最初に申し上げますが、長文です。
土曜の午後、まちのタマル場に遊びに来てくださったNさんのお話が、とても興味深くて、つい長い時間、話し込んでしまいました。気が付いたら、もう外は真っ暗。
実はこの話、取り方によっては、氷見のマイナスイメージにつながるかもしれません。でも、これから氷見に移住される方にも知って頂きたいことです。
Nさんが県外から氷見にお嫁に来られたとき、大自然の海で子供を遊ばせながら育てようと思ったそうです。でも、海が危険であることは間違いありません。そこで、子供たちに「波がこれくらいになったら、危ないからちゃんと浜辺に戻って来るのよ!」ということがわかるように、わざわざ手づくりの絵本を作ったそうです。(その絵本、見たい!とNさんにお願いしました^^)そのお陰で、Nさんの子供が幼少の頃は、随分と海に親しんだそうです。
ところが、Nさんの子供が小学校に入学して、大きな変化がありました。それは「海は危ないから、子供だけで遊んではいけない」という学校の方針です。Nさんは、氷見に来て思い描いた子育てが出来ないと、大変悲しんだそうです。それ以上に、こういったことが、子供の自立的な成長を妨げることになるのではないかと危惧したそうです。学校も、子供たちの安全を第一に考えた末の決断だったと思います。親が全責任を負うという条件でも、その方針は変わらなかったそうです。
私は、瀬戸内の因島で生まれましたが、毎年、夏休み明けの二学期が始まる全校朝礼で、夏休みに海で亡くなった児童の名前を読み上げていたことを思い出しました。子供の頃、もっとも死を身近に感じる出来事が、同じ学校の子供が、海で亡くなることでした。クラスの中でも、わりと泳ぎが上手な子であっても、溺れそうな経験の一度や二度はしたものです。泳ぎがヘタクソな私は、それ以上の危ない経験をしました。でも、そういったことを通じて、海が危ないことや、人は簡単で死んでしまうことを学びました。当時の学校は、子供たちだけで海で遊ぶことを禁止していませんでした。
時代が違う、と言ってしまえば、元も子もないのですが、人は人に育ててもらうよりも、海や山の大自然に育ててもらう影響のほうが大きいと思います。「せっかく海があるのに、氷見市民は海から遠い生活をしている」というNさんの言葉は、とても心に残りました。
話は別の話題へ飛びます。長くなるので詳細は割愛しますが、気の合う人見つけて、心地よいコミュニティをつくるのは大変だという話です。そこへ、タマル場によく来てくださるYさんが、すーっと自然に話の輪に入ってきて、ひとこと。「氷見って、気が合う仲間を探すのが、大変ですよね」と。なんだか、いい感じです。これぞ、タマル場が目指した場の雰囲気です^^
Yさんは、氷見出身の若者です。Uターンしてきましたが、オタク系の話ができる人を探すのが大変とのこと。ちなみに、みらいエンジンの吉川くんは、多分、話が合うような気がしますが…。
その話に同調して、Nさんもこの話で盛り上がります。都会と田舎の大きな差は、ここにあるのかもね、と。例えば、私が長い時間を過ごした東京の新橋では、狭いカウンターで他人と肩を寄せ合いながら飲むような居酒屋で、たまたま隣に座った見知らぬおじちゃんと仲良くなり、世代を越えて、色々な人の人生模様を垣間見ることができたものです。そこから、多くのことを学び、自分の生き方にも大きな影響を受けました。
私は、地方にも都会的な場があっていい、と思うのですが、その多くはコミュニティの形成という視点です。都会の生活に馴染みのある方が、地方に移住してみて、窮屈な思いをするのは、まさに新橋の飲み屋的なコミュニティがないからではないかと、思うのです。近所の人には相談できないことを、遠くの他人に聞いてもらいたい、という気持ちですね。そういった場をつくることから、まちづくりを考えることが大事だと思います。
タマル場には、特別な思いがあります。20年、まちづくりのことをやってきた集大成が「居場所づくり」なのですが、よく言われる「サードプレイス」に似た意味合いかもしれません。仕事での顔と、家庭や緊密な関係での顔、それに加えて必要なのは、自由選択による属性の顔です。人は、もっとも自分らしいと思える属性を持っていると思うのですが、それを理解できる人は、なかなか周りにはいません。現代は、SNSのコミュニティという便利な飛び道具が、その代替を担っていますが、やはり、身近な場所にも、そういった場が必要なのではないでしょうか。タマル場が、その一翼を担えばいいなと思うのです。本当は「居酒屋タマル場」のほうが良いのかもしれませんが^^
最後まで、お付き合い頂き、ありがとうございました。