かいあうのが日常で、「街を歩く」ということは、目の疲れを癒すことや心の気分転換をするくらいの行為だと当時は思っていました。
 
※設計・図面作成や解析用ソフトのこと。Computer Aided Designの略。
 
ただ、この言葉の真意は、リフレッシュの為では無かったように今現在は思えます。「街を歩く」ことは「季節を尊(たっと)ぶ」ことなのだと。そして、「心が亡くなる」ということは「季節の移り変わりを見失ってしまう」ことだと、社会人になって、そして氷見へ移り住んで改めて実感しています。
 

 
「季節」の感じ方は、人それぞれだと思うけれど、地元産の旬な食材を頂いたり、路端に咲く花木を愛でたり、刻一刻と変わりゆく天気や自然の表情を切り撮ったり、忙しなく過ぎ去る時間軸のなかで「季節の移り変わり」と向き合える瞬間がすぐ身近にある氷見の良さ。
 
今の時期であれば、枯れ葉が道端にたまり、椿の花が咲き始め、寒ブリを取り扱うお店には開店前から列を成している。そんな些細な気づきが、季節の大河に身を戻してくれるのです。3年前のあの時以上の忙しさを経験している今、過ぎ去る季節になんとかしがみ付いていられるのは、自然に富む富山県は氷見とこの街に住む人々のお陰だったと感謝しています。
 
「季節を尊ぶ」という、日々の暮らしの中ですぐに見えなくなってしまう感覚を、これからも大切に持っていたいと思います。
 

 

 

 

 
帰路の車窓からは、暖色に染まる広大な夕空が映し出されていました。地名も分からぬ田圃道の脇に車を停め、ほんの少しだけ歩くことにします。
 
すると、竹の木を肩に担ぎ歩くおじいちゃんが、反対方向からゆっくりと向かって来て、すれ違い様に「お疲れ様〜」と優しく声をかけてくれた。それが、なぜだかとても嬉しくて。短い挨拶の中に、思いやりの心が詰まっているような気がしました。
 
「沈む行く夕陽と竹の木を担ぎ歩くおじいちゃん」
 
情緒溢れる秋のワンシーンになるのでは?と踵を返しカメラを構えると、おじいちゃんは立ち止まり夕焼けを眺めていた。
 

 
「季節を尊ぶ人」はここにもいたのです。
 
年末へ向けて、さらに忙しい日々はここから始まる。不安と期待が入り混じる心持ちでも、なんとか乗り越えられそうな勇気をもらえました。
 

過去と未来が交差する街で。

この街が持つ魅力のひとつとして、氷見を訪れたことある人が、「また氷見へ行きたい。」と思ってくれることではないでしょうか?
 
それが何故か?問われると、この曖昧な魅力はあまりにも言語化するのに難しく。それでも、”外”から訪れた人々の琴線に触れる「何か」が、氷見で暮らす私たちの生活の中に隠れているように感じます。
 

 
暦も9月に入った最初の週末。台風の影響でしょうか、この日の氷見は30℃以上を記録し、真夏の暑さが舞い戻って来ました。そんなある日のこと、今年の冬、ふるさとワーキングホリデースタッフとして活躍した三戸さんが、再び氷見へ遊びに来てくれました。
 
今回の記事では、彼女自身も写真が撮るのが好きとのことで、氷見の”撮影スポット”を一緒に巡った様子をお伝えして行きたいと思います。
 

 
九殿浜展望台
 
市内から車で約20分。海岸線をドライブしながら七尾方面へ向かうと辿り着くのが、「九殿浜展望台」。ここからの景色は、氷見の地形ならではの”特権”があるのです。
 

 

 
立山連峰の真正面に位置するこの場所は、氷見市内でも屈指の”絶景ポイント”ではないでしょうか?
 
