富山県の氷見市と云うと、魚食文化の街といった印象が強かろうと思いますが、市の面積の大半は山林地です。低い山の谷あいに集落が形成されていて、その中のひとつに久目地区・触坂があります。
触坂地区は、さらに「側(がわ)」と呼ばれる小単位に分けられていて、小生が移住したのは清水側。普通に「しみずがわ」と云っても通じますが、在郷の人らは「しょいで」と発音することもあり、県外出身者の小生の耳を、小気味よくざわつかせてくれます。
2018年の夏。そのような集落に、里山暮らしの先輩方が居ることを恃みとして、妻とふたりでぽんと移り住んできた小生ではありますが…、引っ越し先の家が、なんとも大きいのです(氷見の人の感覚で云うと、特段、大きな家には当たらないのかもしれませんが)。
いざ、この大きな家を前にしてみると、さてまあ、何から手を付けたらよいのやらと、しばし途方に暮れました。
都市部に仮寓していたころは狭いアパート暮らしが長かったもので、氷見の山間部にある家々(街中にある家もだけれど)は、小生にとっては如何にも巨大に映ります。物理的にボリュームがあるということは何と云ってもひとつの価値なのだ、むべなるかな、と、ひとり得心してしまうほどに。
ちなみに、晴れの日の夜には、こんな具合で満天の星空を愉しむことができます。こういった空の広さにも、物理的なボリュームの価値を感じます。いやあ、巨きいなあ、と。
庭もあります。そこには、簡単な菜園スペースを設けました。
ガレガレの土で、環境を整えるに少しく苦労しましたが、何とか収穫まで漕ぎ着けました。いずれその話をする機会もありましょうか。ともあれ、今回は家の中のお話を。
移住1年目の夏の終わり、ふと、居間でも改めてみんと思い立ちました。畳を板間にし、砂壁を白漆喰の壁にしようという企てです。
元の壁は砂壁で、暗い黄土色をしていました。触るとほろほろと砂つぶが落剥する、アレです。その壁を、白漆喰で塗り直そうと云うわけです。
ところが、小生の人生の中で、壁塗りに時間を割くなんてのは、初めてのこと。というか、いわゆるDIY的なことなんて、殆ど経験がありませんでした。経験のなさは、時として、頓珍漢な蛮行を誘発するものなのですね。
無分別にも、下地の砂を落とさずに塗り始めてしまったのです(今思えば、無分別、無思慮にも程がある。我ながら、呵々と大笑するばかりです)。結果、白漆喰が固まった後から、じんわりと下地の黄色が出てきてしまいました。
これは、しっかりと、下地の砂を落とさなければいけん。ということで、スクレーパー(ヘラのようなもんです)で、敢然、砂剥がしにかかります。霧吹きで砂壁に水分を含ませてやると、ぺりりっと簡単に剥がせます。快感。
はじめから、この作業をしておくべきでした。阿呆だなあ、小生。とはいえ、自嘲はよくない。そんなとき、自身を優しく慰める言葉は…、
日む無し。あ、間違えた。
田む無し。あ、また間違えた。
そうそう、已む無し(やむなし)。
失敗しても、「已む無し」と呟けば、大概のことはどうでもよくなります。人類がみな、窮屈な拘泥をポイできますように、なんて。
遊んだあとは、もちろん、ちゃんとお片づけをいたします。
仲間たちも遊びにきてくれました。びしゃんびしゃん、ジャッジャッと、勢い良いコテさばきが、大変に潔い。
この床の間の壁も、助っ人の方に塗ってもらったものです。実に丁寧に塗ってもらいました。平らの壁面が光をよく跳ね返し、部屋が明るくなった心地がします。
そんなこんなで、何とか壁の漆喰塗りを終え、次は板張り作業です。まずは、下板の上に新聞紙を敷き(下板と下板の隙間を物理的に埋めるため)、その上に根太(床板を支えるための横木のこと)を通していきます。
そして、冬場の寒さ対策として、根太の間に断熱材を忍ばせておきたいな、しかし、金はかけたくないな。ということで、籾殻くん炭を自作することにしました。
まず、「籾殻」をロハで確保。あとは、「ステンレス くん炭器」と、密閉できる「ドラム缶」を用意して、準備完了です。
くん炭器の中で火を焚いて、周りに籾殻を重ねていきます。
じわじわと、籾殻に熱が回ってきて、黒く炭化していきます。籾殻の一粒一粒が熱をリレーしていくようで、眺めていて実におもしろい。夏場にやると、熱くてかないませんけれど。
灰にならないように気をつけながら、適宜かき混ぜていき、全体が黒くなったら完成です。
そして、出来上がったくん炭を冷ますため、R2-D2みたいなドラム缶へ投入。蓋をして、密閉します。空気を遮断して、燃焼をストップさせるためですね。畑に撒くためのくん炭であれば、ばーっと水をかけて消火すればよいのですが、今回のくん炭は断熱材用だったので、水をかけるわけにもいかなかったという次第です。
その後、2、3日ほど冷まして、オープン。少しばかり生なものが混ざっていますが、概ね佳しとしました。
実は、くん炭器がない状態で(段ボールで代替しようとしていました)、挑戦しては灰にして、を繰り返していたもので…、兎に角も、無事に出来たので、ほっと肩をなで下ろしました。
そうして、自作したくん炭を、根太と根太の間に敷き詰めていきます。
こんな感じで、びしーっと、隙間なく。作業していると、もうもうと炭が舞うので、鼻の中が黒ずみます。
さて、これにて、板間への更新作業も、いよいよ終盤。この後、床板を張っていくことになります。その話は、また次回にでも。
ご覧の通り、歩みは遅々たり。それでも、氷見の里山にて、手探りや手違いを笑い飛ばしながら、「姓(かばね=仕事=出来ること)」を、一つひとつ増やしていきたいなと思っています。
そうして、賢治の云う「農民」に、生きることのあらゆる仕事ができる「百姓」に、いつかなりたい。
そんな風に、思います。それでは、朋だちのみなさん(まだ見ぬ方々も含めて)、氷見の里山にて、いつかお会いしましょう。
ようたろ、頓首。