皆さん、こんにちは。写真家の北条です。
前回同様、お送りするのは、<考えるパンKOPPEができるまで>の最終回・後編。考えるパンKOPPE・竹添あゆみさんとの対談をお届けしていきます。
※前編はこちら※
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<過去の記事>
街中の明日を「考える」。
街の変化と共に。
蕾がひらく頃
対話する時間を(前編)
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今回の企画では、考えるパンKOPPE店舗の2階、竹添さん夫婦のご自宅にお邪魔して対談させて頂きました。窓から差し込む昼下がりの光を受け、白を基調とした室内が優しい色合いに染まる朗らかな雰囲気のなか、約1時間にわたる対話を楽しみました。
またこちらでは、設計を担当された建築家・能作文徳さんと、能作さんが勤められている大学の学生さんと一緒に、珪藻土塗りを行ったのも思い出のひとつです。
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後編では、氷見での暮らしのことや、教育・戦争・文化のことについて対話していきます。それでは、最後までお楽しみ下さい。
(※対談日:2020年4月12日※)
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<氷見での暮らしと県内の良さのこと>
※前編のつづき※
写真家・北条巧磨(以下、北条) あゆみさんは、氷見へ移住されていますよね?どうですか?外側から見て氷見は。少し話は変わりますけど。
考えるパンKOPPE・竹添あゆみ(以下、竹添) 私は、昔氷見で働いた時にいいなと思っていたので住みました。JAのガソリンスタンドが、朝日山の麓にあるじゃないですか?そこに『地産地消で元気なひみ』って大きな看板があるんですよ。あれは良いなーと思っていました(笑)。
北条 なるほど!
竹添 その時、「氷見って地産地消出来るんだ!氷見ってすごいな」と思ったのを覚えていて、かれこれ10年前くらいなんですけど。いまも立っていますよね。こんな時だからこそ、地産地消が出来るって稀有だし、豊かで良いよねって。観光とかをあまり意識したことがないんです。住んでいる人たちが、そこでできたものを食べたり、採れたものを食べたりして、というのが循環しているのだったら、こんなに良いところはないなと思いました。
北条 地産地消・・・なるほどですね。氷見って、お魚のイメージが強くて。寒鰤だったり。でも楽しいことって、もっと沢山あるじゃないですか?街中にしても里山にせよ海にせよ。それをもっとこう、自分はしっかり伝えたいです。暮らしの楽しさを。
竹添 具体的に誰に伝えたいですか?
北条 自分は、富山県内の人に対して伝えたいのですよね。県外の人へももちろんなんですけど。日本には沢山あるじゃないですか?47都道府県の良いところや魅力が沢山。だからまあ、氷見じゃなくて、他のところでも良いと思うのです。富山県内の人って、旅行へだったり、進学・就職とかで県外へ行っちゃったりしますよね。だからこそ、県内の良さをもっと知って欲しいと思います。「何もない。」という考えから、観光地や都会へ行っちゃって・・・。それって、すごくもったいないなあと自分は感じています。
竹添 富山県内の人をターゲットにするのなら、説明は必要かもしれないですね。それは思います。海外とかに向けてだったら、むしろ説明が無い方が伝わるかもしれないですけどね。
北条 大型ショッピングセンターも良いですけど・・・ってなります。
竹添 なんかこう、身近な生活のなかに、山があったり海があったり原っぱがあったりするっていうのは、いろんな日本各地にあるかもしれないけど、それが自分たちの近くにあるっていうのが大事なことだから。身近に手が届くところに。でもまあ、外の情報を見ていいなーとか思っちゃうのも分からなくはないですけど(笑)。
北条 まあ自分も一回、進学で県外へ出ているというのもあるので。出たからこそ分かる富山の良さというのも知ったのですけど。氷見市に限らず県内の人が、県内の魅力をもっと知るべきだとは思いますけどね。
竹添 自信をもってね!
北条 そうなんですよね!自信をもってね!