富山県・上市町出身の筆者にとって、”海越しの立山連峰”はとても新鮮で、実家から見ていた山並みは、手が届くような距離に佇む身近な存在でした。ただ氷見へ来て、この場所を知り訪れると「本当に遠くへ来たのだなあ」と感慨深くなります。
 
下の写真は、実家の側から手持ち撮影した時のもの。秋から冬へと季節が変わる頃、紅葉と雪化粧な剣岳との共演です。
 

 
ちなみに、今年の春先に訪れた時の光景がこちら。真白な立山連峰を富山湾越しで拝めることが出来るのは、氷見で暮らす人々にとってご褒美のような景色です。
 

 
さらに、お花見やピクニックにも是非おすすめしたいスポット。例えば、市内のパン屋さんで出来立てのパンやサンドイッチを買って、穏やかな海を眺めながらランチタイムなんてことも素敵ですよね。
 

 

 

 
余談ですが、過去記事:移り住むこと。のサムネイルに使用したこの写真は、九殿浜展望台から海側へ歩いて下りた時に出会った風景です。海があり里山があって、自然の中に私たちの生活がある。そんな情景が浮かぶように撮り下ろしました。
 

 
阿尾城址
 

 

 
九殿浜から市内へ戻る道中に立ち寄ったのが「阿尾城址」。
 
関連記事:氷見にかつて存在した阿尾城
 
本丸へと向かう一本道以外は、四方海に囲まれた自然の要塞。伝えられたところによると、廃城に至るまで一度も攻め落とされたことが無く、まさに地の利を活かした山城と言えるでしょう。また、越中と能登を繋ぐ交通の要所として、氷見・阿尾城が重要な役割を担ったのは想像に難くありません。
 
戦国の乱世、佐々成政と前田利家・利益(慶次郎)などの名だたる武将が、この地の覇権を争った背景を知ると、400年以上の月日が経ち今や神社のみとなった城址も、一度訪れてみる価値はありそうです。
 

 
山側から眺める氷見の街並みも好きですが、海側から眺める光景もそれ以上に親しみを感じます。太陽の日差しが穏やかな波に反射し、きらきらと光る風景は、透き通る青空の下、私たちの街の様相を輝かせてくれるようです。
 
様々な角度から街を眺めてみる。写真を撮る人にとっても、街で暮らして生きる人々にとっても、大切なポイントのひとつではないでしょうか?
 

 

 

 
確かに、「映え」な光景や「エモい」情景はこの街には無いかもしれません。それでも、日々の暮らしと真摯に向き合い、人々との出会いを大切にし、今私たちが目撃している”現在”に至るまでの歴史や経緯を顧みると、平凡な日常にも新しい視野が広がる気がします。
 
氷見の自然は、そんな私たちに「明日を生きる勇気」をもたらす情景を与えてくるのです。
 

 
ひと言で氷見の街をどう表現しますか?と聞かれると、筆者は迷わずこう答えるでしょう。
 
「過去と未来が交差する街」
 
街の歴史や背景に触れた人々が、過去に宿る記憶や想いを受け継いで、未来を創造する。実際に、氷見で暮らす人々と関わると、そんな想いや願いを抱いている方々が沢山おられることに気づかされます。彼らは、全く新しい事を起こすのではなく、既にあるモノやコトを現代に寄り添うような形でリノベーションしている。人一倍もがきながら、より良い明日に向かって、今を生きているのです。
 

 
この記事の冒頭で触れた、「また氷見を訪れたい。」と思う所以は、氷見で頑張る人々の心意気が、確実に届いているからではないでしょうか?
 
今日も沢山の人々が氷見を訪れて、彼らの住む街へ帰路に就く。その限られた時間の中で、「また氷見へ行きたい。」と思って頂ける瞬間に出会えることを心から願っています。
 

 
楽しかった時間は過ぎて、別れ際「また氷見に帰って来ます!」と言ってくれた三戸さん。氷見で過ごした時間や記憶を抱いて、これからも逞しく生きて欲しいと願っています。
 
この街と関わりをもつ仲間が、またひとり増えた。それだけでも「幸せ」な出来事だと思いませんか?

移住者交流会in久目に参加しました

皆さんこんにちは、ワーホリスタッフの守山です。
氷見に来てから一週間が経過し、少しずつ土地勘もついてきました。
 
今回は、久目(くめ)地区で行われた移住者交流会に参加してきたので、その様子をレポートしたいと思います。
 
この交流会は氷見の中でも、久目という地区に移住してきた人たちが集まって、親睦を深めようという交流会です。
久目は先日訪れた、ブルーベリー農園・カフェ『Café風楽里』を営む上野さんを始め多くの移住者が住んでいる地区になります。この久目に近頃あらたに移住者がやってきたということで、是非迎え入れようとこの会が開かれました。
 
