東京の大学生が氷見で出会った素敵な方々にインタビューするシリーズ【氷見のひみつのひと】。
今回は第二弾!地域メディア特集と題し、普段は氷見の方々を取材している地方紙記者と地元ケーブルテレビのカメラマンの計お二方にお話を聞いてきました!
一人目は地元ケーブルテレビ「能越ケーブルネット」の制作技術部課長・中島英樹さん。同社は平成3年に氷見市で設立された会社が母体となり、現在では氷見市と石川県羽咋市・穴水町・珠洲市でケーブルネットテレビのサービスを提供しています。氷見エリアでは「ひみちゃん9(ナイン)」というチャンネルで一日分の番組を編成し、基本的には毎日同じ編成で放映されています。
同社が特徴的なのは地元からの依頼を積極的に受け入れて取材をしていること。市役所からも次々にFAXが送られてくるほか、個人から依頼されて話を聞きに行くこともあるそうです。幼稚園の元園長先生からもよく取材の依頼が来るのだとか。
また「北日本新聞」のニュースを伝える番組を用意しているほか、「富山新聞」氷見総支局長をスタジオに招いて時事や市政について解説してもらうレギュラー番組があるなど、地元の新聞社さんとの繋がりも深いです。
最近印象的だったエピソードは新型コロナウイルスの影響で開催中止になった第15回春の全国中学生選手権大会(通称春中ハンド)の一件。開催中止が2月28日(土)に決まり、1週間ごとで用意していた番組の中には「ハンド出場学生を激励!」というような内容も。中島さんは当初内容を変えるか迷ったそうですが、視聴者から学生たちを気遣う電話を受けたことで気持ちを切り替え、一日で該当する箇所を差し替えたそうです。
「普段から一本でも視聴者からの電話があれば極力対応します。それが地元の強みだと思うので」と中島さんは言います。
中島さんは大学卒業後に映像技術の専門学校で学び直し、その後は千葉・愛知などのケーブルテレビで経験を積んできました。取材する上で大変なのが基本的に一つの番組を一人で担当するため、取材に一人で行かなければいけないこと。イベントの際は一台のカメラを定点で置き、もう一台を手で持って動くなどの工夫をしているそうです。「本当は他の地方テレビみたいに二人組の方がお互い学び合えていいけど、氷見みたいに自分の裁量で番組を作れる環境も気に入っています」と話します。専門学校卒業後は映画製作などに関わることもできましたが、『氷見のケーブルテレビ』という今の環境の居心地が良く、今でも仕事を続けられているそうです。
実は「能越ケーブルネット」を主導し、中島さんも深くかかわっていた富山県内の各放送局が協力して作った作品が「日本ケーブルTVアワード」という全国のケーブルテレビが軒を連ねる大会で、2020年2月に今年度のグランプリに選ばれたのだそうです!
今後は氷見の名士・浅野総一郎や剣豪の斎藤弥九郎などこれまであまり製作が出来ていなかったドキュメンタリーの分野で取り上げていきたいと言います。
過去の番組を記録した貴重な資料を特別に見せていただくことができました
一見クールな中島さんですが、言葉の端々から報道や「伝えること」への思いがにじみ出ていました。これからも素敵な番組を作ってくれることを期待しています!
さて、二人目は「富山新聞」氷見総支局長の水上良さんです!
鋭い眼力にきびきびとした話し方、まさに「ザ・報道人」という風貌です。
元は富山県の城端(じょうはな)という場所で生まれ育ちましたが、関西の大学で法学を学ぶうちに自然と政治や法律のことに関心が向き、「地元で記者になりたい」との想いから富山新聞社に入社、30年以上地域の報道に携わってきました。
ここで富山県内の地方紙の状況について少しまとめておきます。現在富山県では富山市に拠点を置き、富山全域をカバーする「北日本新聞」と石川県金沢市に本社を持つ北國新聞社を母体に石川・富山をカバーする「富山新聞」が二大勢力としてしのぎを削っています。富山県内での購読者の割合はそれぞれ4:1ほど。しかし後述する理由により、氷見での購読の割合はちょうど1:1ほどなのだとか。
水上さんが語る地方紙の魅力はずばり「記者の裁量を最大限に発揮できること」。地方の支局では人数も限られているため、個人個人の裁量で取材内容を扱うことが求められます。
例えば行政や政治に関心のある水上さんですが、市の予算案が決まる時期に毎年予算案での争点について大きく取り上げた記事を書き続けていると、次第に他の地方紙も良く取り上げるようになった、ということもあったそうです。
ケーブルネット同様、地方紙では地元の人々や会社から取材の依頼を受けることが多くあると言います。取り上げてもらう先を探す氷見の方が最後の砦としているのは多くの場合「富山新聞」。一つ一つを小さく記事で取り上げるうちに膨大な分量になってしまうこともしばしばあるそうですが、こうして地元との縁を大切にする報道を続けていたことで「富山新聞」が氷見の中で一定の読者層を獲得してきたことに繋がっています。
北陸内で様々な支局を渡り歩いてきた水上さんによれば、「氷見はネタがたくさんある街だと感じる」とのこと。海越しの立山連峰や季節ごとの絶景を始め、氷見は掘れば掘るほど魅力があるように思えるそうです。
「自分は氷見が好きだから、いつまでも現場で取材を続けたい」と語る水上さん。ハードな記者という仕事にあって、地元へ貢献したいという一心で仕事を続けてこられた姿勢に心を打たれました。
これからも芯の通った水上さんらしい記事が読めるのを楽しみにしています!