竹添 県出身のスポーツ選手とかすごい人が出た!ということで、自分たちがこう喜ぶっていうのは分かるけど、それだけじゃなくて、この平常の毎日、日常が良いのだということに自信を持って欲しい。
北条 そういうことです。そういうことです。
北条 例えば富山市内から、井波や福光へ行くとプチ旅行じゃないですか?富山県に居ても、様々な文化が沢山ある。そんなことを楽しめるような雰囲気になるといいな、なって欲しいなと思うのですけどね・・・。
竹添 どこかの真似しなくたって、今ここが良いんだよっていうね。
北条 そういうのを伝えたいなと。ただ今、コロナの影響で県外にも出られない状況(※対談日:2020年4月12日※)になってきているので、変な話、見つめ直す良いチャンスなのかなと思っていますね。
竹添 ソーシャルディスタンスは取りやすい環境にはあるから。そうですよね。見つめ直して、自信を持って。
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<教育と学び続けること>
北条 あゆみさんは教育の現場で働かれていたこともあり、働く立場の視点から、日本の教育ってどうなのかな?とお聞きしたいです。高校の先生で、東京で働かれていたのですよね?富山の教育も分かる範囲になると思うのですが。
竹添 富山で2年間、常勤講師を2年間やって、その後東京で10年くらい高校です。
北条 どうなんですかね?日本の教育って・・・。
竹添 学校に限って言えば、悪いとも思わないけど、もっと変化しても良いのになあと思うことはあったかな。でも、それは制度のことと言うよりは、ひとりひとりの先生たちの考え方とか子供に対する姿勢とかそういうので。もっとこうなったら良いなあと思うことが2・3割あったけど、7・8割くらいは皆さん頑張っている。否定的な立場ではないです。
北条 自分は教育を語る人ではないですけど。やっぱり、教育ってとても大事だなというのを、最近はすごく思っていますね。日本の教育は、平均的なヒトを作ってしまうというか、右へ倣え的な空気感があってー、というのを感じています。それは良くないなと思いつつ、日本の教育って、本当に大丈夫なのかな?と思ったりしています。
竹添 公教育ですからね。明治時代とかで全員が教育を受けられない時は、ぴょんと飛び抜けた人が10歳くらいで大学入ったりとか、そういうこともあったので、まあ良くも悪くも、押し並べてみんなが同じパッケージの教育を受けることができるという意味では、日本は世界的に比較してもすごいなと思います。ただその、副作用もやっぱりどうしても出てしまう。出る杭がない状態に、押し並べられてしまうというのは、確かに面白くないですよね。うんうん。
北条 自分は高校に居た時に、大学入試試験の為のドリル式教育だとか、そもそも入試自体が暗記ゲームみたいな感じになっているなというのを思っていて。そしてそれが、すごく面白くなかったというのが本音でした・・・。不満があったのですよね。
竹添 確かに昔と違って人口は減っていて、少子化はネガティブなイメージで語られるのが多いですけれども、それだけその子に応じたカリキュラムなり、本を渡すことができるとも考えられます。「この本を読んでみなよ」って渡すことで、その子をひとつ引き上げて、広い世界を見せてあげられる。そんな風にできたら変わるかもしれないですよね。沢山居て、みんなと同じ基準でその子を見る時代はもう終わっちゃったから。だから大学も、AO入試とか、ひとりひとりの興味関心や資質を見る方向にシフトチェンジしている。ただその、「この子にこういうことが語りたい」とか、「その子にこういうことを伝えたい」と思った時に渡せる本を、自分のバックグラウンドに持っているとか、「あの子にはそういう言葉をかけてあげたいな」と思えるように普段から関わっているかとか、そういうものを鍛えていないと、「今だ」というタイミングを逃してしまう。すごく難しいですよね。生徒に対する意識を保たなければいけないというか、勉強し続けなきゃいけないのは教員の方だなあ、と思います。
北条 なるほど、教員も勉強し続けなければいけないですか。
竹添 そうそう。だから、教員はたぶんこれで完成っていう教員像はなくて、常に勉強ですね。