ちなみに市街地から久目までは車で20分ほど、氷見市の中ではかなり内陸に位置する地区になります。
 

 
なんで氷見に移住してきたんだろうか。しかも、なんで氷見なのに山の中???
と不思議に思いながらも会場に到着。

会場になるのは久目に来て4年が経つサントスさんのおうち。サントスさんは純日本人らしいのですがなぜサントスさんと呼ばれているかは不明です。普段は木こりをしたり田んぼを耕したりしてるんだとか。
 

 
 
今回の交流会の参加者は計11人。
気になる顔ぶれは、発破技師、会社経営者、ライター、ワーホリで日本に滞在中のフランス人、何してるかわからない人…。皆さん、個性的です…。
 
氷見で獲れた新鮮な猪肉を食しながら交流を深めていきます。
 

 
ちなみに、猪を食べたのはこれが初めてですが想像の2倍は美味しかったですよ!!サントスさんが「一度美味い猪を食べたら豚肉に戻れなくなる。」と言っていましたが、それも頷ける美味しさです。
 
美味しい食べ物を囲んでいると、それだけで参加者の会話も弾みます。
 

 
狩猟免許の取り方、二ホンミツバチの飼育法、ハクビシンの駆除方法…。
 
筆者には未開の分野すぎたので、終始勉強になることばかりです。
ハクビシンなんて、伝説のポケモンみたいなイメージだったのに普通に生息してるんですね。軽く衝撃でした。
 
ちなみに、二ホンミツバチの話が出たのは、移住者に養蜂家がいるからです。
こちらのダンディーなおじさまが今年から移住してきた竹口さん。
 

 
普段は別のお仕事をされていますが、はちみつを作るべく、久目に移住されたんだとか。また、久目には多くの先輩移住者たちがいるから移住しやすかったともおっしゃっていました。
確かに、外から来る移住者にとって、溶け込めるコミュニティが一つでも有ると、移住しやすい気がします。
 
筆者も希少な二ホンミツバチのはちみつを試食させていただきました。
 

 
爽やかだけどコクがあっていくらでも食べられそうな甘さです。ちなみに販売するとなるとこの一瓶で3000円はくだらないとのこと。びっくりです。
 

 
ブルーベリー農園の上野さんとは、何か一緒にできないかともお話されていました。氷見産のブルーベリーと氷見産のはちみつ…
 
是非筆者からは、このはちみつで作るブルーベリージャムを提案させていただきます!!!
 
 
こっちでも、サントスさんと金平さんが熱くキャンプを語ってます。
(右側のブレがひどい方がサントスさんで、左が金平さん。写真下手ですみません。)
 

 
金平さんはWeb系のお仕事をされている一方、キャンプが好きで山に住みたいとの想いから、氷見に来たとのこと。
どうりで、氷見なのに漁港に近い市街地ではなく山間部を選んだわけだ。
 
お話を聞いていると、皆さんいろんな理由があって氷見に移住してきたんだなあと感心します。
 
 
筆者はまだ学生で本格的に移住しよう!!と考えたことはあまりないのですが、もし移り住むとしたら久目みたいな移住者同士のコミュニティがあったり、地元の人たちと関わりのある街に移住したいなと思います。
 

 
以上が、今回の移住者交流会in久目のレポートです!!
 
なんと、久目には近く新たにガラス作家さんが移住してくるとのことで…
続々と新しい移住者が増える氷見市久目。
 
是非また訪問します!!

【ふるさとワーホリ一日目】氷見の暮らしを体験してみた

はじめまして、ふるさとワーキングホリデースタッフの守山泰智です。
これから二週間半、氷見暮らしを体験して、その記事を書かせていただきます!

簡単に私の自己紹介をすると…
・埼玉県出身
・都内の大学に通う四年生
・ゲストハウスとBARが好き(人に会うのが好き)
・いろんな土地を訪れるのが好き
・でも氷見に来るのははじめて

とまあ、こんな人間です。
昨年、金沢のゲストハウスで働いていたことをきっかけに北陸が好きになり、「次は富山だ!!!」という思い付きのもと氷見に来てみました。
今回はせっかく一本目の記事なので、外から来た私が氷見について感じたこと素直に書き連ねたいと思います。

 

 