皆さんも明日から身近な地方紙・ローカルテレビなどの地域メディアに改めて注目してみては?きっと作り手の想いや記者の人間味がどこかに感じられるはずです!
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そして、今回が最後の記事となりますので、ここからはこの12日間で考えたことや感じた様々なこと、たとえば「氷見の雰囲気」「世界について」「移住」などなど…について、徒然なるままに言葉にしてみようと思います。
少し長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
「氷見の雰囲気」について
私が氷見にきてから感じる街の空気というのは、最初に氷見駅に降り立った瞬間も終わりを迎えようとしている今もあまり変わりません。
その土地の気候や風土というのは滅多なことで変わるものではないし、「空気」や「雰囲気」というものは、そこで過ごしてきた人々の在り方が長い年月をかけて空気に染み込んでいくものだと自分は考えています。
氷見に来てから、北陸特有のどんよりした気候に気分がふさがることもあったし、例年より随分ましだと言われても、身に染みる夜の寒さがやはり嫌になる日もありました。
ですが人間に対してだって同じように、「捉え方」は変わるし、深まるものであると思うんです。モヤモヤする所がいくつかあっても、たった一つの突破口から印象ががらりと変わることがあります。
私の場合、それは空でした。
「みらいエンジン」でも過去多くの方が氷見の風景について書かれていますが、普段曇りがちな天気が続くだけに、晴れたときの氷見の青空は本当に綺麗です。
しんと透き通った空気に、快晴のもと海越しに見える立山連峰。
その風景を眺めながら海岸沿いの道を自転車で走り抜けていると、何だか日頃の悩みも全部全部飛び去っていくようでした。
氷見の空気は、あえて言葉にするならば「少し気難しいけれど、優しくて愛おしい」感じ。もちろんこれは完全なる主観ですが、私にとって大事な、また訪れたい場所であることに変わりはありません。
「移住」について
「移住」というものに対して、正直まだ学生である自分にはリアリティを持って感じられる話ではないし、きっとこれからもしばらくはそんな状態が続いていくことでしょう。
もっといろいろなものを掴んで、勉強して、たくさんのものと巡り合う中で立ち位置を見つけて、「自分という人間」を作り上げていかなくてはいけないと思うし、一度は広い世界を見なくてはいけないと思うのです。
でももし、そうして何年も過ぎて、人生に疲れてしまったとき、死にたくなるほど嫌なことがあった時、もしくは新しい一歩を踏み出したくなった時、きっと「氷見」は優しく受け入れてくれると私は感じています。
都会に住み続けている人からすれば、「移住」というのは本当に、本当に、すごく勇気のいることなのではないかと思います。
でも「田舎で暮らすこと」は本当に別の世界の話なのでしょうか。
それは決して逃げじゃないし、違う世界の話でもない。あくまで、どこで生きるのかを選ぶライフスタイルの選択の一つではないかと自分は思うのです。
とはいっても、世界は別にここしかないわけではないし、氷見に来たら最後、ここに骨を埋めなければいけない、というわけでもないのだと思います。
ただ一つ、その人にとって数あるうちの「ふるさと」に氷見がなったら嬉しいなと自分は考えています。
大人になってから新しい土地に来る人は特に、「その町の人とどれだけ出会えるか」「その町をどれだけ好きになれるか」を通して、自分のいる場所にどれだけ意味や価値を感じ、その土地がどれほど自分の心休まる居場所だと思えるようになるかが大切なのではないかと思います。
今回私たちワーホリ生のお世話をしてくれた『みらいエンジン』の藤田さんも、元は都会で働いていましたが、大企業に所属してお金を稼ぐという「自分のためだけにしか生きようがない」日々が無性に空しくなったのだといいます。
「でも、ここでなら、自分が頑張ることで自分の身の周りの環境がちょっと良くなる。地域のみんなにハッピーになってもらえて、それでお金がもらえる。それは、会社勤めをしていた自分からするとすごく素敵なこと」…と、ある時ラーメンを食べながら藤田さんがぽつりと語っていた言葉が印象に残っています。
「すぐに移住しなければ」とか、そういう話ではないけれど。
でも、「こういう世界もある」「こういう場所もある」と知って、心の引き出しを増やしておくこと。それはきっと案外すごく大切なことで、ふとした瞬間に救いとなり得るのかもしれません。
END
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…とりとめのない文字の海を最後までお読みいただき、ほんとうに感謝しています。
あいまい過ぎ!とか、1回目の記事とテンション変わり過ぎじゃね?とか、色々なご指摘がありましょうが、あれらもこれらも全てすべて、田矢が伝えたかった氷見の姿なのでございます。
最後になりましたが、今回このような機会を与えてくれた『みらいエンジン』さん、並びに素敵な出会いをくれた氷見の皆さんに心からお礼を言いたいです。
それでは、キトキトな氷見でまた皆さんと会えることを願って!