北条 でも教員の方って、すごいですよね。なんだろう、ロールモデル的な正解もないし、ひとりひとりの先生によってタイプも違うし、やることの量も大変ですよね。部活動だとか。
竹添 私は、部活動は働いているうちはあんまりやらないで終わっちゃったんですけど。もしやってくれと言われたら、授業と部活動と自分の生活の両立はできないのでちょっと困ったなと・・・。今、働き方改革って言ってますけど、これを機に方向転換してもいいのかなと思います。上から目線なことを言っていますけど、基本的に先生たちはすごく頑張っていて、うん。本当に大変な中、よくやって下さっているので、ありがたい限りです。ただ、同じく勉強をし続ける者として、応援したいな、できれば色々シェアしたいなと思います。勉強し続けないと、本当に堕落しちゃう職業だとも思います。
北条 先生の勉強ですね・・・確かに。
竹添 ほんとほんと。勉強しないのに、「先生!」「先生!」って言われちゃうのは、ものすごく怖いことだと思うので。
北条 素人目線で思うのは、1年間のサイクルのなかで生徒に教えることをやっているので、同じことを繰り返し教えるようになってくるじゃないですか。例えば、1年生から6年生を教えてまた戻ってと。確かに、教員が勉強しないようになってしまいそうです。
竹添 忙しすぎてね。ほんとほんと。でもよくやっていらっしゃいますよね、うちの子ひとりでも大変なので、それで30人・40人なるともう大変だなあと思いますね。いつも本当にお疲れ様です。だからこそ、一緒に勉強しましょう。その姿を、どんどん子どもに見せましょう。
北条 働き方もそうですけど、学び方も変わっていきそうだなという流れはあるじゃないですか。それこそ、インターネットが普及してから、教育のあり方の変化があったりだとか、絶対学校に行かなくてもよいだとか。今のこの状況下で見えてきましたよね。
竹添 不登校な子たちを、今まで奇特な目で見てきたけど、その生活が全員になったような感じ。身近に思えるようになるかもしれませんね。
北条 あと、勉強が好きな子や元々出来る子って、自分からでも勉強するじゃないですか?その差がすごく出そうだなと思います。遊んでしまう子と勉強する子とで格差が出てきそうですけど。
竹添 まあその勉強を、何で計るか?というのもありますけどね。遊びだと思って虫ばっかり追いかけて、「また遊んでばっかり」って言われてた子が虫博士になったりとか。だからまあ、自分から見つけて何かをすることであれば、それは止めなくても良いのじゃないかなと。
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<戦争とこれからの生き方のこと>
北条 戦争についてイベントをされているじゃないですか?それはどういう想いからやられているのですか?
竹添 それはやっぱり、忘れちゃいけないから。戦争を記した本などをたくさん読んだわけではないし、記録した写真集も進んでは開かないし。あんまり、具体的な歴史をよく知っているわけじゃない。夫の方がその点詳しいので、お任せって感じなのですけど。でも、戦争に関するイベントをやらなきゃいけないと思うのは、ただ”忘れちゃいけない”っていう想いがあるから。3.11の震災も、別に私が何をできるわけでも、大きな被害を被ったわけでもないですけど、ただ忘れちゃいけないと思ったからキャンドルナイトをしようとか、電気を使わないでいてみようとか。
竹添 特に戦争はどんどん、実体験をした方がお年を召しているので、実際の体験に触れる機会って間違いなく減っている。けれども、戦争文学とか戦争記録とかで語り継いできたものとか、アーカイブスみたいなものが残っている。それを忘れないように。
竹添 今回のコロナの件もそうですよね。忘れちゃいけない。100年前に同じようなことがあったのに、忘れていた、油断していた、みたいなところがありますよね。歴史は語っているというか、やっぱり同じ流れというのはあるから、その時の反省を忘れない為に。こうなった今、特に戦争が起こるんじゃないかとかは、ずっと考えてる。
北条 ”忘れない”という言葉に、自分はピンと来ましたね。正直なところ、戦争について語ろうとなると、ちょっとハードルが高くて・・・と思っていました。戦争を語るのは、自分で良いのかな?とか。