氷見に来てまず最初に思ったのが、意外と街が小さくて移動しやすい!!!
初日に車で氷見市内を一周したのですが、市街から30分あればでもどこへでも行けます。氷見市自体は230㎢(さいたま市とか大阪市くらい)と結構大きな市なんですが、道路網がしっかりしているのと、地形が平たんなのでほんとに移動がしやすい。

で、移動しやすいと何がいいかと言うと、港のある海岸から

 

こんなにのんびりした里山まで簡単に来れるんですよ。(トトロ住んでそう)

なんと言うか、ちょうどいいんです。この距離感。私が海なし県の埼玉出身だからかはわからないんですが、海も山も近くにあるのは贔屓目無しに羨ましいです。

ちなみに、海は漁港だけのイメージだったけど、ちゃんとビーチのある海水浴場もありました。

 

さらに・・・

 

道路網がしっかりしてるから、都会にも割と簡単に行ける!!
氷見からみた都会は富山か高岡になるみたいですが、高岡なら30分で行けます。実際私は電車で来たんですけれど、高岡からちょうど30分でした。

高岡に行けば、何でもあるし新幹線も通ってるから結構便利。結局いつも首都圏で生活してる人間からすると、都会へのアクセスも気にしちゃうんですよね…

そういう意味で氷見はちょうどいい。海、山、都会。どこへでも簡単に行ける。この街の小ささというか、サイズ感すごい気に入りました。

 

そして、もう一つ来て感じたのは、食の美味しさ

これを読んでくれてる人からすれば、当たり前だよって言われるかもしれないですが、やっぱり食べ物は美味しいです。氷見に来た初日も2日目も海鮮居酒屋に行ったんですが、どれも美味しい。

富山名物白エビのからあげ

 

岩ガキのフライ

 

寿司

特に美味しかったのはフクラギ。ブリの幼魚らしいんですが、富山ではフクラギって言うんですね。僕の地元ではハマチです。
あと、いろいろお話を聞いて知ったんですが、氷見の魚はブリだけじゃないみたいです。完全にブリだけだと思ってました。すみません。

たとえば、イワシ。氷見鰯って言葉が広辞苑に掲載されてるくらいのブランド魚。時期は春らしい。それからマグロ。驚いたことに氷見はクロマグロも獲れるんです。それも夏に。実際食べてみたんですが、冬に東北の方でとれるマグロとは、また違ってめちゃくちゃ美味しかったですよ!!!

そして、魚だけじゃなく野菜や果物も美味しい
氷見で一番有名な観光地、氷見番屋街に行ったんですが、氷見産の野菜、果物たくさんあります。街のスーパーにも氷見産の野菜コーナーがありました。

実際には、この写真に収まらないくらい野菜と果物が並んでます。本当に種類が豊富で果物に至ってはリンゴからみかんドレッシングまでありました。リンゴとみかんが同じ地域で採れるっておかしいですよね。(いい意味で)
地産地消って言葉がありますけど、氷見は昔からそういう文化があったんじゃないかな。

これは氷見のブルーベリーを使ったチーズケーキ。
自家農園で栽培されたブルーベリーなのでまさに産地直送!!!

甘酸っぱくておいしい。ちなみにこのチーズケーキをいただいたcafé風楽里はこんな感じの古民家カフェ。

内装もめっちゃきれいです。オーナーさんも素敵だし、時間もゆっくり流れてます。

まだ来て数日ですが、地元の海の幸と山の幸を同時に味わうことができるのは、地形や文化が生み出した氷見ならではの魅力であり、最高の贅沢だと感じました。市区町村単位で、魚も肉も野菜もなんでも域内で揃えられる街は意外と少ないですからね。

以上が、私が氷見に来て感じた最初のレポートです。まだこの街の表面的なところしか知りませんが、もっと沢山の魅力が氷見にはあるんだろうなと感じています。これからもどんどん氷見の暮らしをレポートしていくのでどうぞよろしくお願いします。

移り住むこと。

私が「みらいエンジン」と出会ったのは、昨年11月の頃だったと記憶しています。
 

 
夏から少しずつ企画していたグループ展の計画が頓挫し、物事が上手く行かないことに対する苛立ちやストレスを抱えていた秋の終わりの出来事でした。
 
それでも、「”氷見”の街中で写真展をー」の夢を諦めることは出来ず、2019年春先の個展開催に向けて、再始動する覚悟を決めたのでした。しかしながら、個展開催を意味するのは、会場決め・予算運営や告知活動等々、全ての事をひとりで取り纏める必要があるということです。自分の頭で描いているプランは、果たして本当に実現することが出来るのだろうか?
 
