氷見に暮らす私たちと、
氷見に移住するあなたが、
一緒につくる、まちの未来。
2023.06.20

季節の変わり目が、視えるんです。

昆布
昆布
「サカナとサウナ」

「私、視えるんです。」 

 

相対した人からそう言われたら、なんだか怖くなるのは僕だけでしょうか。その言葉の先になにやら霊的なものを感じて、一切そういうものへの耐性がない僕は(小学校の手作りお化け屋敷でも少しビビっちゃうぐらい)、その人から精神的にも物理的にも思わず距離を取ってしまうのです。

ですが「視る」という言葉の意味を辞書で調べてみると、

 

—-視覚に限らず広く、感覚を働かして、探りとらえる。

      「味を―」「調子を―」「病人の脈を―」。(出典:Oxford languages)

 

ことを示すそうで。

なので必ずしも霊的なことに使われる言葉ではなく、「感じる」の類義語と考えれば何も怖くないんですね。

だったらぜひこの言葉を軸に一つ文章を書いてみて、「視る」への恐怖心を完全に取り除いてしまおうというのが、今コラムの裏テーマであります。

突然ですが私、季節の変わり目が、視えるんです。

 

生まれ故郷の東京では天気や気温、たまに桜や紅葉などでなんとなく感じていた季節の変わり目。

氷見に移住してからというもの、前よりも自然と近い生活を送っているおかげか、周りの自然の変化に対して様々な感覚が鋭く働き、より深く季節の変わり目を視ることができるようになりました。

浜風の体の触れ具合、潮の香り、入れ替わる渡り鳥の鳴き声、稲穂の色の移ろい。

それぞれが季節を通して変ってゆくさまを、日々感じているのです。

(脂たっぷりの旬の氷見イワシ)

 

そんな変化の中でも僕が特に敏感に感じるのが、季節ごとの食材の旬の移り変わり。

 

ちなみに旬に関しては、当コラムの第一回「旬に追われる生活」で様々な春の旬食材を取り上げましたが、今回は旬の定義についてより深堀りしてからこの「移り変わり」の話題に繋げていこうと思います。

一般的にこの「旬」という言葉は、ある食材が他の時期よりもより新鮮で美味しく食べられる時期、または他の時期よりも収穫量(漁獲量)が増える時期のことを指します。

例えば魚で代表的なものは、春のイワシ、夏のスズキ、秋のカマス、冬のブリ。野菜は春のキャベツ、夏のキュウリ、秋のサツマイモ、冬のホウレンソウ、などなど。

その他にも、それぞれの季節に旬を迎える食材は数えきれないほどたくさんあります。

氷見では当日の朝に獲れたそんな旬の魚や野菜が、市内のスーパーや直売所、鮮魚店の開店と同時に売場に並びます。

その色や形を見ながら買い、持ち帰って手触りを感じながら調理して、食べて食感や味を感じる。そんな生活がたまらなく楽しいです。

(ですが「旬に追われる生活」にも記した通り、そんな食材が数えきれないほど売場に並ぶため、買いきれない・食べきれないことの連続なのですが…。

さて話を戻して、食材の旬の移り変わりのお話。

先ほども記した通り、季節ごとに非常に多くの旬の食材があります。季節が変わる度に様々な魚や野菜たちが旬を迎え、そして旬を終えていくのです。

しかし旬は突然始まるわけでもなければ、突然終わるわけでもありません。魚も野菜も徐々に収穫(漁獲)量が上がって品質が上がっていく時期、ピークを迎える時期、徐々に下がっていく時期があります。

この3つの時期をそれぞれ

旬の「走り」・「盛り」・「名残」

と呼びます。

では旬の食材を食べるのは「盛り」の時がいいのか、というのは一概には言えません。

「走り」の食材を食べるときは、ようやく一年経ってまたこれが食べられる!なんてワクワクがたまりませんし、

「名残」は、来年に想いを馳せながら食材を食べることこそが風情に思われるのです。

 

 

そして現在進行形である6月を例にとると、今は春と夏の季節の変わり目の時期。春の食材は「名残」、夏の食材は「走り」を迎えます。

今野菜の直売所や鮮魚店をのぞくと、春食材は少し硬くなったセリや開き始めたキャベツ、小さくなったメバルや平たそうなクロダイが申し訳なさそうに並んでいます。それに対して夏食材は、青々とし始めたズッキーニやキュウリ、太り始めたスズキやアジが堂々お目見え。

その光景がなんだかアンバランスに思える時点で、既に季節の変わり目を視ているのかもしれません。

ではもう少し踏み込んで、この名残と走りの食材を一緒に料理してみることにしましょう。

少し硬くなったセリは細かく刻み、すこしまだ旨味や脂の足りないアジは味噌や醤油を足して同じく細かくたたきます。合わせて軽く練り合わせれば、なめろうの完成。

 

それぞれの食材の少し足りない部分を工夫して補い、「名残」と「走り」という異なる二つの旬の移り変わりを一皿に合わせ、食す。

それによって、季節の変わり目を重層的・漸次的に視ることが可能になり、より一層季節が巡っていくことを楽しめるようになるのです。

(「名残」を過ぎて開きすぎたキャベツ)

 

今回は旬を再度様々な視点から捉えながら、その移り変わりを感じる生活についてご紹介しました。この文章を書いている間にも、刻一刻とある食材の旬は始まってゆき、そしてある食材の旬は終わっていっているのです。それが生活のそばで視えるというのはなんて素晴らしい体験なんでしょう。

 

あなたも氷見に移住すれば、視えますよ、きっと。(やっぱりなんだか怖い気がする)

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