竹添 やっぱそう思っちゃいます?全然そんなことはないです。私も大して知っているわけでもなんでもないので。
北条 でも”忘れないこと”が、キーワードになっていくと、もしかしたら「自分も!」ってなるかも。
竹添 そうなんですね。若い人なかなか聞いてくれないなーと思っていたのですよね(笑)。そっかハードル高いのかあ・・・。なんて言えば良いのですかね?もう少しライトな方が良いのかもしれないけど。慰霊式とか、そういうのは全然行ったことないですけど、「そういうことがあったんだって、どうしよう怖いね。私たちはどうしたらいいんだろう。」みたいな話をするだけでも、なにかしら意味はあるかなと。
北条 なるほどそうですよね。戦争の時もですし、今回のコロナもそうですけど、緊急事態の時って、やっぱり人の本質が出ちゃうなと感じました。人の怖さとか特に。もちろん優しさも見えますけど、批判とか誹謗中傷とか、切羽詰まった時の人間の本性が見え隠れしますね。
竹添 この後ですよね。ナショナリズム的な流れになっちゃうとイヤだな。どっちで物事を見るか。このあと世界の人たちが、みんな繋がっているんだね、よく頑張ったねと称え合える日が来ると見るか。それともこれから、もっと引きこもろう、もっと排他主義になろう、自分たちの食料は分け与えないぞ、みたいな世界になるか。分かれ道なのかなと。
北条 その中でも、資本主義社会の中でーとなるじゃないですか。どう上手くやっていくかですよね。経済を見てとか・・・。
竹添 経済ねえ。いままでの経済とかっていうのも、たいして勉強はしていないですけど、ちょっともう取り敢えず、成長を目指す方向からはシフトチェンジした方が・・・。
北条 そうなんですよね。そこら辺もガラッと変わっていきそうですね。
竹添 インフラと文化。人が生きていく為のインフラを、みんな安心して供給されて、それを維持できて文化を楽しんで、みんなで守っていけるということを私は求めたいかな。最近の「自粛解除」=「経済活動再開」と安易に捉えるような言い方は、どうなんだろう。それ以外にも、もっと「人の営み」はあると思う。生活を維持する為の経済は必要だと思うんですけど、それ以上の余剰分は何にするのか、イマイチ想像が付かないので、私の庶民生活ではね。政治をやっている人たちとか、大企業の人たちとかが言っている「経済」の中身の想像が付かない。
北条 確かにそうですね。
竹添 それも今回の件で、浮き彫りになったじゃないですか?国の考えていることと、一般市民が考えている生活とのギャップの大きさが今、結構露呈されていて。なぜ今私たちの世界がこんなことになっているのか、ようやく真剣に考え始めた。そう意味では、これから先どのようになっているか興味があります。
北条 どう変わっていくかですね。不安ももちろんありますけどね。
竹添 そう、それこそ北条さんたちの世代が背負っていく(笑)。
北条 娘さんのもですよ(笑)!
竹添 うちの娘はまだまだですけど(笑)。どうなっていくかですよね。昭和の高度経済成長みたいなのをお手本にしない、新しい豊かさの価値観が創り上げられて、それで世界中が手を繋いで、みんなの毎日が豊かになる。どっかだけがお金持ち、どっかだけが貧困じゃなくて。不条理に命を奪われたり、報復や信仰のために武装したりしなくていい・・・。それはまあ、たぶん、私たちも北条さんも、どのような意識でこれからを生きていくかですね。
北条 難しいですよね・・・。考えていかなければですね。
竹添 難しいですけど、そう考えながら、希望はもっていたいなとは思います。
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<文化と日常の星屑集めのこと>
北条 少し前に、まち歩きやフォトウォークみたいな形で、「カルチャーを作っていきたいね」と一緒にお話しをしていて、自分も実行できたらなあと思っています。でも、カルチャーを作るって難しいというか、一朝一夕でできるようなものじゃないですか?あゆみさんが思い描く、と言ったら言い過ぎかもしれないですけど、氷見のまちなかカルチャーとして望みはありますか?