人生で初めての個展。期待と不安の両方が膨らむ私は、ある種の助けを求めるかのように、氷見の街中に佇む町家(みらいエンジン・旧まちのタマル場)を訪れることにしました。
 

 
みらいエンジンとの出会いから4ヶ月後、今年3月にビアカフェ・ブルーミンでの写真展開催を無事成功。そして今年7月からは、氷見との更なる関わりを求めて、住まいを移すことを決断しました。
.
 
.
皆さん初めまして、ひみ暮らしサポーターズで写真家の北条です。
 
今回の記事では、写真展. Colour – Full .のその後に触れつつ、氷見市に移住してきて感じたことをお伝えして行きたいと思います。
.
写真展に関する記事は、以下のリンクからご覧頂けます。
 
【春の訪れを酒場で楽しむ写真展. Colour – Full .】
 
【日本初の写真展. Colour – Full .を終えて。】
.
 
.
<写真展のその後>
 
個展後に訪れる氷見の街は、どこか安心感を感じられる、心地良い場所になったような感覚がしました。
 

 
この時期に撮影された写真たちは、個展のプレッシャーから解放され、撮影テーマも特になく、自分の感性が動いた場面や風景を切り取っています。
 

 

 

 
少し技術的な事をお伝えすると、写真展の全作品(冒頭の2枚の過去写真も含む)は、35mm(判換算53mm相当)の単焦点レンズを使用して撮影しました。個展後は、表現の幅を広げる為にも、新しいレンズや機材を導入して、新たな表現方法を模索しているところです。
 
模索しているが故に、悩みや葛藤を抱えることもあり、自分が表現したいものに対し満足することが出来ない時間もありました。特に氷見に移り住む前の1ヶ月間は、カメラにすら触らない期間があったりして、「写真」に対して嫌悪感を抱くことさえありました。
 

 
いざ氷見に移り住んでみると、カメラを持って出かける機会が自然と多くなってきて、写真を撮ることの楽しさが蘇ってきている感覚がします。これからも、氷見の暮らしに寄り添いながら、何気ない風景を切り撮って行けたらと思います。
 

 

.
 
.
<海街に移り住んで>
 
氷見に移り住んで迎えた初めての週末は、氷見漁港の朝セリ見学へ行きました。
 

 
– ”いのちを頂く”を体感する1日。 –
 
その日の夕方、家の近くにあるスーパーの魚売り場を覗いてみると、”氷見産朝とれ”のシールが付いた魚たちが売られていました。その中から、”あかいか”を購入!
 
人生初、1時間かけて捌いたイカに、炒めたガーリックとしめじを和えたパスタは、見た目以上の美味しさを味わうことが出来ました。
 

 
この小さな街でさえ、朝に揚がった氷見産の魚たちが、私たちの食卓へ彩られるまでには、氷見に住む沢山の人々の手作業が関わったいることに改めて気付かされます。
 

 

 

 
当たり前のことを言っているのじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、そんな些細なことでも、喜びや幸せを感じながら暮らすことが出来るのは、とても素敵なことだと思いませんか?
 
日々生きることにさえ息苦しさを感じる今の社会で、自然と暮らすことで味わう小さな幸せが、氷見に住む私たちの身近に存在している。そう実感した、休日のある日の出来事でした。
.
 
.
月日が過ぎるのは早いもので、氷見に移住してからもうひと月が経とうとしていますが、改めて感じることは「移り住むこと=ゴール」ではないということです。
 

 
街で暮らす人々と交流したり、地域で育った食材を頂くことだったり、移り住んだその先には、些細なことでも心が豊かになる出来事が沢山待っています。
 
毎日の生活や時間に追われていた私は、氷見との時間を共にすることで、その事に気付かされました。そして、この記事を読んで下さっている方にも是非、五感で感じ取って欲しいと願っています。
 

 
富山県の片隅、能登半島の入り口に、私たちの街・氷見があります。この自然豊かな街で、あなたの訪れを心からお待ちしています。
 
私は私なりに氷見生活を満喫して、移り住んだその先の暮らしがイメージできるような写真や文章を、皆さんへお届けして行けたらと思っています。
 
それでは、これからも宜しくお願いします!