こんにちは。考えるパンKOPPEのたけぞえあゆみです。
2024年1月1日の能登半島地震から9ヶ月が経ちました。
その間氷見市では、液状化した土砂の搔き出しや家屋の片付け、水道の復旧や道路の修繕、罹災証明書の発行など多くの動きがありました。夏ごろからは被災した家屋の解体が、いたるところで行われています。
考えるパンKOPPEがある中央町の近隣には、昭和13年の大火を逃れた貴重な古民家もたくさんあります。
また液状化などで土台が歪んでしまった家屋には、住むことは難しくなっていても、床板などの木材は再利用できる場合も多くあります。これらの木材が、解体の仕方によっては大半が廃棄されてしまうとのことで、それはもったいないなあと常々感じていました。
そしてありがたいことに、東京都立大、富山大の建築学系の教員、学生、地元工務店などの有志が、震災当初から歴史ある木材(古材)を救出する活動を構想してくれています。
8月には考えるときyotteを開催。東京都立大学能作ゼミの大学院生田畑快人さんをゲストに、「古材レスキュー」についてみんなで学ばせてもらました。
実際に古材を回収し、クリーニング、販売している長野県の例も聞きながら、その意義を再確認し、私たちにできることを考えました。
一方で、その家屋を守られてきた家主の方の思いを、最も大切にしなければならないとも感じました。
考えるパンKOPPEではこの会以降、古材レスキューに賛同くださる家主の方々にお話をいただいてきました。
そして10月6日、初めての古材レスキューの日がやってきました。
家主さまから許可をいただいて、その様子をレポートします。
解体前の、家具などのないところに作業に入らせてもらいます。今回はメンバーと、ボランティアの方の計5人が集まりました。
畳をめくると、杉の床材がありました。
私たちは原則、次に加工のしやすい無垢材(合板などではない)のみを古材としていただいています。今日はこの床板をレスキューします。
バールを使って床板をめくろうとしますが、なかなか動きません。釘でとまっているようです。
そこで小型の電動ノコギリを使って切っていきます。私たちはあくまでも素人の有志です。安全を第一に考え、危険のないように、できることのみを行います。
床板が外れました。順次外へ運びます。
一枚ずつ切って取り出して行くと、床下が見えてきました。こんな風になっていたのですね。
今回は東工業さんが発電機と電動丸ノコを急遽ご用意くださり、一気に切ってくださいました。早いです!
しかしとても危険な道具なので、使い慣れた方がいる時しか使えません。
さあ、取り出していきます。
1時間半くらいかけて、二間分の床板をいただきました。
次は二階です。大きな梁がのぞいています。
太くて立派な梁なのですが、私たちには取り出すことができません。釘に気をつけながら、床板を外します。
東工業さんのトラックを借りて、積んでいきます。先に長い板を乗せて、下に短い板を乗せて、紐で止めて……。普段何気なく見ていましたが、工事をされる方やトラック運転手の皆さまは、本当にすごいです。
家主さま、大切な家屋の一部を快く提供してくださり、ありがとうございました。お代として、ささやかですが当店のパンチケットをお渡ししました。
ここまでかかった時間は3時間弱。この日は午前と午後で計二件の古材レスキューをさせてもらいました。
お預かりした古材は倉庫に保管し、クリーニングや釘抜きを経て、次の使い手の方におつなぎします。
それらの作業もボランティアで行う予定です。そのため活動できる日数も集まれる人数もまちまちで、ご依頼をいただいてもすべてにお応えできるとは限りません。
しかし少しでも思い出のある家屋の一部をお預かりし、次の使い手の方へおつなぎすることができるように、私たちは今後も、安全第一に活動していきたいと思います。