竹添 そうですね。お店をしていて沢山、今までお会いしたことがなかったご近所さんにお会いするんですけど。皆さんすごい、ハツラツとしてお洒落なんですよ!もちろんお店をやってらっしゃる方もいるけれども、そうじゃない方もいらして。人に見せる為でなくて、自分の為に日々、小綺麗にちゃんと清潔に保つとか、ちょっとお洒落をするとか。見えないところでも、「今日はちょっと、靴下にワンポイント、自分で刺繍してみたの」みたいな。そういう自分の為に、綺麗でいたいというカルチャーというか、日常があるんだなあと思いました。そういうちょっとしたことを見つけて、スポットを当てていけたらいいなあと思いますね。内なる美しさとか、内なるトキメキみたいなものがずっとあって欲しい。それらをピックアップするとしたら、それこそ、お写真とか文章とかで、「こんなに皆さん素敵なんですよ」というのが、分かるといいかな。
北条 確かにお洒落でしたよね皆さん。プレオープン当日に、取材していて自分も感じました。お洒落な方が沢山おられて!
竹添 そうそう。新しいものじゃなくてもね。別にヴィンテージとかじゃなくても、何かしらポリシーを持っていらっしゃる方が多いので。そういうのが良いと思える価値観を共有できればいいなって。
北条 ただお洒落して出かけるところがなかったのかも(笑)。
竹添 (笑笑)そうかもしれないですけどね。
北条 でもお洒落したいですもん、KOPPEさんへ行く時とかは特に。少しお洒落して行きたいと自分も思うから。
竹添 ほんと皆さんお洒落ですよ!さっと、お店の段を降りていかれる姿を見ていると、「おー!マスタードイエローのタイツ素敵!」「お着物の小物使いがモダン!」ってこともあったりして。なんかね、そういうのは私だけ気付いているのはもったいないかなあー(笑)。みんなが知って良い、素敵なことを拾って。星屑集めみたいなことが出来たらいいなと思いますね。日常ですよね。大事なのは日常。
北条 なんか良いお話しを最後に聞けましたね!
竹添 実現するか分からないですけどね(笑)。
北条 いやーなんか、少し前に「氷見に新しいカルチャーを作っていかなければならないね。」なんてことを話していましたけど、いま既にあるので安心しました。
竹添 今あるものを発見したり集めて、美しい星をちょっと集めてみたいな感じですね。
北条 これから素敵な流れができていきそうですし、楽しいことをしていきたいですね!はい。それでは、これで対談を終わりたいと思います。貴重なお時間をありがとうございました!
竹添 ありがとうございました!
おわり。
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<後編のあとがき>
過去の記事を含め、連載<考えるパンKOPPEができるまで>を振り返ると、この後編でお送りした内容は、これまでお届けしてきた文脈とは異なるものでした。教育や戦争といったトピックに加え、昨今の情勢を受けてお互いが今感じている時事・社会問題的なことも織り交ぜながら対話してきました。筆者の知識不足もあり、浅く広い表面的な内容にはなってしまいましたが、その中でも、日々の暮らしや日常の中で大切にしていきたいこと、例えば「学び続けることの大切さ」や「忘れないことの意味」などなど、素敵な気付きを竹添さんから頂くことができました。そういった、日常の些細な発見が沢山詰まったこの対談を、皆さんへお届けすることは、何かしらの価値があったのではないかと感じています。
今回の対談を通して感じたことのひとつに、『対話をすることは、考えることや学ぶことと密接に繋がっているのではないか?』というものがありました。普段の生活では馴染みの無いような事柄であっても、他の誰かと対話をすることで、“自分ごと”として捉えられるようになったり、自分が興味を持っていることと繋がっているのでは?と感じられるようになったりするのです。筆者の場合、このコロナ禍で顕在化した社会の歪さに疑問を抱きながら、具体的な何かが分からずモヤモヤとしていましたが、今回の対談をきっかけに、様々な分野のニュースに目を向けてみるなど、日々の行動に少しずつ変化が生まれました。様々な年代、性別、職種や国籍など、それぞれの価値観を越えた対話は、良い意味の「変化」が生まれる原動力になることでしょう。
刻一刻と、物事や価値観が移り変わる2020年の現代。対話をきっかけに”自分ごと”として課題意識を持ち、能動的に学び考え続け、小さな一歩でも行動することが出来れば、私たちの世の中は少しずつ生きやすくなると信じています。そして、対話をすることから始まる循環型社会があるのなら、これからは皆さんと一緒に、次の一歩を踏み出していけたらと願います。
これにて、後編のあとがきと同時に、連載のまとめとしたいと思います。最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!